「勝ち組」だけど「負け犬」

 久しぶりにキャリアデザインネタです(笑)。きのう配信された「JMM」の特別版(読者投稿)に、なかなか面白い記事がありましたので、それを題材に考えてみたいと思います。「証券会社社員:宮尾朋子」という人の投稿で、まず以下に引用、ご紹介したいと思います(短くするために一部を抜粋しており、また、改行も省略しています。次号が出るまでならhttp://ryumurakami.jmm.co.jp/recent.htmlで読めますので、ぜひ全文をおあたりください)。

 高校を卒業してから20年以上経ちますが、…高校時代、仲良かった同級生の友人(もちろん女性です)2人と私の現在の状況をふりかえってみました。
 …彼女たちの今の生活水準から常識的に考えてみて、おそらく世帯収入はそれほど変わりません。…ただし、個人単位の所得は明らかに違います。職業が異なるからです。
 1人は共稼ぎの公務員(夫も公務員)、1人は専業主婦(夫は大企業のサラリーマン)。「私」は独身の会社員。
 そのため個人の所得の順に職業で並べてみると、会社員>公務員>専業主婦の順になります。
 さらに将来もらえるであろう、年金額を個人単位で予想すると、公務員>会社員>専業主婦、もしくは会社員>公務員>専業主婦となりました。ところが、世帯単位で予想すると、公務員>専業主婦>会社員となります。
 子供の数順に並べてみると、公務員(3人)>専業主婦(2人)>会社員(0)、となります。
 整理して今流の別の表現で言い換えてみます。公務員の友人は、「勝ち組」かつ「勝ち犬」、専業主婦の友人は、実は「負け組」だけど「勝ち犬」、会社員の「私」は、「勝ち組」だけど「負け犬」です。
 3人の関係から、まっとうな経済活動を行い、税金と社会保険料を負担しているのは、会社員の私だけ?って思えるのですけど、何か間違っているのでしょうか。公務員の友人は働いてはいるけれど、給与は税金から支払われていて経済的に稼いではいないし、専業主婦の友人の夫は妻の分の社会保険料を負担せず、配偶者控除を受けているからです。働きつつ人間らしい生活をして子供をもっているのは公務員というのもなんだかヘンです。そして会社員の私が、まともな人間らしく子供を持つために働くのをやめたら全員の経済が成り立たたない、というのもやはりなにかヘンだと思います。

 私はこの2人の友人を好きですし、やり方は違ってもそれぞれがしてきた努力も知っています。私自身についても意識はしていませんでしたが、気がつくといろいろな資格の山ができているので、それなりに努力してきたといえるのでしょう。けれど、なぜ、友情は変わらないのに、それぞれの努力の結果は少しずつ違ってしまって噛み合わないのか。彼女たちの夫だって、国や会社のため、妻子のために働いているのに、結果がずれてしまっているのか。そのずれを噛み合わせることはできないのでしょうか。
 私は哀しいのです。

勝ち組・負け組」と「勝ち犬・負け犬」の組み合わせがなかなか面白いですが、それはそれとして、哀しい気持ちがよく伝わってくる文章ではあります。それでは、彼女のこの「哀しさ」はどのように解決したらいいのでしょうか?
 
 この文章から読み取るかぎり、彼女はこの「哀しさ」は外部の「制度・政策」ゆえであると考えているようです。おそらく、彼女のものの考え方、価値観に立てば、それが当然の帰結なのだろうと思います。しかし、ものの考え方や価値観は人によって多様であることも考慮しなければなりますまい。
もう一度引用しましょう。

 3人の関係から、まっとうな経済活動を行い、税金と社会保険料を負担しているのは、会社員の私だけ?って思えるのですけど、何か間違っているのでしょうか。公務員の友人は働いてはいるけれど、給与は税金から支払われていて経済的に稼いではいないし、専業主婦の友人の夫は妻の分の社会保険料を負担せず、配偶者控除を受けているからです。働きつつ人間らしい生活をして子供をもっているのは公務員というのもなんだかヘンです。そして会社員の私が、まともな人間らしく子供を持つために働くのをやめたら全員の経済が成り立たたない、というのもやはりなにかヘンだと思います。

何か間違っているのでしょうか、と問い掛けられれば、何か間違っているのではないか、と答えざるを得ないように思います。
彼女のいう「まっとうな経済活動」とは、おそらくは「賃金や収入・所得(付加価値といってもいいかもしれません)で評価される(民間の)経済活動」という、かなり狭義のもののようです。

  • 私からみると、証券会社のビジネスのかなりの部分は「まっとう」とは思えないのですが、それはここではおきます。

しかし、民間の経済活動にしても多かれ少なかれ行政のサービスを受けて成り立っているわけで、公務員は民間が必要としているサービスを担い、その対価として賃金を受け取っているわけです。そこから所得税社会保険料を納めているのですから、「賃金はもともと税金なのだから、税金を払っていないのと同じだ」というのはさすがに理不尽だろうと思います。

