2.1倍の背景

きのうの夕方、クルマでの移動中にNHKラジオを聞いていたら、報道番組(「私も一言!夕方ニュース」という番組らしい)で非正規雇用問題が取り上げられていました。最近発表された「正規雇用の収入が非正規雇用の2.1倍」という調査結果をもとに、街頭インタビューや有識者コメントなどが放送されていました。残念ながら最初の10分くらいを聞いたところで目的地に到着してしまい、その先を聞いていないので見当はずれの意見になるかもしれませんが、それにしても非常にずさんな報道ぶりで驚きを禁じ得ませんでした。
まず、元ネタのニュースをNHKのサイトからコピペしておきます。

 社会の格差をテーマに、10年に1度全国規模で行われている社会学調査の最新の結果がまとまり、正規雇用非正規雇用という雇用形態の違いだけで、収入に2倍以上の格差が生まれていることがわかりました。
 この調査は、職業や学歴などによる格差をテーマに、 社会学者のグループが、10年に1度、全国規模で行っているもので、最新の平成17年の調査では、初めてパートや派遣社員などの非正規雇用の問題に焦点を当てました。
 大手企業の社員や工場で働く人などさまざまな職業の5700人余りを対象に調べたところ、正規雇用非正規雇用で収入に2.1倍の格差が生まれていることがわかりました。
 これまで非正規雇用の収入が低いのは、女性や若者が多いためだという指摘もありましたが、今回の調査では、性別や年齢などの要因を取り除いて統計学的な分析をしており、雇用形態の違いだけで、大きな収入格差があることが裏付けられました。
 また、最終学歴が高くない人ほど非正規雇用になりやすく、平成4年以降では、高校中退を含めた中学卒業の人が、非正規雇用で働く確率は高卒の人の2倍、大卒の人の3.8倍に上ることや、いったん非正規雇用になると、なかなか正規雇用の仕事に就けないこともわかりました。
 調査グループの代表で東北大学文学研究科の佐藤嘉倫教授は「雇用形態の違いだけで、収入に差が出るのは社会正義に反する。非正規雇用という新たな階層が生まれ始めているとも言え、政策的改善が必要だ」と話しています。
http://www3.nhk.or.jp/news/2008/04/06/k20080406000103.html

