新入社員が安定志向で何が悪い?

日本能率協会日本生産性本部が、本年度入社の新入社員を対象とした意識調査の結果を相次いで発表しました。どちらもそれぞれの団体が主催した新入社員向け合同研修の受講者を対象としたものなので、「こうした団体の合同研修に新入社員を送り込むような会社に就職した新入社員」というバイアスがかかっている*1わけですが、長年にわたって続けられているものであり、その時々の新入社員の傾向の変化をみる上では興味深い材料と申せましょう。
日本能率協会による調査結果http://www.jma.or.jp/news_cms/upload/release/release20100419_f00091.pdf
日本生産性本部による調査結果http://activity.jpc-net.jp/detail/mdd/activity000979/attached.pdf
さて、すでにメディアでも報じられていますが、いずれの調査結果をみても新入社員の「勤続志向」の高まりが顕著に観察されます。「定年まで勤めたい」(能率協会)「今の会社で一生勤めようと思っている」(生産性本部)の過去5年の割合はこうなっています。

      2006 2007 2008 2009 2010
能率協会  27.2 32.5 33.4 43.1 50.0
生産性本部 39.8 45.9 47.1 55.2 57.4

生産性本部の調査では、直近のボトムは2000年で20.5%でした。金融危機後の1996年から2000年にかけて低下し、その後はほぼ一貫して上昇していますので、景気動向とはあまり連動していないようにみえます。
これらをどのように解釈するかは難しいところですが、2000年まで不況にもかかわらず勤続志向が低下したのは、回答者の意志というよりは、当時の世間の雰囲気などから「そもそも、この会社が定年まで存在し続ける可能性はどれほどあるのか」といった現実的な発想が背後にあるのかもしれません。
また、生産性本部の調査では、入社した企業が第一志望だったか、第二・第三志望だったかといったことも聞いていますが、それとはかなり相関している印象があります。

      1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010
第一志望  60.6 60.4 56.3 50.5 57.1 64.1 60.2 57.7 66.8 69.6 70.5 75.4 76.9 71.5
勤続志向  27.3 23.7 22.2 20.5 23.1 27.3 30.8 29.8 38.3 39.8 45.9 47.1 55.2 57.4

ちなみにMicrosoft Excelで回帰分析してみたら補正R2=0.82、1%水準で有意でした(笑)。第一志望だったと回答する以上はそれなりに満足な就職だったはずで、だったら転職したいとは思わないというのはわかりやすい話です。逆に、不本意な就職であった人が多い年には、転職したいという人が多いというのも納得のいく話です。
また、起業・独立については「なるべく早く転職・独立したい+いずれは独立したい」(能率協会、上と同一設問の選択肢)「「社内で出世するより、自分で起業して独立したい−そう思う」(上とは別設問、思う・思わないの二択)の結果はこうです。

      2006 2007 2008 2009 2010
能率協会  16.1 11.8 11.9 9.9 7.2
生産性本部 20.1 18.3 15.8 14.1 12.8

こちらはほぼ一貫して右肩下がりで、景気循環とはさほど関係ないように見えます。独立志向が好況下でも低下を続けていたのは、好況と云っても成長率はごく低く、独立起業が成功する環境としてはまだ経済が力強さを欠いていたということがありそうです。あるいは、独立起業にはある程度は中長期の見通しが持てることも大切で、そういう意味でこの時期は一貫して先行きが不透明という判断が続いたということかもしれません。能率協会のアンケートには「10年後の日本社会は、より良い社会になっていると思いますか」という設問もありますが、この間は毎年「なっている」と「なっていない」が拮抗する結果になっています。
もうひとつ、実力主義より年功的制度を好む新入社員が増えていることも話題になりました。この設問はどちらも二択で、ニュアンスは異なりますが、「競争をするよりも、ある年代まではみんなで平等に上がっていく年功主義の会社」(能率協会)「業績や能力よりも、年齢・経験を重視して給与が上がるシステム」(生産性本部)をそれぞれ選択した割合を見てみます。

