出井智将『派遣鳴動』

「キャリアデザインマガジン」第89号に掲載した書評を転載します。

派遣鳴動

派遣鳴動

 この3月、日雇派遣・製造派遣・登録型派遣の原則禁止、インハウス派遣の規制強化などを含む労働者派遣法案が国会に提出された。現時点では継続審議となっているが、1986年の労働者派遣法制定以来、規制緩和が重ねられたが、今回は規制強化へと大きく舵を切ったことになる。
 こうした動きの直接の引き金となったのは、おそらくは2008年6月、たまたま直前に派遣労働者であった青年が引き起こした秋葉原通り魔事件ではないか。そして、これを強く加速したのが2008年から2009年の年末年始に日比谷公園で開催された「派遣村」だろう。このイベントはそのタイミングのよさと演出の巧みさで世間の耳目を大いに集め、非正規労働や貧困の問題を社会にアピールすることに成功し、その意味においては有意義な取り組みであったのだろうが、そのいっぽうで派遣労働に対して「派遣労働→派遣切り→収入と住居の喪失→貧困」というネガティブで画一的なイメージを抜きがたく植え付けてしまったことも否定できまい。もはや派遣労働は「なにもしないことは政治的に許されない」ほどに話が大きくなっていた。
 しかし、実際には派遣労働者も多様であって、たとえば厚生労働省が2007年に実施した調査によれば日雇派遣で働く人の半数近く(45.7%)は今後も日雇派遣での就労を望んでいるという。同様に、製造派遣で働く人のすべてが派遣切りにあったわけでもないし、登録型派遣で満足度高く働いている派遣労働者も数多い。
 こうした中で、法改正による「原則禁止」は本当に派遣労働者のためになるのだろうか。疑問を呈する意見も多い。この本の著者は製造派遣を主力事業とする中堅人材派遣外者の経営者だが、その見解は「改正派遣法で官製派遣切りが始まる。」というこの本の副題に明らかだ。実際、リクルートワークス研究所の試算によればこの法改正で18万人が職を失う可能性があるという。
 もちろん、すべてではないにせよ、派遣労働に巷間指摘されるような問題点があることも間違いない。いったい、本当の問題はどこにあるのか。この本では、業界インサイダーの立場から、外からは見えにくい問題を指摘する。その内容は現場感覚に裏打ちされて説得力に富む。
 著者はまず、若者の就職がきわめて厳しい状況下におかれていた時期に、派遣がその受け皿としての役割を果たしたことを主張する。そして、経済・産業の現実をみれば、派遣労働なくして海外への技術流出は避けられないことを指摘する。改正派遣法が政党間の取引材料にされたことに憤るとともに、労働団体と派遣業団体との間での対話を通じて一定の前進がはじまりつつあることも紹介する。そして、著者自身の派遣した派遣労働者の事例から、派遣での就労が労働者のキャリアに有意義な貢献をなすことができることを訴える。ここでの著者の主張を一貫しているのは、「派遣は立派な働き方の選択肢であり、一律に『可哀相』と決め付けるべきではない」という信念だ。派遣労働が現に社会的に不可欠な存在にまで拡大している以上、いつまでも「直接雇用が原則だから」と派遣を例外扱いしているところに根本的な問題の一つがある。
 もう一つの根本的な問題は、実は業界内部にある。著者自身は、人材派遣業の社会的意義に誇りを持ち、社会のため、働く人々のために貢献すべく日々の経営に苦闘しているのだが、いっぽうですべての派遣業者がそういう存在ではないことも率直に認めている。金儲けのためには手段を選ばず、法や規制の抜け穴をくぐり、あるいは正面からそれに違反することも厭わないという悪質な派遣業者も決して少なくないのが現実なのだ。悪質業者の取り締まりはもとより、業界の自浄作用を高めていくことが求められる。
 そう考えると、今回の法改正には「官製派遣切り」と並ぶ大きな問題点があることがわかる。それは、著者の経営する企業のような「良質な派遣業者」が失われてしまいかねない、ということだ。これからの時代、もちろん公共職業紹介の必要性はなくならないが、人材ビジネスを通じた労働力需給調整の役割が高まることも確かだろうし、人材ビジネスそれ自体が雇用を生み出すことも期待されている。人材ビジネスを健全な産業として育成することこそが求められている現状において、良質な派遣業者を減らすような法改正を行うことが好ましいとはおよそ思えない。
 派遣法改正法案は、鳩山前首相退陣のあおりをうけて幸いにも継続審議となった。これを機に、あらためて派遣労働の位置づけや規制のあり方について頭を冷やして考え直してみる必要があるのではないか。この本が伝える現場の声は、十分な説得力を持ってそう思わせる。関係者必読の一冊であろう。