ホリエモン

中でも労働政策マターが多いのはやはりhamachan先生です。先生のブログ経由で、ホリエモンこと堀江貴文氏のブログ(http://ameblo.jp/takapon-jp/)から。

 最近は新規上場する会社の元従業員とかがチクって労働基準法違反が見つかり上場審査で×を貰うことも多いらしい。ベンチャー企業の従業員の多くは好きで夜遅くまで働いている奴も多いのに、それができなくなる。なんて馬鹿馬鹿しい。きっと労働生産性が低く働きづらくなってやめた社員の僻みだったりするんだろうが。
http://ameblo.jp/takapon-jp/entry-10428558374.html

hamachan先生はこれに「労働基準法守るなんて馬鹿馬鹿しい by ホリエモン」というタイトルをつけられ、「特にコメントはしません。この発言にコメントする必要はないでしょう。」とコメントされました(http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/by-a482.html)。
で、これまたhamachan先生のブログ経由ですが、これに対してホリエモン氏はツイッターhttp://twitter.com/takapon_jp/)でこう反撃しています。

 曲解ブログ発見。どうやったら、「労働基準法守るなんて馬鹿馬鹿しい」って読めるんだろうね?今の労働基準法が馬鹿馬鹿しいんであって法令順守は当たり前。でも改正の必要ありといってるんだよ。頭わるいのか?こいつは。
http://twitter.com/takapon_jp/status/7501328812

というか、ホリエモン氏の最初のエントリをみると「労働基準法違反くらいで上場審査を落とされるのが馬鹿馬鹿しい」と読めるんですが、違うんでしょうか?実際、ホリエモン氏はエントリの最初にスピード違反の例を持ち出しているのですが、代表者が道路交通法違反で反則金を払ったくらいのことで上場審査をはねられることはなさそうですし…。私にはわかりませんが、刑事罰のある法違反があると審査をはねるというような基準があるのでしょうか。このあたりの善し悪しはいろいろ議論がありそうですし、私にはわからないので特にコメントはしません。
それはそれとして、hamachan先生はホリエモン氏のこの反論に対して

 なるほど、何の憂いもなく、俺が雇った奴である限りいくらでも夜遅くまで働かせられるようにしろというわけだ。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-c798.html

とコメントされておられます。
まあ、労働官僚であるhamachan先生がこの手の発言を拒絶されることはまことにもっともと申せましょうが、ホリエモン氏は彼のビジネス感覚で発言しているのでしょうから。私から見るとどちらにも分があるというか、若干のすれ違いがあるように思えます。
ホリエモン氏は「ベンチャー企業の従業員の多くは好きで夜遅くまで働いている奴も多い」と、2回も「多い」と書いていて、要するに全員じゃないと言っているわけで、「俺が雇った奴である限り」とまでは言っていないわけですね。
ただ、ホリエモン氏はhamachan先生が指摘されているように「底抜けに本音剥き出しで喋って」いるので、hamachan先生のいわゆる「まっとうな労働法感覚」を持つ人からすれば「いくらでも夜遅くまで働かせられるようにしろ」と受け止められても仕方のないような表現になってしまっていて、そこに甘さがあることは否定できません。労働政策に影響力のある人たちの考える「まっとうな労働法感覚」がどのようなものかを理解した上で言葉を選ばないと「曲解」を受けるのもやむを得ないでしょう。
具体的には、hamachan先生が言われるように、とりあえずいくら好きだからと言っても体を壊すほど働かれたらいくら本人がよくても周囲が迷惑なので、それはやめさせないといけない。まあこれはホリエモン氏も当然の前提だと思っているでしょう。ただ、身体頑健な青壮年がベンチャー企業立ち上げの際に半年か1年そこらを集中的に「夜遅くまで」働いて過ごしたとして、それを規制しなければならないほどの健康問題が発生するかどうかという問題はあって、それと「まっとうな労働法感覚」との間にズレがある可能性はある。そういう議論であれば成り立つのではないかと思います。
もうひとつ問題なのは「従業員」という用語で、ホリエモン氏がこれをどういう意味で使っておられるのか。会社はオレのもの、利益も全部オレのもの、従業員は全部オレの子分、ということだと、「好きなだけ働いて、適当に帰ればいいよ、ついて来られない人は辞めていいからね」ではやはり適切な保護に欠けるきらいは否めません。もちろん、ベンチャー企業に参画している人が事業にオーナーシップを持って成功のために奮闘するというのはいたって自然なことで(カネのためであれ新商品で社会をよくする、世の中を変えるためであれ)、それを禁止するようなことは社会の進歩を妨げるというのももっともな主張だろうと思います。ただ、別に労働基準法はそれまで全面禁止しているわけではなく、心情だけではなく形式的にも(実質的にも)オーナーシップを持たせれば労働基準法違反も問題は発生しません。たとえば、従業員ではなく役員にして、株式会社であれば意味のある数の株式を持たせ、業績に応じて利益のそれなりの部分を報酬として受け取る、という形式(と実質)を整えれば、好きで夜遅くまで働いても監督署が文句をいうことはないでしょうし、上場審査で問題になることもないでしょう。このあたり、ホリエモン氏も大々的にビジネスをやるのであればちゃんと勉強しなければならないと思いますし、ご承知なのであればそれなりに慎重なものの言い方をしていただかないと、余計な揚げ足を取られることになりかねません。労働問題の議論においてはスキあらば使用者サイドの揚げ足を取ろうとする人も一定数いるのが現実だろうと思いますので、hamachan先生ご指摘のとおり、影響力ある経営者のうかつな発言は経営サイドにとってはなはだ迷惑になりますので。ということで、まあ経団連ホリエモンを審議会の委員に推薦することはないでしょうが、奥谷さんを推薦した結果については自業自得というのがこの話のオチになります。