      2006 2007 2008 2009 2010
能率協会  34.6 45.8 39.9 41.8 50.4
生産性本部 37.0 38.1 42.3 44.3 44.3

生産性本部の調査では、これも2002年の26.7%が底で、以来一貫して上昇しています。高橋伸夫先生の『虚妄の成果主義』が出たのが2004年ですから、私のいい加減な山勘では、成果主義は実はダメだったということが明らかになってきたことで成果主義志向が後退し、代わって年功志向が強まったということろでしょうか。もちろん、将来に対する不安感が高まって、安定的な制度が好まれるようになったという面もあるかもしれません。そもそも、大竹文雄先生の『日本の不平等』では、受け取り総額が同じであっても後払い賃金のほうが好まれる傾向があることが明らかにされていますので、なんらかのきっかけでこうしたことが起きる素地はもともとあったということなのでしょう。
ちなみに生産性本部の調査には昇格についても同様の設問があり、こちらは実力・能力重視が多数で63%となっています。時系列でみても安定的ですが、若干能力重視が低下する(10年で1割程度)傾向にあるようです。昇進昇格は実力主義でいいけれど、賃金にはあまり差をつけてほしくない、というのが新入社員の希望ということでしょうか。
以上のような傾向をとらえて「今の若者は覇気がない、けしからん」「若者が企業家精神を持たせることが必要だ」といった批判をする向きもあるようです。しかし、これは若者が自分なりに合理的な判断をした結果であって、それをもって若者を責めるのは理不尽と申せましょう。落ちそうな橋を、自分は落ちるのがイヤだから渡らないけれど、若者は若いんだから落ちるの恐れずに渡りなさい、というのはさすがにご無体ではないかと思うのですが、どんなもんなんでしょう。覇気を持って、企業家精神を大いに発揮できる環境を整えなければ、いかに批判しても変化は期待できないと思います。
さて、これらの調査では他にも興味深い結果が出ていますが、ここではひとつだけ、日本能率協会が社会人基礎力について聞いた結果をご紹介します。経済産業省の研究会が提唱した「社会人基礎力」の12の要素について、それぞれ「あなたにとってどの程度得意な能力かお答えください」というものです。
結果を見ますと、「チームで働く力」6要素のうち、「傾聴力:相手の意見を丁寧に聴く力」「柔軟性:意見の違いや立場の違いを理解する力」「情況把握力:周囲の人々や物事との関係性の理解力」「規律性:社会のルールや人との約束を守る力」の4要素について8割から9割近い人が「得意」「やや得意」と答えています。これに対し、同じ「チームで働く力」でも「発信力:自分の意見を分かりやすく伝える力」は6割近い人が「やや苦手」「苦手」と回答しています*2。「前に踏み出す力」3要素をみても、「主体性:物事に進んで取り組む力」「実行力:目的を設定し確実に行動する力」は6〜7割の人が「得意」「やや得意」としているのに対し、「働きかけ力:他人に働きかけ巻き込む力」については5割近くが「やや苦手」「苦手」と回答しています。どうやら、自分一人でやれる要素についてはそれなりに自信があるものの、相手のある要素についてはあまり得意でないというのが新入社員の意識の傾向といえそうな感じです。実際、「これから仕事をしていく上での不安の程度」という設問でも、8割近い人が「上司との人間関係」「同じ職場の人たちとの人間関係」に不安を訴えています*3
ちなみに、「考え抜く力」3要素については、「課題発見力:現状分析し目的や課題を明らかにする力」と「計画力:課題解決のプロセスを明らかにし準備する力」については6割程度の人が「得意」「やや得意」としていますが、「創造力:新しい価値を生み出す力」については逆に約6割が「やや苦手」「苦手」と回答しています。これはまあ、どことなく頷ける話でしょう。
まあ、これは就職できた人、しかも7割以上は第一志望に入社できた人がサンプルですから、そうでない人はまた違った傾向が出るかもしれません。いずれにしても、これらすべてが得意だという人などほとんどいないはずで(ごく少数はいるでしょうが)、あまり「就職できる・できない」と関連づけて考えることはしないほうがよさそうに思われます。

