経済論壇からby大竹文雄先生(2)

きのうの続きです。

 国際基督教大学教授の八代尚宏氏と独協大学教授の森永卓郎氏の対談(文藝春秋4月号)からは、格差社会に対する対極的考え方と両者の意外な一致点が読みとれる。八代氏は格差問題で深刻なのは若年層の非正規労働の増加に伴う所得格差で、対策としては職業訓練が有効だという。これに対し、森永氏は経営者のマインドが従業員重視から株主重視に変化したことが格差をもたらしたと主張。従来の高い雇用保障を維持することこそが必要だと訴えている。ただし、両氏とも労働時間や正規、非正規雇用にかかわらず、同一労働なら同一賃金であるべきだという点では全く同じ意見だ。

これだけでは両氏の意見はほとんどわかりませんが、たしかに対極的な見解を持つお二人だけに、一致点があるというのは意外といえば意外です。
市場メカニズムに信頼を寄せる八代氏とすれば、労働移動や価格決定にかかわる規制を撤廃すれば「流動性の高い職種別労働市場」が形成され、同一労働については同一賃金となり、若年層の非正規雇用職業訓練を施せば市場メカニズムの中で訓練の成果たる技能に応じた価格=賃金で雇用されるであろう、と考えるのでしょう。いっぽうで、全く逆の立場に立つ森永氏とすれば、市場メカニズムに任せれば格差は拡大する一方であり、非正規の賃金が低いことは「気の毒」で「社会正義に反する」、とりわけ外見上同じような仕事をしているように見えるのならなおさらだ、ということで、強制的に同一労働については同一賃金とする制度を導入せよ、というものでしょう。なかなかの同床異夢ぶりで、お互いに「一致してますね」と言われたら怒るかもしれません。
そもそも「同一労働なら同一賃金であるべき」という考え方に異を唱える人はほとんどいないのではないでしょうか。企業経営者や人事担当者にしても、ほとんどの人は「基本的に、同一労働なら同一賃金であるべき」と考えているはずです。むしろ、家族手当などの生計費配慮を重視しないという点では、企業経営者のほうが同一労働同一賃金の考え方が強く、「最低賃金を時間あたり1,000円に引き上げるべき」という人のほうが、同一労働同一賃金の考え方からは離れているという見方もできるでしょう。
大切なのは、このブログでこれまで書いてきたことの(またしても)繰り返しではありますが、同一労働同一賃金という考え方の是非ではなく、「なにをもって同一労働とするか」ということではないかと思います。そして、「なにをもって同一労働とするか」を判断するのは、少なくとも企業内労働市場においては、学者でもなければ評論家でもなく、極論すれば判事でもなく、労働者を雇用して事業を行い、その経営に責任を有する使用者以外にはないというのが私の意見です(もちろん、その判断がたとえば女性であることだけを理由とするような不合理な、差別的なものに過ぎない場合などは、それは是正される必要はあります。為念)。
さて、論説紹介の最後は、一般的な経済学の見方が紹介されています。

 格差拡大の原因について、米コロンビア大学教授のスティグリッツ氏(月刊現代4月号)は、「発展途上国の非熟練労働者と先進国の非熟練労働者とが競争することによって、彼ら(先進国の非熟練労働者)の賃金が下がり、熟練労働者との収入差が拡大するという現象」がその本質で、日本も他の先進国と同様、グローバリゼーションが強く影響していると述べている。これが評者も含めた経済学者の標準的な捉え方である。

そして、最後は大竹先生によるコメントが述べられています。

 こうして見てくると、格差社会と「左翼・右翼」の力関係がグローバル化を間にはさんで統一的に理解できることに気がつく。格差拡大の背景にあるグローバル化への対抗策として正社員が取るべき対応は、自分たちの賃金低下を阻止し、雇用を安定させる政策である。実際にそれが(正社員の)新規採用を抑え、非正規労働者の増加を招いた。では非正規社員の場合はどうか。彼らに一番適切な戦略は、雇用機会を増やすための規制緩和に賛成する一方、グローバル化に対しては強く反対の意思表示をすることである。