  • 蛇足ながら、こういう側面でも労働法教育は重要なのだろうと思います。もちろん学ぶ人の大半は労働者になるわけですが、少数ながらその中から経営者になる人も出てくるからです(人事管理者になる人も出てくるでしょう)。そう考えると、ますますどのように教えるかが大切になってきそうです。

公開会社法

私も先週ちょっとコメントしましたが(http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20100112#p3)、これはけっこうブログ界で話題になったようです。上で取り上げたホリエモンブログのエントリも実は公開会社法に関するもので、そこから池田信夫氏、城繁幸氏、青木理音氏のブログにリンクがはられています。青木さんという人は私は知らないのですが、あとの2人はなかなかのメンツですな(笑)。
発端になったのは民主党の藤末衆院議員のブログhttp://www.fujisue.net/update/index.htmlのエントリで、

ポイントは2点ございまして、

1.これまでよりも、会社の規模により分別した規制をかける、ことが重要です。
  すなわち、上場企業は特別な規制が必要ということです。
  金融証券取引法との調整・連携も必要です。

2.最近のあまりにも株主を重視しすぎた風潮に喝を入れたいです。
  今回の公開会社法にて、被雇用者をガバナンスに反映させることにより、
  労働分配率を上げる効果も期待できます。

下記は日本銀行の資料ですが、上場企業の利益の3分の1が配当に回っているというデータもあります。
http://www.fujisue.net/archives/2010/01/post_3407.html

まあ、こりゃ突っ込まれても致し方のない代物ではありますね。
まず池田先生ですが、ご自身のブログで「「『最近のあまりにも株主を重視しすぎた風潮』ってどこの国の話ですか?」と突っ込んでしまった」と書いておられます(http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51341659.html)。まあ、そのとおりでしょう。たしかに日本企業がここ20年くらい株主重視の方向にシフトしていることは事実ですが、それはそれまであまりにも株主軽視だったことからの反省によるものでしょう。とりあえず国際比較上は日本企業は「あまりにも株主を重視しすぎ」とは言えないでしょうし、金融市場が国際化する中にあってそれに「喝を入れたい」という情緒的な意見表明はちょっとなじまないというか…。
それから、池田先生の「2000年代なかばに日本の労働分配率が下がったのはガバナンスとは関係なく、図のように景気が回復したからだ(灰色の景気後退期には分配率が上昇している)。労働分配率は「賃金/GDP」だから、賃金が一定でもGDPが上がると下がるので、上げるには不況にすればよい。事実、2008年度の労働分配率は史上最高になった。」という指摘もまったくそのとおりと言うよりありません。
これに対して、城繁幸氏のエントリはなかなか面白い。
http://blog.goo.ne.jp/jyoshige/e/f2acf204436d76f57c6a97398b8b5599

 まず、企業の配当を制限して労働分配にまわすという意味がわからない。
「銀行員の賃上げのために利子をカットしときましたから」と言われて、その銀行の預金者は納得するだろうか。しないだろう。

いや、そりゃ固定金利を約束しているのにそれを一方的に引き下げたら理由の如何を問わず基本的に預金者は納得しないでしょう。いっぽう、配当ってのは基本的になにも株主に「いくら配当します」と約束しているものではないですから、理由の如何を問わず配当を引き下げられることは十分ありえます。この場合、株主は株主総会で利益処分案に反対する(さらには別の利益処分案を提案する)ことになりますが、言い分が通らなかったらこんな会社の株を買った自分がバカだったということで納得するよりありません。

 もちろん、配当を抑えて従業員に回すというアプローチもある。
 たとえばドリームインキュベーターの堀紘一氏は、常々「うちは配当は薄く、社員にあつく報いる」と語っている。別に“友愛”を信奉しているわけじゃなくて、優秀な人材を囲い込んで業績拡大しますよという戦略であり、それを評価する人が株に投資するというわけだ。
 そういう個々の事情を無視して、ドリームインキュベーターみたいな会社も、惰性で漂流しているような電機みたいな会社も、一律で同じ規制を適用しちゃったらどうなるか。

