こんな会社に入ったらたいへんだ

きのうは赤木智弘氏のインタビュー記事を取り上げましたので、バランスを取る意味もふくめて(笑)同じ週刊ダイヤモンドの特集「働き方格差」の中にある渡辺美樹ワタミ社長兼CEOのインタビュー記事のうち、後半のニート・フリーターを論じた部分を取り上げます。赤木氏の記事は情においては理解できる部分もそこそこありましたが、こちらはもう勘違いと思い上がりと手前勝手と独善のカタマリのようなひどい代物で、こういうのを見ると、赤木氏の怒りと嘆きももっともだと感じます(ちなみに前半は外国人雇用の話なのでスキップします)。

ニートやフリーターが増加し、正社員の椅子が得られないことが問題視されているが、それは彼らが人を必要としていないところにアプローチしているからではないだろうか。この国に働くところはたくさんある。要するに需給の問題で、労働集約性の高い業界ではいくらでも人を必要としている。
(「週刊ダイヤモンド」第4219号(2008年3月8日号)から、以下同じ)

だったら、ワタミでアルバイトを使うのはやめて全員正社員にしてくださいよ。
ニートやフリーターのなにが問題かというと、彼ら彼女らが技能を蓄積しキャリアを形成できるような有意義な仕事につけないことで、それは本人だけの問題ではなくて、将来の日本を支えるべき人材が育成されないのは国家経済・社会にとっても大きな損失なんです。「選ばなければ職はある」ですむ話じゃないんです。正社員がすべてよくて非正規が全部ダメということはもちろんありませんが、それにしても正社員の有効求人倍率はいまだに0.6倍程度で、もちろん非正規からの転換が増えているので状態はこの数字以上によくなっているとは思いますが、それにしても決して「働くところはたくさんある」で片付けられるような状況ではありません。
まったく、なにもわかってない。奥谷禮子さんにしてもそうだけど、こういうバカが露出するから困る。こういうバカが露出するもんだから、世の中の企業経営者が全員こういうもんだという誤解が蔓延する。大多数の経営者、働き方や労働条件を改善して従業員の意欲を高め、人材育成を進めようとしている経営者たちにとってはまことに迷惑な話ではなかろうかと思います。

 企業がニートやフリーターを助けるというのはナンセンスだ。なぜなら企業は必要な人材を必要なだけ採り、最適な組織をつくり付加価値を生み出すことを社会と株主から要求されている。必要な人員しか企業は採用できない。企業は救済機関ではない。ただ、国が職業訓練施設を造ったりサポートすることは必要だろう。こうしたセーフティネットをしっかりとつくることが、自由主義社会の大前提だ。

いやまあそうなんですが、それにしてもずいぶん冷淡な言い方で、よほどニートやフリーターがお嫌いなようで。しかし、ワタミの店舗はフリーターの存在なしには成り立たないと思うのですが。たしかにそれほど希少な技能は必要としないかもしれませんが、それにしても調理や接客といった飲食店の基幹的業務はそれなりにフリーターに依存しているはずで、こうまで冷淡にいうのはどうかと思うのですが。あるいは、渡辺社長はワタミのアルバイトが確保できない、あるいは定着が悪いことにいら立っておられるのでしょうか。「必要な人員」というのが安い時給で文句を言わずにせっせと働くアルバイトで、それを喜んでやらないニートやフリーターはけしからん、ということなのでしょうか。まあ、安い時給で働くアルバイトを相当数必要としていることについては、それはそれで世間のニーズに応えるビジネスを展開しているのですからあれこれ申し上げることはしませんが、必要としているんだったらもう少し大切にしてあげたほうがいいと思うのですが。

 解決策の一つは、職業観や働くことのすばらしさを伝えることを教育機関が担うことだ。
 今の若い人たちには「キツイ仕事はやりたくない」という論理が通用してしまう。働かなくても、ある程度は生きていける。日本が豊かになったからだろう。だが、働く意味や仕事をすることで得られるもののすばらしさは、中学・高校で伝えていかなければならない。
 今の子どもたちは、勉強する目的が大学に入学することになっている。将来の夢が描けていないのだ。私が理事長を務める郁文館夢学園では、各界で活躍する社会人を招いて、職業観を生徒に伝えてもらっている。それによって、子どもたちは社会にはどのような仕事があるのか、どのような役割を担っているのかを理解し、それによって自分はどのような勉強をすればいいのかをつかむようになる。やりたい仕事や夢からブレークダウンして中学・高校の勉強に励むことが大切だ。今までは逆だったし、今の教育機関にはそうしたノウハウがないことも問題だ。
 「よい大学に入りたい」という概念を壊すことが、職業観を持たせることの第一歩だろう。(談)

