規制改革会議に対する厚生労働省の言い分(1)

ブログのキャッチアップをはかるべく、次なる連載シリーズ行きます。今回の材料は、昨年末(12月28日)に厚生労働省が発表した「規制改革会議「第2次答申」に対する厚生労働省の考え方」という文書です(http://www.mhlw.go.jp/houdou/2007/12/dl/h1228-4a.pdf)。
これがどういう文書かというと、「今回の「第2次答申」のうち、「具体的施策」に盛り込まれた事項については、これまで、厚生労働省としても規制改革会議側と真摯な議論を重ねてきた結果得られた成果であり、その着実な実施を行ってまいりたい。」としつつ、具体的施策にまで到達しなかった「「問題意識」に掲げられている事項については、その基本的な考え方や今後の改革の方向性・手法・実効性において、当省の基本的な考え方と見解を異にする部分が少なくない。」ということで、「第2次答申」が公表されるに当たり、「当省とは異なる主な主張を整理し、これに対する当省の考え方を公表することとしたものである。」ということなのだそうです。照会先は厚生労働省政策統括官付社会保障担当参事官室、労働政策担当参事官室となっていますが、ここでは労働分野をみていきたいと思います。

【規制改革会議の主張(抄)】
労働市場における規制については、労働者の保護に十分配慮しつつも、当事者の意思を最大限尊重する観点から見直すべきである。誰にとっても自由で開かれた市場にすることこそが、格差の是正と労働者の保護を可能とし、同時に企業活動をも活性化することとなる。
 一部に残存する神話のように、労働者の権利を強めるほど、労働者の保護が図られるという安易な考え方は正しくない。
厚生労働省の考え方】
○ 一般に労働市場において、使用従属関係にある労働者と使用者との交渉力は不均衡であり、また労働者は使用者から支払われる賃金によって生計を立てていることから、労働関係の問題を契約自由の原則にゆだねれば、劣悪な労働条件や頻繁な失業が発生し、労働者の健康や生活の安定を確保することが困難になることは歴史的事実である。
 このため、他の先進諸国同様、我が国においても、「労働市場における規制」を規律する労働法が、立法府における審議を経て確立されてきたものと理解している。
○ もとより、その規制の内容については、経済社会情勢の変化に即し、関係者の合意形成を図りつつ、合理的なものに見直されるべきではあるが、契約内容を当事者たる労働者と使用者の「自由な意思」のみにゆだねることは適切でなく、一定の規制を行うこと自体は労働市場の基本的性格から必要不可欠である。
○ 同様の理由から、「一部に残存する神話」、「安易な考え方」といった表現も不適切である。

厚労省の言い分はもっともなのですが、「労働関係の問題を契約自由の原則にゆだねれば、劣悪な労働条件や頻繁な失業が発生し、労働者の健康や生活の安定を確保することが困難になることは歴史的事実」に対しては規制改革会議のほうもすでに「労働者の保護に十分配慮しつつ」と言っていますし、「契約内容を当事者たる労働者と使用者の「自由な意思」のみにゆだねることは適切でなく」についても、規制改革会議はもともと「当事者の意思を最大限尊重」と書いていて、「のみ」と言っているわけではありません。程度問題というのはわかるのですが、いささか噛み合っていないような。
「「一部に残存する神話」、「安易な考え方」といった表現も不適切である。」というのも、たしかに表現としてはいささか情緒的であまり適切なものとも思えませんが、上記の事情を考えると、「同様の理由から」というのは「労働者の権利を強めるほど、労働者の保護が図られるという安易な考え方は正しくない」という規制改革会議の主張への反論にはなっていないと思います。

【規制改革会議の主張(抄)】
○ 無配慮に最低賃金を引き上げることは、その賃金に見合う生産性を発揮できない労働者の失業をもたらし、同時に中小企業経営を破綻に追い込み、結果として雇用機会を喪失することになる。
厚生労働省の考え方】
最低賃金は、最低賃金法に基づき労働者の生計費及び賃金並びに通常の事業の賃金支払能力を考慮して定められるものである。これらの考慮要素に照らして必要がある場合には、最低賃金の引上げが必要であり、また、こうした観点からの引上げは、直ちに労働者の失業をもたらすものではないと考える。

これもいまひとつ噛み合ってなくて、規制改革会議は最賃引き上げが一切ダメと言っているわけではなく、「無配慮に」上げることを問題視しているのに対し、厚労省はいわば「配慮しているから大丈夫」と言っているようなものでしょうから、「当省の基本的な考え方と見解を異にする」というほどのこととも思えません。