出た!日経病!!

 本日の日経新聞朝刊で、しばらくぶりに、「日経病」の炸裂をみました。編集委員による「経営の視点」というコラムです。
  

経営の視点「捨てられない日立――技術への自信、改革阻む」

 日立製作所の庄山悦彦社長が二〇〇三年一月に表明した事業の入れ替え。三年間で連結売上高の二割に当たる一兆六千億円の事業を切り離し、成長性の高い分野を組み入れるという計画だ。が、最初の意気込みに反し幻に終わりそうだ。
 …事業をのみこむ動きは活発。…連結年間売上高の増加額は九千二百億円に上る。
 しかし、残念ながら撤退や事業売却が低調だ。…庄山社長も「二割」にこだわらないと後退し、事業構造改革は今のところ計画倒れだ。
 二割という数字を掲げたのは、それだけ収益の足を引っ張る事業があると考えているからに違いない。なぜ、そうした不振事業の処理に踏み切れないのか。
 赤字が続く白物家電部門。…技術力への自負はほかの家電メーカーに引けを取らない。

 携帯電話向けの苦戦が響いている液晶パネル事業。…過当競争になってきた液晶パネル事業の拡大にあえて踏み切らせたのは、斜めから見ても映像の色が変わりにくい自社技術への自負だった。
 技術力に強い自信があるから、今は不振事業でも必ず立て直せると考える。日立単体で九百人、グループ全体で千三百人もの「博士」を擁する技術者集団の遺伝子が恐らく、事業を大胆に捨てる決断のできない根っこにある。
 …経済付加価値(EVA)を指標に、二年連続で赤字の事業は撤退を視野に入れることにしているが、多くは再生計画をつくって仕切り直しする。投げ出すのは「技術の日立」のプライドが許さないからだろう。

 技術力による存続をあくまで目指すべきかどうか、不振事業を改めて精査する必要はないか。追い込まれて結局、見切りをつけるのでは打撃が大きい。「技術の日立」の看板に寄りかかっていては、いつになっても成長力は取り戻せない。
(2005/02/21付日本経済新聞朝刊)

 うーん。名門大企業の問題点を鋭く指摘した気になって、さぞかしうっとりしているのだろうと思いますが、電機各社はバブル崩壊後も過酷なリストラのかたわら必死で研究開発投資を継続したことが、昨今の業績向上に結びついたことをお忘れなのでしょうかね。技術開発や新商品開発は、そうそう簡単に成否の予測がつくものではありません。白物家電は単体でみれば赤字で、将来的な成長が見込みにくいかもしれませんが、一方でその技術力が新たな方法、分野で生かせるならば開発を継続する意味はあるはずで、そうした事例はこれまでも多くあるのではないでしょうか。高い技術力は得がたい経営資源であり、それを重視することはむしろ当然でしょう。この人は、EVAなどを使えば、有用な技術と無用な技術、成功する開発と失敗する開発が簡単にわかるものと考えているようですが、神ならぬ人間にそんなことがわかるわけがありません。
 たしかに、「捨てる」ことはなかなか難しいものでしょう。難しいから出来ない、だからやるべきだ、というのは無責任な評論家の論法としては往々にして見かけるものですが、そもそも不振事業を捨てるより不振事業を立て直すほうがはるかに経済への貢献は大きいはずで、こんなに偉そうに述べ立てて悦に入るほどのものではないでしょう。それを「プライドが許さないからだろう」などと酷評するところには、「気に入らない」「大企業の『博士』が『捨てられる』のがうれしい」という感情が透けて見えます。「不振事業なのに、『博士』だ(技術力が高い)から捨てられないのはけしからん」という偏狭な倫理観の背景には、「博士」に対する根深い劣等感と嫉妬があるのでしょう。
 多くの「博士」たちの技術力がこれまでの日本の発展に大きな役割を果たしてきたことは論を待ちません。その多くは成功するとあらかじめわかっていたわけではないでしょうし、実際、成功しなかった例も多いはずです。それでも、成功するかどうかわからない技術に賭ける(日経の好きなことばでいえば、リスクを取る)ことができるのが企業の、ひいては経済の底力のはずであり、それは今後も変わらないのではないでしょうか。多くの「博士」たちが失敗を恐れずに技術に取り組める環境をつくっていきたいものです。