「働くことはすばらしい」なんて教室でさんざん説教されるよりは、現実にすばらしい仕事で働くほうがよほど「働くことのすばらしさ」を知ることができると思うのですが。「キツイ仕事はやりたくない」なんて当たり前すぎるくらい当たり前の話で、それでは昔の人は楽な仕事よりキツイ仕事のほうを喜んでやっていたかといえばそんなことはないでしょう。ありていに申し上げて、キツくて賃金も低い仕事を喜んでやる人は今も昔もめったにいないでしょうが、キツいけれど賃金が高い仕事なら喜んでやろうかという人もいるかもしれません。
で、キツイけれどお客様に喜んでもらえて、処遇もそれに見合った仕事になると、かなり「すばらしい」仕事になってきます。キツイけれど熟練すればかなり楽にできるようになり、さらに経験を積めば監督者になれ、さらにがんばれば管理職になれる可能性もあり、労働条件も最初は低くてもだんだん上がっていく、そういう「すばらしい」仕事であれば、最初はキツくて賃金が低くても意欲をもって働けて、「働くことのすばらしさ」なんて誰に言われなくてもわかるでしょうし、職業観だってしっかりと身につくでしょう。そして、たとえば自社製品が売られていたり使われていたりするのを見たりすると、自分の勤務先は社会の役に立っているのだ、と誇りを感じるようにもなるでしょう。そういう「すばらしい仕事」に就けない若年が多いことが問題なんですよ。まあ、ニートもフリーターも多様でしょうから、中には本当に怠惰なニートやフリーターもいるかもしれませんし、仕事に高望みして世の中に文句ばかり垂れているフリーターもいるでしょうし、あまり現実的でない夢を追ってフリーターを続けている人もいるでしょう(それらはそれらで自由です)。とはいえ、大半のニートやフリーターは昔の若年とそう違っているわけではなく、有意義な仕事にありつけばそれなりにしっかり仕事をしていける人たちのはずです。実際、たしかに離職も多いですが、それは適職探しの過程ではある程度避けられないわけで、いい仕事に就けた若年の多くはしっかり働いているわけですから。
渡辺氏の大学入試不要論は有名ですが、それにしても大学で勉強したい人が大学に入るために勉強するのがいけない、というのは、間違っているとまでは申し上げないにしても、いかにも独善的でしょう。これは今まで散々書いてきたので詳しく繰り返すことはしませんが、「やりたい仕事や夢からブレークダウンして中学・高校の勉強に励むことが大切だ」と言われても、中学生の段階で「やりたい仕事」を一つに決めるというのは無理に決まっています。渡辺氏は子どものころに将来は社長になると決め、大学も商学部に進まれたとのことなので、ご自身の成功体験をもとにしたご意見かもしれませんが、渡辺社長のような立志伝中の偉人は格別、一般ピープルは中学生のときに「やりたい仕事や夢からブレークダウンして中学・高校の勉強に励め」と言われても困るでしょう。まあ、渡辺氏の学校は一般ピープルではなく、そういうことができるエリートのためのものなのかもしれませんが。
もう一度書きますが、ホント勘違いと思い上がりと手前勝手と独善のカタマリで、ワタミグループはブラックで有名ですが、さもありなん。こういう経営者のもとで働く人はたいへんでしょう。これももう一度書きますが、こういうバカが露出するもんだから、世の中の企業経営者が全員こういうもんだという誤解が蔓延する。勘弁してほしいもんです。
ちなみに、この特集には企業経営者がもう2人登場していて、日本郵船草刈隆郎会長のインタビューも紹介しておきましょう。こちらは渡辺氏とは異なり、一般的な企業経営者の意見という印象です。

 少子高齢化のなかで人口が減少していくことへの対応は、将来に向けた大きな宿題だ。多様な働き方の模索や、年功型賃金など日本型の雇用システムの見直しをしていく必要がある。
 なかでも、若年者の就労機会の拡大は喫緊の課題だ。また、子育てがきちんとできるかたちでの女性活用の施策も、諸外国と比べて完全に出遅れている。彼らを巻き込んだ「全員参加型」の社会に変えていかねば、日本の労働人口は持たない。
 それには、年齢や勤続年数にとらわれない賃金制度など、企業側が仕組みを整備する余地は大きい。中途採用者と在籍者の処遇の公正性が図られ、誰もが公平にチャレンジできる状態が望ましい。
 ただし、多様な人材の活用を考えるとき、フルタイムの長期雇用は引き続きコアだが、それ以外の多様な働き方も広がっており、仕組みづくりが必要だ。
 “正規・非正規”という言い方はよくない。「正規」にはエラいというニュアンスがある。
 長期雇用を望む人に対しては、特に就職氷河期に就職できなかった若年者などを、企業が戦力になると思えば積極雇用していくのは責務でもある。
 一方で、期間従業員やパートタイム従業員、派遣社員のなかには、長期雇用をあえて望まない人もいる。どのような人材にどのような仕事で活躍してもらうか、またその処遇は企業によって異なり、個別の労使の知恵に委ねるべきだ。
 多様な働き方を受け入れられる賃金・評価制度の見直しは、労使にとって重要な論点である。ただし、一部有識者が提唱する職種別同一賃金論には反対だ。事業所や企業が違えば、生産性も異なる。立地や時期が異なれば、労働需要も変わる。企業内労使関係が日本の特徴で、職種横断的な賃金制度はうまく機能しない。仮に実現すれば、労働市場が職種で分断されて、流動性低下が予想され、望ましくない。(談)

人事屋の立場からもまったくそのとおりという主張で、ついでにいえば経団連の「経労委報告」の主張とも同じです(笑)。ということは、たいがいの経営者はこんなふうに考えている、ということでしょう。
なお、ニート・フリーター問題からは離れますがこの記事に関係してちょっとだけ脱線。これについては以前にずいぶんたくさん書いたので繰り返しませんが、「職種横断的な賃金制度はうまく機能しない。仮に実現すれば、労働市場が職種で分断されて、流動性低下が予想され、望ましくない」という指摘は注意が必要です。つまり、日本ではたしかに企業間の流動性は高くないかもしれないが、企業内での流動性、たとえば職種変更や、あるいは新規事業分野への人事異動といった流動性は高い。職種別賃金にしてしまうと、異なる職種や事業分野への移動は逆に妨げられるのではないか、というわけです。もちろん、職種別賃金でも職種を変わってはいけないわけではなく、変わったら変わったでその職種の賃金を受け取ればいいわけですが、それは現行の企業別賃金でも似たようなものでしょう。となると、職種別賃金になることで企業内の流動性が低下する可能性があるならそれは困る、というのは、企業経営者の立場からはいたって当然の考え方かもしれません。