山田昌弘『希望格差社会』

本田先生といえば、山田昌弘希望格差社会』への痛烈な書評が「日本労働研究雑誌」7月号(540号)に掲載されています。
http://www.jil.go.jp/institute/zassi/2005.html


本田氏はこの本を「今の日本社会に漂う「気分」を鋭敏にすくい上げ、それに概念やデータを用いて明確な輪郭を与えることに成功した」と一応は評価しています。この本は経済財政諮問会議の「日本21世紀ビジョン」の検討に大きな影響を与えたそうですが、その理由もこのあたりにあるのでしょう。そういう意味では、この本は数年前に、やはり(この手の本としては)よく売れた佐藤俊樹『不平等社会日本』に共通するものがあるように思います。政策を考えるうえにおいては、「事実がどうか」よりも「人々がどう感じているか」のほうが重要なことも多いでしょうから、こうした本もそういう点ではそれなりに評価されていいのではないでしょうか。
さて本田氏は、「一応は評価」に続けて、この本の「分析の緻密さや議論の妥当性」に疑問を呈し、データや論理において議論がルーズであるとして、これでもか、これでもかとこき下ろしています。その辛辣さたるや、門外漢の私がみると「私怨をぶちまけているのではないか」との印象を一瞬感じたほどのものです。
立派なのはその理由もきちんと示していることで、「評者自身の研究上の立場から言えば、現代の若者が直面している状況や若者自身の実態について、著者の理解があまりにも浅く、かつ冷笑的であることは許容できる範囲を超えている。」ということのようです。まあ、理解が深いとか浅いとかいう評価は立場によって異なるでしょうから、本田氏をかくも刺激したのは山田氏の「冷笑的」(と本田氏が感じた)姿勢ということでしょうか。
とはいえ、本田氏が結論としている「すべての人が人間としての尊厳を守れる生活基盤を得ることができるかどうかが重要なのであり、それを保証するための諸制度や選択肢を冷静に構想し実現することが最優先すべき課題である」という認識については、山田氏のこの本も共通しているのではないかと私には思えます(方法論は異なるのでしょうが)。「現代の日本社会において、不安感やさまざまな格差が拡大していること自体はおそらく確かである。そして、必要なのは、それらをおどろおどろしく誇張し増幅することではないということもまた確かである」というのも、私からみれば佐藤俊樹「不平等社会日本」には該当しそうですが、この本にはさほど該当しないように思えます(実際、私自身20年近く企業の人事・労務セクションに身をおいてきた経験からくる実感に、この本はかなりの程度よく一致しているように感じます)。時と人により、「立場の違い」や方法論の違いは、まことに高い壁になるということでしょうか。

希望格差社会―「負け組」の絶望感が日本を引き裂く

希望格差社会―「負け組」の絶望感が日本を引き裂く

「絶望は虚妄だ、希望がそうであるように」という言葉を魯迅は好んでしばしば記したという。希望か絶望かを云々することはむなしい。

Dunkel ist das Leben, ist der Tod. というところでしょうか。「騙されやすい実務家」(?)であり、唯物論者でもない私としては、希望か絶望かを云々することは「むなしい」(かもしれませんが)だけではない意味がありそうに思えてならないのですが・・・これはまったくの感覚ですが。