キャリア辞典「ダイバーシティ」(2)

「キャリアデザインマガジン」第70号のために書いたエッセイを転載します。


ダイバーシティ(2)


 米国生まれの「ダイバーシティ・マネジメント」がわが国に導入されたのはいつごろだろうか。日経新聞のWeb新聞記事データベース「日経テレコン21」を使って、わが国の新聞紙上に「ダイバーシティ」が登場しはじめたのがいつ頃かを調べてみよう。日経新聞のほか、読売、朝日、毎日、産経の各紙を対象に検索してみると、検索できた限りでもっとも古い記事は1986年のものである。もっとも、ダイバーシティという語が使われているといっても、これは通信技術のダイバーシティ・アンテナに関するもので、人事管理に関する「ダイバーシティ」が新聞紙上に出現するのは1998年まで待たねばならない。この記事は民間のシンポジウムで日本テキサス・インスツルメンツの女性活用に関する事例が報告されたことを報じたものだ。
 翌1999年には、改正男女雇用機会均等法が施行されたこともあってか、人事管理関連(以下、特に断らない限り「ダイバーシティ」は人事関連のものに限定するの「ダイバーシティ」も6回新聞紙上を賑わせたが、具体的に紹介された事例は日本アイ・ビー・エム、日本ヒューレット・パッカードプロクター・アンド・ギャンブル、そして日本テキサス・インスツルメンツの4社となっている。いずれも外資系企業であり、わが国におけるダイバーシティ・マネジメントがまずは外資系企業によって持ち込まれたことがうかがわれる。
 もっとも、翌2000年にはダイバーシティは新聞紙上から姿を消してしまう。2001年、2002年、2003年の登場回数はそれぞれ2回、4回、4回である。このころ、当時の日本経営者団体連盟(日経連、後に経団連に統合して日本経団連となる)が「ダイバーシティ・ワーク・ルール研究会」を開催していた。2004年には、日産自動車が「ダイバーシティデベロップメントオフィス」という女性の社内活用を進める専門部署を設立するなど、ダイバーシティに着目する企業が増え始めたこともあり、新聞紙上への登場も11回と増加した。日産自動車のこの組織は再建のためにルノーから送り込まれたカルロス・ゴーン社長の肝煎りであったといわれ、外資コンサルタント会社からスカウトされた女性幹部が室長となった。
 その後、2005年は16件、2006年は24件、2007年は29件と、登場回数は順調に伸びてはいるものの、それほどめざましい拡大を示しているとは残念ながらいえないようだ。内容をみても、女性の活用に関するものが圧倒的多数を占めており、国籍や年齢、あるいは障害といったダイバーシティに関するものは希である。女性の活用に関する記事は一桁違うオーダーで報じられているところをみると、わが国におけるダイバーシティへの大方の関心はまだ女性に関するところまでで止まっており、さらに踏み込んでいる企業は少ないということだろうか。女性活用なら女性活用といえばすむわけで、わざわざなじみの薄い「ダイバーシティ」を持ち出すまでもないということなのだろう。
 なお、人事管理関連以外で「ダイバーシティ」が新聞紙上に現れるのは、前述のダイバーシティ・アンテナのほか、「バイオダイバーシティ」=種の多様性に関するものがある。ダイバーシティ・アンテナが通信の感度向上、バイオダイバーシティが地球環境保全、そしてダイバーシティ・マネジメントが創造性発揮と、それぞれ今日的なテーマに結びついているのはおもしろいところだ。