「豊かさ」

 きのうの日経新聞朝刊の「教育」欄に、日本青少年研究所理事長の千石保氏が「人間関係観 日米中の若者比較」という論考を寄せていました。

 老後の親を「どんなことをしても面倒をみたい」という者は、(日本の高校生では)43.1%と半数を割る。米国高校生の67.9%、中国高校生84.0%とは大差である。しかも「経済的な支援はするが、介護は他人に頼みたい」と答えた者が20%弱もいて、ちょうど米国の2倍、中国の2倍弱にあたる。…
…老後の親をめぐって、「長男が面倒をみるべきだ」とする二男や女の子たちと、「長女の責任」や「子どもたち全員が交代の順番制にしよう」という長男の主張が対立した調査結果もある。
…「公的な援助や福祉に任せたい」「親自身蓄えをしておくべきだ」が、米中より明らかに多い…
(平成17年4月18日付日本経済新聞朝刊から)

これには、介護保険の導入や、90年代以降一部で強く主張されている「自己責任論」の影響もあるでしょう。しかし、自分たちが自分の親になにをしているかを考えれば、子どもを作ろうと思わないのも当然という気がします。私は別に親孝行を説くつもりもありませんし、かつてのような儒教道徳的?な親への献身をよしとするつもりもありませんが。
千石氏によると教師や友人に対しても同様の「一線を引く」傾向があるそうで、氏はこうした傾向の大きな理由は「豊かさ」だと述べておられます。「一線を引いていれば、人間関係のトラブルから逃げられる。」なるほど、介護(をはじめ親の老後の面倒)というのは「人間関係のトラブル」であり、それを「他人に頼みたい」という希望に近づけるしくみ=介護保険ができたというのは、まさに「豊かさ」以外のなにものでもないでしょう。
少子化問題も若年雇用問題も似たようなものかもしれません。子どもをつくらなくても(つくらないほうが)楽しく生きていける。嫌な仕事に無理してつかなくてもなんとか生きていける。私たちが追い求めてきた「豊かさ」とはそういうものだったのでしょう。時計の針を逆には回せないとしたら、私たちはこうした「豊かさ」をさらに追求していくしかないのかもしれません。介護においても、育児においても、雇用においても。