大竹文雄「経済学的思考のセンス」

「キャリアデザインマガジン」に載せるために、ようやく書評を書きました。途中、話の持って行き方にいささか(かなりの)無理がある(笑)のは、「キャリアデザインマガジン」という媒体にあわせようという苦心のあらわれです。
ここにも転載しておきます。

  • 実は、恐れ多くもあとがきで謝辞をいただいてしまいました。こちらこそ感謝です


 民間企業がいわゆる「文系」を採用するとき、その対象となるのは法律系、あるいは経済・経営系の学部が中心となる。それは法律や経済に関する知識が企業で役立つからではない、と言えば、意外に思う人も多いかもしれない。
 もちろん、これらの知識がそれなりに役立つことも多い。しかし、学部は4年だが、職業生活は40年も続くのだ。学部で学ぶ程度の知識であれば、仕事をしながら勉強すれば必要な部分は間もなく身につく。そう考えれば、「知識」が第一に求められているわけではないことは容易に察しがつくだろう。
 大切なのは「知識」ではなく「考え方」なのではないか。法学部でいえば、「法律知識」より「リーガル・マインド」を企業は求めているのだろう。社会では必ずしも唯一絶対の正解が決まるわけではない。訴訟の場面では、原告にも被告にもそれぞれそれなりに一貫した理屈がある。それを解決するには、大方が納得する新たな一貫した理屈を示す必要がある。証拠に基づいて事件を総合的に理解し、論理的に判断する、といった「マインド」が求められる。あるいは、納得を得るために必要な正義や公平に対するバランス感覚も求められるが、これは法学的な「センス」であろう。これがビジネスにおいてきわめて有用なものであることは言うまでもない。
 同じように、経済学でいえば、経済、金融や財政などについての知識もさることながら、「経済学的な考え方」が求められているのではないか。仮説を立て、モデルを作り、現実のデータを調べてこれにあてはめて検証するといった実証研究の「マインド」は、やはりビジネスにおいてまことに有用である。そして、「経済学的思考のセンス」もまた同じなのだ。
 この本で著者は「経済学的思考のセンス」をきわめて明快に示している。インセンティブと因果関係、リスクとインセンティブトレードオフ、経済合理性か非合理性かといった「センス」を、「女性はなぜ、背の高い男性を好むのか?」「美男美女は本当に得か?」といった身近で親しみやすい、しかし経済学の対象としてはちょっと意外(そして結論もかなり意外)なエピソードを紹介しながら説き進めていく。最初はこうした柔らかい話からはじまり、徐々に硬い話を取り上げ、最後には所得格差と再分配といった今日のわが国におけるもっとも論争的なテーマに踏み込んでいく。読み物として非常に面白いだけではなく、楽しく読み進めながら、知らず知らずに経済学の本質に触れて、経済学への関心が高まるように書かれている。そういう意味では、まことに優れた経済学の入門書といえるのかもしれない。
 著者は労働経済学の専門家だが、この本で取り上げられた内容は必ずしも労働に関わるものばかりではない。それどころか、一見経済学とは縁遠い話題もいくつも紹介されている。こうしたことにまで「経済学的思考のセンス」が有用であるのなら、それはビジネスだけではなく、人生のすべてにわたって一定の有用性を持っているのだろう。広くおすすめしたい本だと思う。