経団連「経営労働政策委員会報告」に対する連合見解

きのうも書きましたが、経団連が「経労委報告」を発表したのを受けて、連合がさっそく批判の見解を出しています。揚げ足取りや、いささか品のない悪態めいた表現が時折出てくるのは毎度のことで、ご愛嬌でしょうが、今年は例年になく長文で、力作なのかもしれません。ただ、これは立場の違いがあるので致し方ないのですが、内容をみると相変わらずかみあっていないところが多く、批判のための批判という印象を禁じ得ません。まあ、これから交渉事を始めようというのですから、言われたらまずは言い返すことが大事だ、という考え方もあるのでしょう。

「報告」は、「従業員の懸命のがんばりが、日本経済をよみがえらせた」とし、「生産性三原則」(雇用の安定・確保、労使協議の原則、公正な分配)を普遍的な思想として今後も堅持すべきとしている。しかし、実態は、多くの職場、多くの家計が痛んだまま置き去りにされ、「生産性三原則」が揺らいでいる。経営側は、その原則のもと、「従業員のがんばり」に対する「公正な分配」をきちんと行うべきである。
 また、日本的経営の強みがチームワークと現場レベルのコミュニケーション能力の高さにあるとの認識が表明されているが、この数年間、「現場の総合力」を弱める経営施策ばかりが行われてきた。「現場力の低下について問題提起してきた」と言うだけでなく、経営者は、現場で何が起こっているのか、真剣に見つめ、長期的視野に立った現場重視の経営に立ち返るべきだ。
http://www.jtuc-rengo.or.jp/new/iken/danwa/2005/20051213.html、以下同じ)

立場が違うのでこういうことになるのでしょうが、「多くの家計が痛んだまま置き去りにされ、生産性三原則が揺らいでいる」とまでいうのはさすがに違和感があります。家計が「痛んだ」のは賃金下落や失業もさることながら、物価下落の中でローン負担が重くなったことや社会保険料が上がったことなども影響しているはずです。そこまで生計費の面倒をみなければ「生産性三原則が揺らいでいる」ことになってしまうというのは、「生産性を上げて利益が出たら適切に配分する」という生産性運動の考え方とは異なると思うのですが。
「この数年間、「現場の総合力」を弱める経営施策ばかりが行われてきた。」というのはだいたいそのとおりで、特に問題なのは(賃金じゃなくて)非典型雇用の増加やアウトソーシングの拡大でしょう。これに関しては、「報告」も率直に反省の弁を述べているようです。ただ、「長期的視野」については、経営者だけを責めるのは酷というもので、短期的利益の重視を主張する株主や投資家をなんとかしないとどうにもならないんですけどね。投資ファンドの株の買い占めに対して、買い占められ(ようとし)た企業の経営者だけではなく、労組も反対を訴える例が続出していますが、連合はこういう労組を真剣に支援しているのでしょうか?

「報告」は、「個別企業の賃金決定は個別労使がそれぞれの経営事情を踏まえて話し合いで決めるべき」「それにあたっては、企業の支払い能力、総額人件費、および中長期的な経営見通しという三つの観点が重要」としている。総額人件費管理の視点のみで、賃金決定を企業内で自己完結させようとする発想は、「賃金の社会性」を無視するものである。
 経営側は、マクロの分配論に対する考え方を示すべきである。旧日経連時代から「生産性基準原理」を口実に賃金抑制を行ってきたが、都合が悪くなると個別労使の問題として逃げる経営側の理論の使い分けは問題である。国民生活の向上(実質賃金の改善)なくして、安定的な経済成長は困難である。

ま、これも連合の立場からすればこういうことなのでしょう。ただ、「賃金の社会性」とか、「公正競争のためには産業内の賃金横断性という視点も欠かせない」とかいう考え方は、ナショナルセンターとしては金科玉条というのはよくわかりますが、個別の組合員の理解や納得を得ているかどうかは疑わしいのではないでしょうか。むしろ、同じ産業、同じような仕事(、経験、その他いろいろ…)であっても、業績が好調な企業はそうでない企業より賃金が高い、賃上げが多いのが当然で「公正」だ、と考えている組合員のほうが多いと思うのですが。
なお、マクロの分配論に関していえば、生産性基準原理はインフレ(懸念)が深刻な状況での賃金・物価政策をどう考えるか、というものでしょうから、物価が安定している(というか、まだデフレの)状況では、個別決定で問題はない、というのは十分ありうる考え方ではないでしょうか?その結果として、トータルしてみれば「マクロ的には労働側に1%以上の成果配分がなされる」可能性だってあるわけですし。

 また、「短期的な業績は、賞与・一時金に反映」という考え方への悪乗りにも問題がある。報酬体系の根幹として月例賃金を重視すべきである。将来の経営不安をあおって中期的な生産性改善のトレンドを棚上げし、月例賃金の改善を抑制することがあってはならない。

