脇坂明先生

本日の日経「経済教室」に、「歌う労働経済学者」脇坂明学習院大教授が登場しておられます。日経新聞のつけたお題は「若年・中高年の最適構成を 人材定着で技能継承 職探し、適性や経験重視で」というもので、脇坂先生が女性労働と関係の薄い分野で登場されるのは珍しいですね。ちなみにこれは「雇用創造 拡大するミスマッチを断つ」というシリーズの(上)らしいのですが、ミスマッチを断ってしまったらますますマッチングしないのではないかというのは無粋なツッコミというものでしょうか。
さて脇坂先生の論考はたいへん参考になるもので、備忘的にコメントしておきます。以下は一部のご紹介となりますので、ご関心の向きはぜひ全文におあたりください。

…背景には、企業が若年者や60歳代の労働者を雇用しようとしないことにある。その理由を考えよう。
 まず高年者の雇用から考える。そもそも定年制が必要とされるのは、後払い賃金構造のためである。後払い賃金構造が必要とされるのは、企業が労働者の働きぶりを完全には把握できないという情報の不完全性の存在と、働くインセンティブを高めるためである。ただし、賃金の後払いがどの程度生じているかを計測することは困難である。
 また、加齢などにより能力やスキルが落ちるから定年制が必要だという議論をする人もいる。しかし、仮に加齢によりスキルが低下するとしても企業としては賃金を下げればよいだけで、一定年齢で一律に解雇する必要はない。
 しかも、加齢により能力が落ちるかどうかに関する多くの先行研究によれば、「低下しない」あるいは「上昇する」というものが多い。もちろん筋力や体力は落ちるが、対応力や判断力、そして一般的に技術や技能の熟練については「上昇」あるいは「上昇後一定」とする調査が多い。
 以上のことから、定年が存在するのは、労働者の能力をきちんと評価できないことが主たる理由であろう。
平成23年7月19日付日本経済新聞朝刊「経済教室」から、以下同じ)

「加齢によりスキルが低下するとしても企業としては賃金を下げればよいだけで、一定年齢で一律に解雇する必要はない」というのはそのとおりです。現実にも2003年の高齢法改正以前から定年後再雇用は多くの企業で行われてきました。定年に達すると全員いったん退職して選択的に再雇用されるというやり方がとられてきたのは、後払い的な賃金制度の適用をやめて賃金を下げる際には定年退職・再雇用という形をとったほうがやりやすいという主に実用上の理由によるものと思われます。
ただ、定年制の存在理由を「労働者の能力をきちんと評価できない」ことだけに求めることはやや一面的という感はあります。定年制には雇用調整のツールという意義もあるからで、現行改正高齢法施行前には、たとえばリストラで希望退職を募集しているようなときには、定年後再雇用も行われないことが多かったでしょう。あるいは、定年前は管理監督者だった人に定年後は後進にポストを譲ってもらい、専門職として再雇用するといった対応も普通に行われており、それをよしとする人しか再雇用しないという企業も多くあったでしょう。

…企業が高年者と若者を比較して採用しているのか、要するに両者が競合関係にあるかどうかが注目されている。競合するかどうかは、その企業における従業員の採用・育成方針で決まる。
 まず、即戦力の従業員採用を優先する企業を考えよう。高年者の賃金が低ければ、若者は採用しない。60歳定年以後、継続雇用される高齢者が多いが、その賃金は定年退職時の約半分になる。もし月給40万円が20万円となり若者の初任給と同じだとすれば、一般的には高年者の経験に基づく技能の方が高いので、若年者は雇わないであろう。一方、高年者の賃金が年齢とともに下がらないか、下がっても若年者より高いときは、若年者を採用しようとする。
 次に、中長期的な人材育成を優先する企業であれば、相対的な賃金水準にはよらず、将来伸びる人材つまり若者を採用しようとする。そのときの企業の成長見込みの度合いにもよるが、中高年者が少なければ多く採用しようとするであろうし、相対的に中高年者が多ければ(そして定年などで退職するまで時間がかかるとすれば)、若者を少なくしか採用しない。