これは結果的になかなかいいことを言っています。青木氏が詳しく紹介している(http://rionaoki.net/2010/01/2597Googleの例なんかもこれに近いでしょう。企業経営者としてみれば、利益を再投資してビジネスを拡大し、さらに利益が増えればこれはけっこうな話です。ただ、効率的な投資ができないのであれば、とりあえずいい投資ができるまで内部留保しておくか、株主に還元するか、労働者に分配するかということになるわけで、その時に経営上資金の出し手が大切だと思えば配当するでしょうし、従業員の生産性を上げたいと思えば賃金を上げるでしょう。
で、実は藤末衆院議員も「会社の規模により分別した規制をかける」とは言っているのですね。城氏の論法を勝手に敷衍すれば、資金の出し手が本当に貴重な企業、海のものか山のものかわからないけれどことによると大いに見込みのありそうなベンチャーなどに自分の資金を出してくれる投資家というのは非常に貴重な存在であって、そういう人はおおいに優遇されていいし、経営に発言権を与えていいでしょう(カネは出すけれど口は出さないというまさに天使のような投資家はそれ以上にありがたい存在かもしれませんが)。経営者自らが資金を出し、あるいは株式を保有しているのであれば、当然経営者の権限も大きくなるでしょう。それに対し、すでにビジネスも組織も出来上がっていてそうそうビクともしそうにない一部上場企業の株を買った投資家が同じように処遇されなければならないかといえば、それはそうでもないのではないか。池田先生も主張しておられるように、リスクテイクを支援することが大切で、一般的な傾向として小規模企業ほど資金の出し手のプレゼンスは大きいでしょうから(だから銀行も影響力が大きいわけで)、規模に応じた規制というのはけっこう大切だろうと思います。ただ、この論法でいくと、大企業は株主の権利を制限して他のステークホルダーの発言権を高めてもいいという方向になってしまうのは城氏としてはツライかもしれませんが(笑)。そうでもないのかな。
なお、余談ながら、城氏の

 そうそう、あちこちで書いてきたことだけど、日本は賃金が硬直しているせいで不況になったら労働分配率は自動的に上がる。民主党が政権とっている間は心配されなくとも上がりっぱなしでしょう。

というのは、どちらかというと賃金ではなく雇用が硬直していると言ったほうがいいと思うのですが、というか、城氏は常々雇用の硬直を口をきわめて批判していたと思うのですが(笑)。実際、日本の賃金というのは時間外手当と賞与にかなり弾力性があるので、諸外国と比較してもそれほど硬直的ではないはずです。
ちなみに、hamachan先生はといえば、池田先生が労働者代表の監査役会への参加について批判しているのを捉えて「しかしスウェーデンデンマークではすでに複数の労働者代表の参加が法定されていますが」と指摘しておられます(http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-dddc.html)。また、これらの議論において「驚くべき事は、そのほとんどが「ヨーロッパでは会社法に労働者参加規定があるのがデフォルト」という基礎知識の欠落しているということです。」とも指摘しておられます(http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-684e.html)。まあ、ここらの論者は、この手の議論ではそもそも欧州は目に入っていないのでしょうが…。
なお、私の現時点でのとりあえずの見解としては、先日のエントリ(http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20100112#p3)でも書いたとおり、従業員代表の参加については悪いとは言わないけれど必要とも思わない、というところです。「悪いとは言わない」というのは、選ばれる人によっては有意義な関与ができるだろうと思うからですが、きちんとした人を選べない会社まで無理に選ばなければならないような規制になると弊害のほうが大きくなるだろうという心配もあって、そういう表現になっています。まあ、すでに定着している大陸欧州諸国のようにはなかなかまいらないでしょう。
必要性を感じない、という理由はいくつかあって、そもそも日本企業の監査役(や取締役)の多くは元社員であって、従業員福利や動機づけといったことについてはまずまず十分に承知しておられるだろうというのがひとつ。あるいは、たとえば取引先代表とか債権者代表とかいった人たちとの均衡上、労働者代表だけを法定することがいいかどうかは必ずしも明らかではないということもあります。まあ、現実には法定されなくても取引先や債権者の代表、という感じの人が監査役(や取締役)になっているケースは多いわけですが。もうひとつ、なにも監査役会や取締役会に乗り込むのでなくても、労使の協議は十分に行えるわけで、むしろ変にフォーマルなものにしてしまうとかえって形骸化したり、他の労使協議の場が失われたりすることが心配だ、というのもあります。
ということで、株主、特に短期保有株主や一部上場企業の株主の権利を制約することには賛成ですが、それ以外はあまり無理して手を入れないほうがいいのではないかというのが今のところの私の意見です。
「簡単にいくつか」と書いたわりには2つでかなり長くなりましたので、続きは明日に回させていただきます。