キャリア辞典「ワーク・ライフ・バランス」(3)

「キャリアデザインマガジン」のために書いたエッセイを転載します。
 ワーク・ライフ・バランス(3)

 今のところ、「ワーク・ライフ・バランス」といえば会社と家庭、会社と私生活のバランスといった受け止め方が大勢だろう。しかし、キャリアデザイン、それも職業キャリアだけでなく生涯全体の「生き方」としての広義のキャリアデザインという観点からワーク・ライフ・バランスを考えようとすると、そもそも「ワーク」とはなにか、「ライフ」とはなにかということが大問題になるのではないか。
 朝9時に出勤して夕方6時まで仕事をするのは誰にとっても「ワーク」であるだろう。昼休みや通勤時間もたいていの人にとっては「ワーク」だろう。それでは、仕事帰りに英会話学校に行くのはどちらか?海外赴任前に会社の命令で行くのなら「ワーク」だろうし、正月休みのハワイ旅行を楽しみに英会話を学ぶのなら「ライフ」に入れる人が多いだろう。とりあえず現在の仕事では必要ないが、将来の転職を視野に入れて英会話を学んでいるのは(これは「キャリアデザイン」的にはありがちなシチュエーションだ)、はたして「ワーク」だろうか「ライフ」だろうか?
 あるいは、ワーク・ライフ・バランスは働く女性を念頭に語られることが多いが、このとき「育児」や「家事」、あるいは「介護」などは、当然のように「ライフ」に包含されるものとされている。しかし、いわゆる専業主婦にとって育児や家事、介護は「ライフ」だと言い切れるのだろうか?世の中には、いわゆる主婦のこうした活動を「アンペイド・ワーク」と称して「労働」として扱おうという考え方もある。働く女性としても、育児や家事などを「仕事ではない」と言い切られたら抵抗のある人が多いのではないか。
 つまり、ライフデザインとしてのキャリアデザインの観点からワーク・ライフ・バランスを考えるときには、「ワーク」=報酬をともなう就労、と単純には割り切れない、ということではなかろうか。例をあげればきりがない。たとえばPTAの会長を頼まれて引き受けた。あるいはマンションの管理組合の理事長になった。これらは人生における「キャリア」としてはけっこうな位置づけを持つだろうが、さてこれらは「ワーク」だろうか「ライフ」だろうか。親戚の訃報が届いて、仕事を休んで葬儀に列席した。あるいは、近所で火災があり、炊き出しや片付けを手伝った。「ワーク」と感じる人もいるかもしれない。もっとも、これらは当座は無報酬でも、長い目でみればいろいろな形での見返りがあるという見方もあるだろう。
 ワーク・ライフ・バランスと一口に言っても、「ワーク」とはなにか、なにが「ライフ」なのか、というのは人によって違うし、その上で自分にとっての「ワーク」と「ライフ」のバランスが、半々がいいのか、7分3分、あるいは4分6分がいいのかといったことも違ってくるだろう。一人ひとりの望むワーク・ライフ・バランスは、当然ながら人によって異なるのであり、それは結局一人ひとりがみな、それぞれの(広義の)キャリアデザインを考えているということと表裏一体なのだろう。
 仕事時間の長さよりも、自分が望むワーク・ライフ・バランスと現実のずれが大きさのほうがストレスとの相関が強いという調査結果もあるそうだ。企業の人事管理、あるいは行政の施策なども、特定の「望ましいワーク・ライフ・バランス」の姿を念頭においてそれへの誘導をはかるのではなく、人それぞれに望むライフスタイルが異なることを念頭において、多様な選択を可能としていく方向で進めることが大切ではないだろうか。