「なんとなく」の議論はそろそろやめませんか

日経新聞経済教室欄の「ゼミナール」では、現在みずほ総研による「少子化労働市場改革」という連載が進行していますが、昨日掲載された第4回にこんな記述がありました。

 正社員と非正社員の間に賃金格差があっても、両者の職務内容や責任の重さなどに違いがあり、その違いからみて妥当な賃金格差であれば問題はない。しかし、実際には正社員と同様の業務を担当し、正社員とほとんど変わらない働き方をしている非正社員であっても、正社員との間で賃金格差が生じていることがある。また、正社員と非正社員の業務内容が違っても、その業務内容の差以上に賃金格差が大きい例もある。
(平成19年10月30日付日本経済新聞朝刊「ゼミナール」から)

「実際には正社員と同様の業務を担当し、正社員とほとんど変わらない働き方をしている非正社員であっても、正社員との間で賃金格差が生じていることがある」そりゃそうでしょう。働き方が「ほとんど変わらない」のであれば、わずかなりとも違うところはあるということで、であればそれに応じて賃金格差があるのが当然というものでしょう。「同様の業務」「変わらない働き方」などと簡単に言いますが、「同様」であってもなんらかの違いがあれば格差があって当たり前。
「正社員と非正社員の業務内容が違っても、その業務内容の差以上に賃金格差が大きい例もある」自身満々に断言してますが、「業務内容の差以上に賃金格差が大きい」なんて誰がどう判断したんですか。みずほ総研様のエコノミスト様が神のごとき叡智をもってご宣託をくだされたのでしょうか。一例だけでいいですから、業務内容の異なる正社員と非正社員を連れてきて、この正社員のこの業務内容とこの非正社員のこの業務内容なら格差はいくらが正しい、ということを、だれもが納得がいくように科学的・論理的に立証してみせてほしいものです。
現実には、この業務内容(やらほかのさまざまな条件のあれこれ)であればこの賃金であることが正しい、なんてことは神ならぬ人間の誰にも決めることはできないわけで、結局のところは労働市場の需給関係や、団体交渉で決めるしかないわけです。そうやって決まった賃金には当然格差がありますし、同じ人が同じ仕事をしていても時がたてば価格が変わることもがあるでしょう(多くの場合は技能が陳腐化して価格が低下しますが、そうでないこともあるでしょう)。もちろん、労働市場や団体交渉で決まった賃金が疑いなく正しいかといえば決してそんなことはないわけで、各企業は仕事などに応じた賃金水準・賃金格差が業績への貢献度など(これも企業によって考え方はさまざまですが)を適切に反映し、働く人が意欲を持って働くことができるように決まるよう、あれこれと賃金制度を変更してみたり、評価制度をいじってみたりと、苦労をしているわけです。その結果として決まってきた賃金の水準だけをみたときに、たしかに非正社員の賃金水準が低すぎるように見えることもあるかもしれませんが、だからといって「なんとなく」業務内容の差以上に賃金格差が大きい、などと言ってもらっては困るわけです。もちろん、人事担当者だって神ならぬ人間がやっているわけですから、「業務内容の差以上に賃金格差が大きい」ということも現実にはたくさんあるだろうと思います(逆に、差以上に格差が小さいことだってあると思います)。ただ、外部の無責任な第三者が気軽にあれこれと論評できるようなものではないということは申し上げたいわけで。
ですから、職業生活の全体にわたってまったく同じ業務をまったく同じように担当し(キャリアがまったく同一で)、まったく同じように能力を向上させ、まったく同じ生産性でまったく同じ成果をあげてきているという人が二人いて、片方が正社員で片方が非正社員で、現に賃金の格差が生じている、という事例があれば、それは私としても賃金が同じでなければおかしい、と考えると思います。

  • もっとも、正社員のほうが親から巨額の遺産を相続してプール付きの家で家事使用人を3人使っているのに対し、非正社員のほうは母子家庭で子ども3人を扶養し、身障者の老母を介護かつ扶養しているとしたら、非正社員のほうが賃金が高くてしかるべき、と考える人もいるだろうと思います。これは最低賃金でフルタイム働いても喰っていけないから最低賃金を引き上げるべきだ、という議論と似ています。それは考え方の問題で、ここで善悪を議論するような話ではなさそうです。

さて、この「ゼミナール」の今回の結論はこうです。

正社員と非正社員の時間当たり賃金格差は、職務内容などの違いに応じた合理的な範囲にとどめ、労働時間に応じて公正に処遇していくことが課題となっている。

まあ穏当な結論でしょう。「労働時間に応じて公正に」というのは当然「時間割したら同じ」ということではない、というのが前提ですが。労働時間が違えば単なる時間割計算以上に貢献度(とかいろいろな要素において)に違いが出てくるのが自然であり、賃金もそれを適切に反映させる必要があるからです。「均衡処遇」が格差を前提とした概念となっているのも、そういう考え方をふまえたものだろうと私は理解しています(が、誤解かもしれません)。