  • もちろん、公務員の仕事には民間が求めていないムダなものも多々あるでしょうし、公務員の賃金や福利厚生の水準が適正かどうかは極めて疑問なわけでもありますが、それは一応別問題です。「働きつつ人間らしい生活をして子供をもっているのは公務員というのもなんだかヘン」との意見は、「公務員は恵まれすぎ」ということであれば理解できそうです。

専業主婦についても、まったく経済活動とは無縁とはいえません。たとえば育児には将来の労働力の育成という点で明らかに外部経済がありますし、ボランティアや生活協同組合などでの活動も、仮に無償であっても立派な経済活動といえるでしょう(それがなければ誰かに有償でやってもらわなければならない場合は特に)。賃金を得ていなければ経済活動ではない、というのはさすがに考え方が狭すぎるのではないでしょうか。また、こうした無償の活動に外部経済がある以上、それに対して社会的に適切なインセンティブを付与するというのは自然な発想でしょう。

  • これまた、専業主婦に関する現行の税制や社会保障制度にはいろいろ問題はあると思いますが、一応別問題とします。

「会社員の私が、まともな人間らしく子供を持つために働くのをやめたら全員の経済が成り立たたない、というのもやはりなにかヘンだと思います」というのは、これはヘンどころか当たり前のことで、民間の経済活動がストップしたら行政サービスも専業主婦も成り立たないのが当然です。私たち民間の企業人は、まさにそれを誇りとして働いているわけですが、だからといって、会社員だけが有意義で公務員や専業主婦は無価値だ、と考えるのはいかにも狭量ではないでしょうか。
私には、彼女の心がこうした狭い価値観に閉ざされているところに、彼女の「哀しさ」があるのではないかと感じました。根本的な価値観がすりあわないのですから、彼女が「噛み合わない」「ずれてしまっている」と感じるのも当然だろうとも思います。
キャリアというのは、すべての人に共通の正解があるものではないでしょう。逆に、さまざまなキャリアの選択肢があり、人々がそれを自由に選択できるのが「豊かな社会」というものなのではないでしょうか。もちろん、自由な選択とはいっても、1日は24時間しかありませんし、その他にもさまざまな資源や能力の制約があるでしょう。そうした制約のなかで、どのようなキャリアを選択していくのか、というのが、「キャリアデザイン」の重要な側面なのではないかと思います。公務員にせよ専業主婦にせよ、様々な選択肢と制約があるなかで自分で考え、判断し、選択したのであれば、それは立派な「キャリアデザイン」なのであり、他人が「私はそんな生き方認めない!」と云ってみたところで、その意義や価値が変わるものでもないでしょう。
彼女は「私が、まともな人間らしく子供を持つために働くのをやめたら」といいます。しかし、働きながら子どもを持つことは(なにも公務員カップルでなくても)十分に可能です(現に、そうしている人はたくさんいます)。いまの仕事やキャリアを後退させたくない、ということであれば、親を頼るとか、専業主夫の配偶者を持つとか、ベビーシッターや保育施設を利用するとかいった選択肢もあります。
もちろん、家族関係や収入と育児費用との関係などの制約でこういった選択ができない、という事情はあるかもしれません。

  • 余計なお世話(全部が余計なお世話ですが)ですが、彼女は「子どもの人数」だけを比較し、「子どもを持つ」ことが「まともな人間らしい」と言っていますので、自分の「結婚」について否定的な考え方を持っているのかもしれません。それはキャリアの選択肢を狭めますが、もちろん本人の自由です。

しかし、それならそれで、その制約のなかでなにを取り、なにをあきらめるのかを考えるのが「キャリアデザイン」ではないでしょうか。いっぽうで、得られるものだっていろいろあるはずです。たとえば、彼女は「気がつくといろいろな資格の山ができているので、それなりに努力してきた」と言っています。「私は子どもを持たなかった、しかし私は山のような資格を取り、経済・社会に有意義な貢献をできる人材になり、現に貢献し、多額の税と社会保険料を納付している」、これはまことにすばらしいキャリアデザインではないかと思います。
彼女がその「哀しみ」を解消するためになにより求められるのは、現在の狭く閉ざされた価値観を、他人が自分と異なる価値観を持っていることを認め、さまざまなキャリアデザイン、ライフスタイルにそれぞれの意義と価値とがあることも認め、他人の選択を尊重する、幅広い価値観へと開放していくことではないかと思います。そのうえで、「私はあなたたちの生き方も立派だと思うけれど、いまの公務員の処遇のあり方や、専業主婦に関する諸制度がほんとうに現代にマッチしているのかどうか、議論しましょう」という姿勢をとれば、おそらく「噛み合ってくる」ものを感じることができるのではないかと思います(もちろん、議論自体は異なる理念と利害が対立しますから容易に解決はしないでしょうが)。そして、胸を張って自分のキャリアを語ってほしいと思います。
現在の制度のなかで、民間で働く女性が公務員や専業主婦に対して不公平感を抱くのは当然すぎるほど当然です。だからといって、公務員や専業主婦を全否定してもなんの解決にもならないでしょう。