ここをどう読むかですが、「格差拡大の背景にあるグローバル化への対抗策」ということは、グローバル化の恩恵を受けない、むしろ被害を蒙る人が念頭におかれているのでしょう。すなわち、正社員・非正社員を問わず、グローバル化でむしろ恩恵を受けるような高能力者ではなく、発展途上国の非熟練労働者との競争にさらされる非熟練労働者ということになります(たしかに、これは左翼・右翼との対応関係でも整合的でしょう)。この場合、非熟練の正社員は、これから長期的に能力を高めていくことが見込まれているわけで、いずれグローバル化の恩恵を受ける高能力者に育成されることが期待できる彼らにとっては、たしかにその機会を確保するために雇用の安定は最重要となるはずです。実際、正社員を中心とした労組はそうした対応をとっていると考えられます。
いっぽう、非正規社員については、現実にこうした「取るべき対応」が取られているかどうかは微妙です。競争を回避するために保護主義的な主張をしているのはもっぱら農業関係者や中小企業経営者が中心のようで、非熟練・非正規をふくむ労働者一般はむしろ自由貿易による安価な輸入品の流入を歓迎しているようにすらみえます。まあ、(グローバル化とは無関係ですが)たとえばタクシーの参入規制の緩和に対してタクシー運転手が反対するように、自分が従事している産業の話になればまた別なのかもしれません。また、「雇用機会を増やすための規制緩和」、すなわち解雇規制や労働条件の不利益変更に関する規制などの緩和に非熟練の非正規労働者が賛成しているかというと、これまたそうではない実態がありそうです。むしろ、現行規制を前提に雇い止めの禁止とか直接雇用化・正社員化の義務づけといった保護強化を求めているのが実情ではないでしょうか。理屈としては、規制緩和によって正社員の保護が後退して、正社員としての雇用機会の質が多少劣化しても、現状の非正規雇用よりはマシだ、ということになるでしょうが、なかなかそれは理解されないということなのでしょうか。

 低賃金労働による製品を最も輸出している中国に対し、日本はもっと強硬な態度に出るべきだというのは、低賃金労働者にとっては、自然な感情の発露かもしれない。その意味で、規制緩和と対中強硬姿勢という小泉政権の立場は、低賃金労働者の支持を得やすかった。もっとも、この政治戦略は実は絶妙なバランスの上に成り立っている。対中強硬路線はあくまで政治的なポーズで、実体を伴った反国際主義であってはならないことが何よりも重要な点だ。

連合が中国にどのような姿勢をとっているのか、あまり見えてこないように思うのですが、結社の自由すら確保できていない国からの輸入品が組合員の雇用を脅かしている現状があるのであれば、連合としてもっと中国に強硬な姿勢で臨んでもいいのではないでしょうか。少なくとも、国際連帯活動の一環として、中国における労働者の権利を拡大する運動に取り組む値打ちがあるのではないかと思います。国内で賃上げが少ないことや非正規雇用が増えていることに対してレーバー・ダンピングだといって騒ぎ立てるよりは、その原因の一つとなっているであろう、海外でのはるかに大規模なレーバー・ダンピングに対してまずは声をあげてみてもいいのではないかと思うのですが。

 少子高齢化で人口減が進むなか、生産性を高めていくのは日本にとって喫緊の課題だが、それには、規制緩和グローバル化が必要だからである。教育に投資して非熟練労働者を少なくすること、転職しやすいように職業訓練プログラムを充実させること、課税による所得再分配を強化すること、というスティグリッツ氏の格差社会に対する地道な処方せんを私たちは真剣に検討・実行しなくてはならない。そして、その前提として少子高齢化時代こそ、グローバル主義が強く求められる時代なのだということを私たちは忘れてはならないのである。

この結論はまことに妥当なものだと思いますが、米国の大物経済学者の論であり、米国ではそのまま妥当するとしても、わが国ではどうか、という観点は必要だと思います。もちろん、大筋ではわが国でも妥当でしょうが、いくらかわが国の労働市場の特徴を考慮する必要もあるでしょう。最後の「課税による所得再分配を強化すること」はそのまま妥当であるとして(方法論に関しては議論がいろいろあるでしょうが)、「教育に投資して非熟練労働者を少なくすること」に関しては、わが国における熟練形成が長期雇用の中でOJTを中心に行われ、それがきわめて効率的なパフォーマンスを達成していることに十分配慮が必要でしょう。また、「転職しやすいように職業訓練プログラムを充実させること」についても、わが国では社内労働市場を柔軟に形成することで、労働者のアダプタビリティを高め、企業の新規成長分野への進出を容易にしてきていることをしっかり考慮に入れるべきでしょう。そして、なにより重要なことは、良質な雇用機会を多数創出していくために、適切な経済運営と、技術革新を促す政策が強く求められることを改めて銘記することではないかと思います。