 運転しながら聞いていたのでウロ覚えもいいところなのですが、記憶するかぎり、まずはアナウンサーが「正規雇用非正規雇用という雇用形態の違いだけで、収入に2倍以上の格差が生まれている」ことを紹介し、続けてこれに関する街頭インタビューが紹介されていました。
正規雇用非正規雇用の収入がどのくらい違うと思いますか、と問われて、
「えーと80%くらい?70%くらいですか?えー2.1倍!本当ですかぁ?」といった感じの若い女性(複数っぽい)らしき声や、「そりゃ2倍以上はひどいんじゃないかなぁ、まじめに働いているんだったら、7割か8割は払ってやらないとかわいそうじゃないか」といった中高年男性らしき声などがあったと思います。
続けて、佐藤嘉倫氏ご自身と解説委員の五十嵐公利氏が登場して、佐藤氏が「世間では日本には階層はないと思われているかもしれないが自分たち社会学者では日本に階層があるというのは常識だ。しかもそれは固定化に向かいつつある」といったような社会学者らしいコメントをしていました。
で、実はここまでしか聞いていない(笑)ので、その後はきちんと放送されたのかもしれませんが、まあここまで聞いたかぎりそんなことはなかっただろうと思います。まことにずさん、かつミスリーディングな報じ方で、世論誘導の意図があるのではないかとすら思えてしまいます(NHK第一にそんな影響力はないでしょうが)。
しかし、こうした街頭インタビューは事実の正確な理解のもとに回答されているのかどうか、はなはだ怪しいものがあります。上記ニュースにもありますし、番組中でもアナウンサーが再三にわたり「正規雇用非正規雇用という雇用形態の違いだけで」と強調していました。まあ、街頭でマイクを突きつけられてそう聞かされれば、「2.1倍は大きすぎる」という答になるのは自然な成り行きで、そういう答を引き出したいならこういう聞き方をするのが賢い作戦かもしれません。
とはいえ、本当に「雇用形態の違いだけ」なのかどうかはかなり疑わしい感じがします。佐藤嘉倫氏が代表ということなので、この調査はどうやら2005年SSM調査らしいことは見当がつくのですが、インターネット上でざっと探した範囲ではこの調査結果に関する報道は上のNHKのニュースだけのようですし、調査票などの具体的な中身も私のような素人が簡単にアクセスできるような形では公表されていないようで、これまたはっきりしないのですが、それにしてもhttp://www.sal.tohoku.ac.jp/coe/ssm/all_1st.htmに掲載されている調査結果概況をみるかぎり、ここでいう「収入」はどうやら「年収」のことらしいと見当がつきます。
となると、一応性別と年齢はコントロールされているようですが、労働時間はコントロールされているのか、という疑問が即座に浮かびます。極端な話、労働時間が2.1倍なら年収が2.1倍でも「えー本当ですかぁ」とか「かわいそうじゃないか」という反応にはならないでしょう。番組では一貫して「収入」という言葉を使い、「年収」かどうかはわかりませんでした。ただ、労働時間をコントロールした結果なら「年収」ではなく「時給」などの言葉を使いそうなものなので、私は意地悪くも「年収であることがバレないように「収入」と言ったのではないか」と邪推しています。
また、人事屋であれば当然ながら仕事の内容なども気になるところです。そもそも、正規と非正規では産業別の構成が異なっていることは容易に想像できますし、となれば産業別の賃金水準の違いが年収差に反映されるはずですが、これはコントロールされているのでしょうか?さらに、正規と非正規には技能水準に相違があるだろうこともこれまた容易に想像できますが、これはそもそも観測不能な部分が多く、それでもなお就業上の地位や経験年数などをコントロールして分析しようという試みも多いわけですが、この調査結果はこうした部分をどう取り扱っているのでしょうか?
これらの観点を考慮せずに、性別と年齢をコントロールした「平均」を比較して差があるとかないとか、大きいとか小さいとか議論してもほとんど無意味なはずで、他人に意見を求めるならそのあたりをはっきりさせて質問すべきだと思うのですがどんなもんなんでしょうか。回答するほうも回答するほうで、その2.1倍というのは年収なのか時間単価なのか、はっきりせい、という回答者はいなかったのでしょうか。まあ、いたとしてもそんな都合の悪い奴はカットされてしまうのでしょうが…。
もっとも、「正規」「非正規」は労働時間の違いも産業や業務や技能の違いもすべて包含した概念だ、という考え方は十分ありうると思います。そう考えれば、年収格差2.1倍も「雇用形態の違いだけ」と言ってもいいでしょう。実際、社会学者からすれば本当に関心があるのは年収格差が何倍かといった問題よりは、非正規の子女は非正規になる確率が高いとか、非正規の子女が正規になる可能性が低下しているなどといった社会移動の問題や、ニュースにあるような「最終学歴が高くない人ほど非正規雇用になりやす」いなどといった学歴格差の問題でしょうから、その点では正規と非正規で労働時間や技能が違うなどということはさほど気にする必要はないというのももっともな話です。
で、ニュースで佐藤嘉倫氏が「雇用形態の違いだけで、収入に差が出るのは社会正義に反する。非正規雇用という新たな階層が生まれ始めているとも言え、政策的改善が必要だ」と述べているのも、「いかに雇用形態によって労働時間や仕事内容や技能水準に違いがあるとはいっても、そもそもどんな雇用形態になるのかは生まれおちた家庭環境などに左右される部分が大きいのだから、それで差がでるのは社会正義に反する」と憤慨しているのでしょう。これは社会学者にありがちな(私の偏見です)価値観で、なにをもって社会正義とするのかは人によっていろいろな考え方があっていいのだろうと思います。
ただ、NHKの報道姿勢はことさらに「雇用形態の違いだけ」「2.1倍」ばかりを強調し、あたかも労働時間も仕事内容も技能水準もすべて同等であるかのような誤解を与えているように思われました。何度も書きますが聞いたのは最初の10分だけなのでその後の議論がどうなのかはわかりませんが、平均で2.1倍という数字だけをみて、背景をみずに議論するのは不毛なように思います。