「粘土層」を大切にしよう

たまには(笑)人事管理ネタです。18日の日経新聞書評欄で、編集委員の塩田宏之氏が『シャドーワーク』という本を紹介していました。

 本書で言う「シャドーワーク」とは、会社員が社内外で自主的、非公式に取り組む勉強や活動を指す。目的は会社への貢献だが、公式な職務や業務命令から一歩離れているのが特徴だ。
…本書はシャドーワークを阻むものの分析や対応策、促進するためのマネジメントにも言及。管理志向の強い上司が壁になる例も指摘している。ちなみに三菱商事小島順彦社長は最近、本紙のインタビューに登場。過去の成功体験にとらわれ、トップと現場の情報流通を遮断する人たちを「粘土層」と呼んだ。彼らには「他の企業と交流して異なる文化や発想を吸収してもらう必要がある」などと語っており、本書と問題意識が重なっているようだ。
(平成19年3月18日付日本経済新聞朝刊から)

で、私としては当面「シャドーワーク」はどうでもよく、反応したのは文中にある「粘土層」という言葉です。「本紙のインタビューに登場」というので探してみたら、しばらく前に掲載されていました。

識者に聞く――三菱商事社長小島順彦氏、多様性受け入れ活力に(成長を考える)
 ――経済同友会でまとめた提言で「日本のイノベーション(技術革新)力を社会構造や風土が阻害している」と指摘しています。

 ――企業の「粘土層」を除去する必要にも触れています。
 「トップと現場の中間にいる、過去の成功体験にとらわれた人たちのことだ。田んぼには粘土層があるので水は下にいかない。しかし企業の場合はトップからのメッセージが伝わらず、下からの情報も上に上がらなくなる。粘土層の人たちには違ったところで仕事をしてもらうとか、他の企業と交流して異なる文化や発想を吸収してもらう必要がある」
(平成19年3月3日付日本経済新聞朝刊から)

で、これだけではよくわからないので、経済同友会の提言も見てみると、こういうことのようです。ちょいと、危なっかしい感じです。

▽日本のイノベーションを阻害する要因
○成功体験で硬直化した社会構造
 豊かになった社会の価値観としては安定を求め、どうしても保守的になってしまう。日本もこれ迄は改革の痛みよりも現状維持が心地よく、過去の成功体験の上で胡座をかいてきた。その結果、官庁や大企業の中間管理職を中心に既得権益を守ることが使命となってしまっている「粘土層」ができあがり、環境の変化に対応した変革を妨げてきた。

抵抗勢力を除去・遮断
●情報開示を進めて透明性を高め、“粘土層”も除去し、別の場所で活用する
 イノベーションに必要なオープンで風通しの良い組織風土を作るには、情報開示を進めるなどして透明性を高めることが必要である。また、田んぼには粘土層があるので水が下にいかない。沖電気の篠塚社長によれば、企業の中に粘土層があると、上からの情報は下に行かず、下からの情報は上に上がらない。よって、社内を活性化し、変革するには残念ながら、まず粘土層を取り除かないといけない。但し、粘土層を捨てるのではなく、再生する必要があるのか、それとも別のところで粘土層として働いてもらうかを考える。過去の経験に基づいて、コーチ役など、色々な活躍できる場があるので、その辺はきちんと対応する。大事なことは、粘土層への対処である。時代に合わせて会社を変えるべく新しい考えを取り入れても、粘土層が抵抗勢力となり、前に進めなくなる。GEでは同社のバリューをパフォーマンスと結び付けて、人材のランク付けを行っている。バリューがあって、パフォーマンスが高い人は引き上げ、パフォーマンスがないとか、バリューがない人は育ててあげる。その両方ともない人は排除していくことによって、人の滞留をなくしている。
(社団法人経済同友会日本のイノベーション戦略委員会「日本のイノベーション戦略」http://www.doyukai.or.jp/policyproposals/articles/2006/pdf/070202.pdf

とりあえず「粘土層」という表現は小島氏ではなく「沖電気の篠塚社長」のもののようです。
全文を読むとたいへんもっともな内容が多いのですが、こと「粘土層」論に関しては、短気を起こしておられるのではないかと余計な心配をせざるを得ません。一応は「その辺はきちんと対応」と書いてはいますが、章末に付された「日本のイノベーション戦略:3つの戦略と2つのアクション」という要約表にはズバリ「粘土層排除」とのみ書かれていますし、GEの事例を持ち出しているあたりにも、排斥したいという本音がありありと表れています。
もちろん、多くの「官庁や大企業の中間管理職」の中には、自分の既得権をなんとか守り抜きたいということだけを考えているような人もいることはいるでしょう(その人がそうなってしまった経緯には組織やトップにも一定の責任があるケースが多いでしょうが)。問題は、小島氏や篠塚氏の目にはどれほどの人が「粘土層」と映っているか、という点です。この文章をみるかぎり、相当割合の中間管理職を「粘土層」とみているのではないか、と感じる人が多いのではないでしょうか。下世話な話、思い通りに動かない部下にイライラして放り出したがっている、というふうにも見えてしまいます。
もう10年近く前になるでしょうか、ITブームの一時期、「中間管理職不要論」が声高に叫ばれたことがありました。いわく、これからは若手社員がEメールで経営トップに直接意見具申する時代であり、経営トップは企業全体、さらには広く社会に対して積極的に情報発信し、ビジョンを示して自ら改革をリードしていく時代である。こういう時代には、中間管理職は不要となる。中間管理職は自分に都合の悪い情報は隠してしまってトップに上げないし、経営者の若手への期待を伝えないなど、組織の風通しが悪くなるばかりである、などなど。経済同友会や小島氏の発言は、まるでこの時期に逆戻りしたかのようです。

