雇用保障と賃金水準

以前のエントリで書きましたが、4月2日に開催された経済産業研究所(RIETI)の政策シンポジウム「労働時間改革:日本の働き方をいかに変えるか」を聴講してきました。
テーマは「労働時間改革」、長時間労働をはじめとする「働き方」なのですが、さすがに昨今の雇用失業情勢を色濃く反映したものとなりました。RIETIのサイトで当日の資料が公開されています。
http://www.rieti.go.jp/jp/events/09040201/handout.html
ごらんのとおり内容は非常に豊富で、しかもなぜか資料のコピペができない設定になっていて、引用してのコメントはかなりつらいものがありますので、全体的な感想をひとつだけ書いておきたいと思います。
このシンポジウムでも「正規雇用非正規雇用の格差」が随所で指摘され、問題視されていました。「労働時間改革」というテーマにはダイレクトにはつながらないような気もしますが、たしかに「働き方」という面では、短時間労働が多く不安定で技能の蓄積が進みにくい非正規雇用と、長時間労働になりがちだが雇用は安定しキャリアも伸びていく正規雇用という対比で論点にしていくことも可能でしょう。
ただ、どうもその対比が「雇用保障」と「賃金水準」という2点のみにフォーカスされていて、肝心なはずの「働き方」、それと不可分の「仕事」「キャリア」といったものが捨象されていることには非常に大きな違和感を覚えました。
その代表例が、RIETIの重鎮、山口一男先生のこれです。

・日本型格差社会はどこかおかしい!
 日本:「正規社員=高保障、高賃金」
    「非正規社員=低保障、低賃金」
 アメリカ:「専門職・管理職=低保障、高賃金」
      「組合員労働者=高保障、低賃金」
http://www.rieti.go.jp/jp/events/09040201/pdf/1-C_Yamaguchi.pdf
(スライド22/22ページ)

資料には「蛇足」となっていますが、これはおそらく当日のテーマ「労働時間改革」との関係で付記されたもので、当日の発言ではここ(正確にはこのページ)が最大の強調点だったように思われます。
たしかに、私もこのブログでもたびたび書きましたが、雇用保障が強ければそれは柔軟性の面で企業にとっては高コストですから、その分は賃金が低くなるのが自然です(賃金で調整するとすれば)。逆にいえば、雇用保障が低ければその分のプレミアムが賃金に上乗せされるというのも普通の考え方と申せましょう。日本はそれが転倒しているわけですから「どこかおかしい」という感想が出てくるのも無理からぬところではあります。
それがひいては「おかしいから、なんらかの方法で修正しなければならない」という主張にもなるわけで、たとえばRIETIの鶴光太郎主任研究員もこう主張していました。

・使用者が有期雇用を選ぶ場合、雇用が不安定である分、なんらかのプレミアムを支払うことを義務付ける(賃金、雇用主負担の雇用保険料率上乗せ)→有期雇用が「コストの安い雇用」になるべきではない
http://www.rieti.go.jp/jp/events/09040201/pdf/Tsuru.pdf
(スライド14/17ページ)

ここで気になるのは、これはあくまで「他の条件が同じなら」という大前提のもとに成り立つ話ではないか、ということです。
実務的には、雇用保障も賃金水準も、総合的な労働条件のパッケージのひとつに過ぎません。ですから、労働条件全体の水準が決まれば、その中ではたしかに雇用保障と賃金水準(さらには労働時間、福利厚生、教育訓練などの他の労働条件の諸項目)にはトレードオフが存在します。今もやっているかどうか知りませんが、パナソニックがかつて「退職金制度はなく、その分が賃金に上乗せされる」という処遇を導入して話題になりましたが、これなどはトレードオフの典型でしょう。しかし、いっぽうで労働条件は当然ながら労働者の能力、貢献度や従事する仕事に応じて高くも低くもなります。極端な話、たとえば「この人が企画した商品は必ずヒットする」という非常に高い競争力を有する労働者に対しては、企業は最大の雇用保障と高額な賃金、十分な福利厚生を提供するでしょう。
つまり、日本企業が正社員に高保障・高賃金を提示するのは、それでも雇用したい人材だから、というのが第一の理由でしょう。ただ、これが逆に、高保障・高賃金である以上はそれなりの貢献をしてもらわなければ困る、ということで長時間労働や転勤などの問題につながる可能性もあるわけで、それをどうするか、というのが「働き方」の本来のテーマでしょう。長時間労働が求められるか否か、転勤が求められるか否かといったことも総合的な労働条件のパッケージに含まれてくるわけですから、本来ならそれらのトレードオフの中でさまざまな働き方・労働契約のバリエーションを設計・選択できるはずです。ところが、わが国の労働法制では「定年までの有期雇用」という非常に保障の高い契約か、「原則3年・例外5年以下」といった保障がかなり低い契約という、二極化した労働契約しか認められていないため…という議論になるわけですが、この先はこのブログでもたびたび書きましたので省略します。

  • ちなみに当日、非公式な意見交換の場で上記のような趣旨を申し上げたところ、あとから山口先生から「米国にも高保障・高賃金の人はいる」とのコメントを頂戴しました。

したがって、日本の非正規雇用についても「低保障・低賃金」は仕事内容や期待役割などとの関係で考える必要があり、また労働市場の需給の影響も受けるわけで、単純に雇用保障と賃金水準のみに着目して「不均衡」と論じるのも適切ではないと申せましょう。
いっぽうで、鶴先生が言われるように非正規雇用を「高くつく」ものにすることが、企業に対して「それなりの使い方」をうながすインセンティブとなる、ということは考えられなくもありません。雇用保険料もありうるでしょうし、契約期間に応じて最低賃金規制を変える(3か月以下なら1,000円、6か月以下なら900円とか)ことも考えられるでしょう。ただし、それが雇用者数や他の労働者の労働条件などにどのような影響を与えるかは十分に考慮しておく必要はありそうです。私としては、そんな不自然な方法をとるよりは、やはり繰り返し書いているように多様な雇用契約を可能にし、非正規労働者のキャリア形成を促進・支援するような政策をとることが好ましいと思いますが。