*1:規模や熱意などの面で、自前で外部提供以上の新入社員研修をやるほどではないが、しかしもっと簡単な研修しかしない、あるいは研修をやらないというわけでもない企業の新入社員、ということになるでしょうか。

*2:もうひとつの「ストレスコントロール力:ストレスの発生源に対応する力」については、約6割が「得意」「やや得意」としています。

*3:もちろん「仕事がきちんとできるかどうか」といった不安もやはり8割以上が訴えていますが。

枝野行革相

けさの日経新聞にインタビュー記事が掲載されておりました。公益法人の見直しに関する内容だったのですが、雇用問題にも触れています。

 ――――仕分けの結果、仮に廃止となった独法の職員の雇用はどうする。
 「民間並みだ。民間だって仕事がなくなったらリストラとなる。ただ、まっとうな経営者ならば明日から来なくていいよとはならない。リストラも自然減とか希望退職で最大限努力をする」
 ――――割増退職金をなどを払うこともあるか。
 「必要ならそういう制度を採り入れることは否定しない。トータルの国費が節約できるならば」
(平成22年4月22日付日本経済新聞朝刊から)

ふーむ。普通ですね。ムダづかいをこき下ろしていた民主党としては、仕分けられたら即刻解雇、退職金も規程どおりでなければ国民の理解は得られないというスタンスではないかと思っていたのですが、さすがにそこまで乱暴はできませんか。しかし、自然減でやろうということになると、少なくとも数年は事業を続けなければいけないでしょうから、けっこう大変ではないかと思うのですが?再就職のあっせんとか、できるだけのことはしてほしいものです。民間にはやれと言っているのですから(民間がやっているかどうかは別として)。

愚かな首相

もうひとつ今朝の日経から。あらかじめお断りしておきますが居酒屋政談ネタです。

 鳩山由紀夫首相は21日の党首討論で、沖縄の米軍普天間基地の移設問題について「5月末決着」「県外移設」を目指す姿勢をなお崩さなかった。しかし移設先候補地の一つである鹿児島県・徳之島から門前払いを食らうなど窮地は鮮明。「地元よりも、まず米国に理解されるかどうか、水面下でやり取りしなければならない」など、迷走の責任を米側に押しつけるかのような発言もあり「覚悟」の軽さばかりが目立った。

 冒頭、谷垣氏が米ワシントン・ポスト紙に「不運で愚かさを増している」と酷評された責任は首相自身にあるとただすと、首相は熱っぽく、しかし静かに答えた。
 「私は愚かな首相かもしれない。12月に辺野古に決めていれば、どんなに楽だったか計り知れない。日米関係が良くなったように見えたかもしれない。しかし、果たしてそうだっただろうか」。
 閣僚席も静まりかえっていた。
(平成22年4月22日付日本経済新聞朝刊から)

ウェブ配信ではこんなのも流れています。

 鳩山由紀夫首相(民主党代表)は21日午後の党首討論で、核安全保障サミットを巡り、米紙ワシントン・ポストが「首相は最大の敗者」「不運で愚かさを増している」などと酷評したことについて「確かに私は愚かな首相かもしれない」と述べた。自民党谷垣禎一総裁が「原因は首相にあるということも否定できない」と、米軍普天間基地の移設問題での鳩山内閣の迷走ぶりを追及した場面で飛び出した発言。
 首相は続けて「沖縄の大変な負担を少しでも和らげることができたらと愚直に思ったのは間違いだろうか。決して間違いだったとは思っていない」と反論。オバマ米大統領との約10分間の非公式会談で5月末の決着に向けた協力を要請したことも説明した。
 谷垣氏は「もう一回がくぜんとした。私はあなたにもっと使命感をもってもらいたい」とあきれた様子だった。
http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C9381949EE0E3E2E59A8DE0E3E2E6E0E2E3E2E2E2E2E2E2E2;at=DGXZZO0195166008122009000000