ということは、現在多くの企業で行われているように、60歳で大幅に賃金を減額して再雇用し、それが技能レベルと比較して割安であるのであれば企業は若年を採用しようとしない。また、多くの日本企業がそうであるように人材育成を優先する企業においては、定年延長などで高年齢者雇用を増やすと若者の採用は少なくなる。いずれにしても、高年齢者雇用研究会の提言に沿った法改正を行えば、若年雇用には悪影響があるだろうということになります。そのいっぽうで、

 若者と高年者の競合関係は単純ではない。ドイツやフランスの企業で実施されたワークシェアリング(仕事の分かち合い)で、早期退職により若者の雇用を増やそうとした試みがあったが、結果的には独仏ともに成功とはいえなかったようだ。この2国の男性ホワイトカラーの勤続年数や賃金カーブは、わが国と質的に異ならない。年功賃金ゆえに、中高年者の雇用が減れば若者の雇用が増えるという図式は当たらない。

これは事実そのとおりです。まとめれば、中高年の雇用を減らしても若者の雇用は増えないが、中高年の雇用を増やせば若者の雇用は減るということになるでしょう。

 ただ、60歳代の雇用が増えても、新規学卒者はなおも企業の人材確保の手段として主要な役割を果たしている。企業が将来の展望を持って人材を育成し、長期的な目標を達成するためにも、短期の経済情勢にとらわれることなく、計画的に新規学卒者を採用していくことが重要である。
 年齢のミスマッチだけでなく、新規学卒者の求職と採用については、企業規模の間のミスマッチがみられる。企業規模が小さい事業所ほど採用予定数を増やそうとしているのに対し、新規学卒者は大企業志向である(10年版労働経済白書)。
 大企業は不況期に若年採用を絞り、壮年層中心で高年者に冷たい。これに対して、中小企業は即戦力志向から中高年者中心になることもあるが、おおむね新卒は欲しくともとれず、結果として中高年者が中心で、とりわけ60〜70歳代の「雇用の受け皿」となっている。

そのとおりなのですが少々敷衍しますと、大企業と中小企業では50歳代後半の雇用管理にかなりの違いがあることには留意が必要です。仮に50歳代後半で能力が低下したり陳腐化したりした場合に、大企業の多くは配置転換などを行って、低下した能力でも対応できる仕事に就けることで定年までの雇用を確保しようとします。それに対して、中小企業ではわざわざそのような対応をとることがそもそもできないことが多いだろうことは容易に想像でき、解雇といった話になる前に労働者のほうから退職していくのが現実ではないでしょうか。したがって、中小企業が「とりわけ60〜70歳代の「雇用の受け皿」となっている。」としても、それはあくまで元気に働ける60〜70歳代の受け皿となっているにとどまり、衰えてしまった人の受け皿として機能しているかどうかは疑問と考えざるを得ないでしょう。

 若者は企業規模にとらわれることなく、自らの適性に照らしつつ職業を選択することが大切である。高年者は過去の経緯にとらわれず、今までのスキルを生かせる場所を企業の内外で見つけることが必要だ。中長期的に全体としては労働力人口が急激に減少するので、企業が競争力を向上できるか否かは、中高年者のスキルを若者に継承する仕組みを今以上に確立し、人材を育成し定着させられるかにかかっている。

これもそのとおりで、特に「高年者は過去の経緯にとらわれず、今までのスキルを生かせる場所を企業の内外で見つけることが必要」だという指摘は重要です。「60歳定年まで働いてきた企業で60歳以降も」という限定的な考え方では、定年後の人に適切な仕事を十分に確保することは難しいでしょう。もちろん確保できる分は提供していくわけですが、前述したとおり組織を持続していくためには限られたポストを後進に譲ってもらうことも必要になりますし、55歳で衰えてしまった人が就いている仕事は、その人が60歳になった時点では、やはり55歳で衰えてしまった5歳年下の人に譲ってもらわなければならないということもあるでしょう。
こうしたことを考えれば、60歳まで働いていた企業に65歳まで全員面倒を見させるという発想では明らかに不十分であり、それ以外の企業、あるいは公務やNPOといったものまで幅広く視野にいれて働く場を確保していく取り組みが必要でしょうし、働く場の見つからない人に対する就労支援や生活支援も検討する必要があるでしょう。