  • というか、古くから中間管理職は上下の板ばさみになるつらい立場だということは認知されていたといえそうです。実際、下から見れば鬱陶しいし、上から見れば思い通りにならないという不満を持たれがちで、「不要論」が台頭する土壌は昔からあったのでしょう。まあ、実際、年功序列重視の時代には、無能な中間管理職、不要な中間管理職というのもあちこちにいたこともまた間違いないわけで。

実際には、こうした「不要論」の掛け声に乗って中間管理職を「一掃」してしまった企業は、大きな混乱に見舞われたようです。考えてみれば当然のことで、ただでさえ多忙を極める経営トップに、電子メール(でもなんでもいいですが)で末端の社員から直接に膨大な情報が寄せられたとして、そのすべてに目を通すこと自体無理な注文です。仮に目を通したとしても、細かい情報の一つひとつについて、たとえばその情報がどの程度確実なのか、といったことを経営トップが判断することは不可能でしょう。もちろん、経営トップが生の情報に接することは重要ですが、基本的には経営トップには膨大な情報が取捨選択され、整理され、分析された状態で伝わることが望ましく、生の情報には要所、ポイントで接するということでなければ、経営トップの重責を果たすのは時間的に不可能ではないかと思います。こうした情報の整理や分析、さらにそれを踏まえた経営施策案の立案といったことをこなすのは誰かといえば、そのキーマンはまさに中間管理職です。たしかにそのままの情報は上がりませんから「粘土層」かもしれませんが、その粘土が水を濾過してくれるから経営トップの仕事が進むのではないでしょうか。
経営トップからの情報発信については、さらに「粘土層」の役割が重要ではないかと思います。一人ひとりの従業員は、それぞれに役割と権限を分担した組織の中で、さらに一定の役目を与えられています。経営トップの言葉をそのまま従業員に伝えても、従業員はそれをどう受け止め、自分の仕事にどう反映したらいいのか、混乱するだけでしょう。例えば経営トップが従業員に「時代に合わせて会社を変えるべく新しい考えを取り入れ」なさいと語りかけたとしても、従業員としては「では私のこの仕事はどうすればいいのか?」と戸惑うだけになりがちではないでしょうか。経営方針、経営目標はそれぞれの部署の役割、従業員一人ひとりの役目に沿って各段階でブレイクダウンしていかなければ組織は動きません。そのときにキーマンとなるのはやはり中間管理職、「粘土層」です。小島氏は「田んぼには粘土層があるので水は下にいかない。しかし企業の場合はトップからのメッセージが伝わらず」と言いますが、実はトップからのメッセージを「粘土層」がうまく濾過して下に伝えなければ、下はメッセージをうまく受け止めることができないのではないかと思います。さらに極端な話をすれば、「改革」と「発信」が好きな経営トップに仕える中間管理職の中には、「トップの思いつきをそのまま実行していたら大変なことになっていた」「自分たちがトップの行き過ぎを止めているから会社は回っている」という気概?を持つ人も多いのではないでしょうか。経営トップが暴走して世間に多大な迷惑をかける企業も残念ながら後を絶ちませんが、こうした企業では中間管理職がイエスマンぞろいになっていることが多いような印象もありますし。
まあ、現実の問題としては、日本企業の大半で中間管理職がだぶついていたり、あまり機能していない中間管理職が存在したことも事実なので、それを「その辺はきちんと対応」することは当然重要であり、なんでも「粘土層」を厚くすればいいというものではもちろんないでしょうが、中間管理職の機能や役割を十分考えずに、一括して「粘土層」として排除するというのもまたいかにも危険ではないでしょうか。「粘土」は緻密さ、堅実さ、柔軟さを持つ実用的な素材であり、いい意味で企業の中間管理職にふさわしい例えとも言えるかもしれません。若い人たちが自分のキャリアの身近な目標とできるような立派な「粘土層」を作り上げることは、企業組織を強化するうえで重要な課題ではないでしょうか。