ことここに至ってはもう気の毒としか申し上げようがありません。
「沖縄の大変な負担を少しでも和らげることができたらと愚直に思ったのは間違いだろうか。決して間違いだったとは思っていない」って、それ自体については誰も間違っていたなんて言っていないでしょう。「沖縄の大変な負担を少しでも和らげることができたら」というのは、それ自体はまったく否定しようのない正論です。
ただ、正論なんていくらでもあるわけで、複数の正論が相互に矛盾したり、両立しなかったりするのが普通なわけですよ。「政府は1億数千万人の国民の安全を保障しなければならない」というのも正論ですし、わが国においては「核武装しない」とか「攻撃のための軍事力を持たない」というのも正論なのでしょう。「国家間の約束事は政権が代わっても一方的に破棄されるべきではない」「安全保障だけでなく、政治・経済・社会のさまざまな面において日米関係が良好で安定していることが望ましい」というのだって正論でしょう。徳之島の首長たちが、住民の大半が大反対しているから官房長官には会わない、というのも彼らにとっては正論なのでしょう*1。複数の正論がトレードオフの状態にあるときには、優先順位をきちんと判断し、少数の利益を尊重しつつも全体の利益の最大化を追求するというのが政府の役割ではないでしょうか。ところが首相は「沖縄の大変な負担を少しでも和らげる」に拘泥するあまりに安全保障や日米関係を悪化させ、国益を損ねつづけているわけです(というか、いまの時点ではほぼ誰も利益を受けていないのが現実でしょう)。たしかに「沖縄の負担」は正論ですが、この状態を正当化する理由にはなりませんし、反論にもなっていないように思われます。
「12月に辺野古に決めていれば、どんなに楽だったか計り知れない。日米関係が良くなったように見えたかもしれない。しかし、果たしてそうだっただろうか」という開き直りについても、現にそのとおりなのですからそのとおりとしか言いようがないでしょう。首相は沖縄のために「楽をせずに苦労をするのが偉いのだ」とお考えのようですが、そもそも長い年月と大変な苦心によってようやくまとまった日米合意を首相ご自身がひっくり返したわけで、それで自分が苦労していることを自賛するというのは、それまでの多くの人たちの苦労を等閑視するきわめて自己中心的な発想です。これは料理の並んだちゃぶ台をひっくり返して、料理をした人の苦労は無視して「自分は苦労して片付けているぞ。偉いだろう」と言うのに等しいものです。国家間の約束を守ることは決して「楽をする」ということではありません。政府が使える資源はかなり限られているのですから、こんなところで苦労して資源を使うくらいなら、もっと労力を費やすべき分野がほかにたくさんあるはずだと思うのですが、違うのでしょうか。これには谷垣氏ならずとも愕然とするでしょう。
できない約束をすること自体があまり感心しないわけですが、それは野党にはわからない与件がいろいろあったとか、政権交代のための票ほしさで余計なリップサービスをしてしまったとか、まあ致し方のない事情もあったでしょう。できない約束とわかった時点で、マニフェストには載っていないわけでもありますし、できない約束でしたと認めて陳謝、撤回すればよかったのではないでしょうか。しかし、首相はいつまでもできない約束にこだわり続け、期限を何度も延ばし、問題を収拾不能に近いところまでこじらせただけではなく、その間に国益を損ねつづけているわけですから、まことに遺憾な話です。おそらく、首相は当初はここまで難航するとは思っておられず、意外な手強さにうろたえている間にずるずると泥沼にはまってしまったのでしょう。はじめて政権を取ったのですから不慣れなのは致し方ありませんし、なるほどワシントン・ポストがいうように「不運」であったことには同情を禁じえないのではありますが、しかしそれで免罪されるというわけにもまいらないでしょう。
海外のメディアにこんな侮辱的なことを書かれ、しかもそれを否定できないというのは国にとっても国民にとっても屈辱的なことですが、しかしことこの問題に関してはわが国の首相は「愚かな首相」だと認めざるを得ないようです。
以上、最初にも書きましたがまったくの居酒屋政談ですので、どうか寛大にお読みください。なお、私は将来にわたって沖縄の負担の軽減が必要ないということを申し上げるつもりは一切ありませんので為念申し上げておきます。

*1:若干の疑いなしとはしませんが。