「悪乗り」というのが解釈が悩ましい表現ですが、一応「短期的な業績は、賞与・一時金に反映」という考え方そのものは認めたうえで、行き過ぎている(「悪乗り」している)ということなのでしょうか。
月例賃金を容易に下げられればこの部分の問題はなくなるわけですが、実際にはそうではない(だからこそ連合も「月例賃金を重視」するのでしょうし)わけですから、結局は団体交渉のなかでどれだけ賃金に割り当てるかという問題ではないかと思います。だとすれば、きのうのエントリでも書いたように、「報告」には以前から「上げても大丈夫、という企業は上げればいい」という意味のことが書いてあります。

 「報告」は、わが国で急速に進んでいる「所得の二極化」に対する問題意識が希薄である。その序文で「世界の各地で、格差と貧困にその原因の一端を有する紛争が多発しており、・・・先進国もその例外でない」と言いつつ、わが国の格差と貧困についての具体的な分析と対策はほとんど見あたらない。

はあ。日本の格差が拡大しているとか貧困が拡大しているとかいう議論は流行ですが、少なくとも紛争や暴動が起きている国に較べれば格差も階層化もかなりマシなのではないでしょうか。とりあえず日本の経営者(経営労働政策委員会の委員になるような)は、一般勤労者の数百倍なんていう破廉恥な報酬を得ているわけではありません(まあ自社の組合員平均の十数倍くらいのもんでしょう)し、「具体的な分析と対策がない」と非難するのは的外れでしょう。

 「報告」は、「様々な雇用・就業形態の従業員を、公正性、納得性の観点で適正に処遇することが重要」としているが、そう考えるのならば、法制度と企業内の処遇制度両面からの均等待遇を真剣に検討すべきである。

これは、おや?という感じです。少なくとも企業内の処遇制度における均等待遇は、少なくとも経営労働政策委員会委員の会社では、労使で真剣に話し合って取り組んでいるはずで、当然それは連合もご存知のはずなのですが…。非組合員の多くは市場価格で処遇されているわけですし、組合員の処遇だって労働市場と一定のリンクはあるわけですし…どうも、「均等処遇」というものに対する実態理解や考え方にはかなりの混乱があるみたいです。

 また、現場力のために協力企業や取引先企業、外注業者との連携強化が必要だとも言っている。しかし、現実に進んでいるのは、コスト削減を下請け・中小企業にしわ寄せする経営施策である。企業規模間の賃金格差も、歴史的な拡大を続けている。違法行為や労働条件の格差拡大を放置したままで、本当の連携強化ができるとは思えない。

これは連携強化はどうでもよくて、揚げ足を取って「コスト削減をしわ寄せするな」「賃金格差を拡大させるな」ということを言いたいのでしょう。連合の主張としてはまことにもっともではありますが、これは基本的に元請け・大企業と下請け・中小企業の分配の問題でしょうから、要するに元請け・大企業の雇用と賃金を削減し、下請け・中小企業の雇用と賃金を増やす、ということになるのではないでしょうか。本当にそれをやる気があるのなら、「パート共闘会議」や「中小共闘」もけっこうでしょうが、連合として元請け・大企業の労組に対する指導力を発揮する必要があるでしょう。それとも、ただ揚げ足を取りたかっただけ?

 また、「報告」は、働き方のルールが崩れつつある実態に目を向けようとしない。長時間労働者の健康問題や不払い残業問題は、社会的な課題とされ、連合の労働相談でも労働基準法違反の相談が増え続けている。CSRの重要性を唱える以上、こうした違法行為を一掃すべきである。400万円以上のホワイトカラーを労働時間に関する法的規制の適用除外とする「ホワイトカラーエグゼンプションに関する提言」も出されている。実行されれば、最低限の法律さえ守れられていない現状が追認され、問題が一層複雑化する。「報告」では「国際労働基準の精神を尊重」するとしており、まず、国際的にも問題視されている時間外労働の規制強化や割増率の改善をはかるべきである。

長時間労働不払い残業と労働時間制度の議論を混同するのはやめるべきでしょう。「報告」も長時間労働不払い残業がいいと書いているわけではなく、それとは別に、労働時間制度を実態に応じたものにすべきだ、と主張しているだけではないかと思います(まあ、私も400万円がいいとは思いませんが)。実際、「報告」も「長時間労働など健康問題にも配慮」とは書いていますし。
まあ、連合は連合なりに、民間だけで構成されている経団連以上に多様な構成組織を抱えていますし、その考え方も経団連以上に多様でしょうから、あちこちに目配りし、配慮するとどうしてもこういう書き方になってしまうという面はあるのかもしれません。経団連と違って、連合としては「各個別労使の自由な決定」ということでは存在意義がなくなりかねないという事情もあるでしょうし。これがそれなりに組織を鼓舞するのであれば、出すだけの意義はあるのだろうと思います。案外、「来春闘は賃上げ春闘」「ベア復活有望」みたいな新聞記事が出ているなかでは、組織の引き締めという意味もあるのかもしれません。