4月のメーデー

きのう連合のメーデーが開催され、そのもようが各紙で報道されています。3万人を超える参加者で賑わったということで、まずは盛会となってまことにご同慶です。

 連合の第80回メーデー中央大会が29日、東京都渋谷区の代々木公園で開かれ、約3万5880人(主催者発表)が参加した。厳しい雇用状況を反映して「労働者の使い捨ては許さない」とのスローガンが掲げられ、高木剛会長は「正規も非正規労働者も連帯し、労働者の生活と権利を改善し、立て直していこう」と訴えた。政府の雇用政策は不十分とし、雇用創出やセーフティーネット強化などを求める宣言を採択した。
 この日打ち出された要求は、低賃金や雇用不安、過酷な長時間労働解消と、労働者の権利が確立されず、不況だった1920年の第1回大会(5月2日)と重なった。
 中央大会後、公園内で開かれた非正規労働者問題を考えるシンポジウムには第1回の三つの要求「最低賃金の設定」「失業の防止」「8時間労働制の即時実現」が掲げられた。司会の連合非正規労働センター、龍井葉二総合局長は「第1回の要求は今抱えている問題と同じ」と苦笑した。
…会場には、非正規労動者の労働相談コーナーも設けられた。労組に属していない派遣社員の女性(29)は「契約は1カ月更新でいつ雇い止めになるかびくびくしている。無駄なお金は使わないようにして貯蓄しているけれど、何か対策はないかと思って来てみた」と話した。パネリストとしてシンポに参加した派遣村湯浅誠村長は「派遣村を言いだしたのは労組の人たち。労組は組合員でない人たちとも、同じ社会の担い手として一緒にやる方向に打って出るべきだ」と注文を付けた。
(平成21年4月30日付毎日新聞朝刊から)

第1回大会に目をつけたのはなかなかユニークな発想で、アピール効果は大きいものがあるかもしれません。ちなみに大原社研が提供している「大原クロニカ」によれば、第1回メーデーの参加者は約1万人で、「治警法第17条の撤廃・恐慌による失業防止・最低賃金制設定の3項目を決議,さらに8時間労働制・東京市電争議支援・シベリア撤兵などの緊急動議をすべて可決した」ということです。なるほど「恐慌による失業防止」というのは、けっこう現在に通じるものがありますね。
ときに、第1回メーデーで撤廃が決議された治安警察法17条はこういう内容のようです。

 左ノ各号ノ目的ヲ以テ他人ニ対シテ暴行、脅迫シ若ハ公然誹毀シ又ハ第二号ノ目的ヲ以テ他人ヲ誘惑若ハ煽動スルコトヲ得ス
 一 労務ノ条件又ハ報酬ニ関シ協同ノ行動ヲ為スヘキ団結ニ加入セシメ又ハ其ノ加入ヲ妨クルコト
 二 同盟解雇若ハ同盟罷業ヲ遂行スルカ為使用者ヲシテ労務者ヲ解雇セシメ若ハ労務ニ従事スルノ申込ヲ拒絶セシメ又ハ労務者ヲシテ労務ヲ停廃セシメ若ハ労務者トシテ雇傭スルノ申込ヲ拒絶セシムルコト
 三 労務ノ条件又ハ報酬ニ関シ相手方ノ承諾ヲ強ユルコト
 耕作ノ目的ニ出ツル土地賃貸借ノ条件ニ関シ承諾ヲ強ユルカ為相手方ニ対シ暴行、脅迫シ若ハ公然誹毀スルコトヲ得ス

この「第二号ノ目的ヲ以テ他人ヲ誘惑若ハ煽動スルコトヲ得ス」というのが事実上ストライキを禁止できる規定となっていたわけです。違反に対しては「一月以上六月以下ノ重禁錮ニ処シ三円以上三〇円以下ノ罰金ヲ附加ス使用者ノ同盟解雇又ハ労務者ノ同盟罷業ニ加盟セサル者ニ対シテ暴行、脅迫シ若ハ公然誹毀スル者亦同シ」という罰則も定められています(第30条)。この治安警察法第17条および第30条は、第1回メーデーの6年後の1926年に削除されました。
そのほかにも、「最低賃金の設定」「8時間労働制」についてはすでに実現しており、さすがにメーデーが80回を重ねる間の進歩は長足のものがあると申せましょう。もちろん、更なる進歩を常に追及し続けなければならないことも当然で、最低賃金の引き上げや労働時間の短縮もその重要な項目のひとつですから、メーデーであらためてこれを掲げるのももっともで、そういう意味では龍井氏の「第1回の要求は今抱えている問題と同じ」という感慨ももっともと申せましょう。というか、これが掲げられたのは「非正規労働者問題を考えるシンポジウム」だということですから、8時間労働制に関して言えば、むしろ非正規労働者の労働時間を延ばす、フルタイム化、ひいては正社員化といったことも今日的には重要な課題のひとつかもしれません。このあたりは、時代の変化によって労働運動の課題も変化しているということでしょう。たゆまぬ取り組みを期待したいものです。
いっぽう、「パネリストとしてシンポに参加した派遣村湯浅誠村長は「派遣村を言いだしたのは労組の人たち。労組は組合員でない人たちとも、同じ社会の担い手として一緒にやる方向に打って出るべきだ」と注文を付けた」というのは、連合としてこの注文を受けるべきかどうかは難しいところかもしれません。もちろん、労働運動がすべての労働者の連帯をめざすことは当然ですが、いっぽうで労働組合にとってはやはり「組織」が生命線であることも間違いないでしょう。そういう意味で、組織しないことを前提に「組合員でない人たちとも、同じ社会の担い手として一緒にやる」というのは、やはり運動論としては問題ではないかと思うわけです。もちろん、組織化するために「組合員でない人たちとも一緒にやる」というのは有効な運動ではあるわけですし、労働組合でない形態での連帯をめざす(?のかな?よくわかりません)湯浅氏の活動もありうるものでしょうし、それと労組が協同することもありうるのかもしれませんが。あまり硬直的・教条的に考えるべきではないでしょうが、組合員でない人たちとも一緒にやっているから組織率は低くてもかまわない、という考え方では交渉力の低下は免れないのではないでしょうか。ここは連合にはおおいにがんばってもらいたいところです。