野川忍先生の解雇規制解説

野川忍先生が、ツイッターで解雇規制について述べておられます。概ねそのとおりと思う内容なのですが、例によって140文字という制約ゆえにやや不十分と思われる記載もあります。たぶんこのブログでの記載と思われる引用もありますので、ここでコメントしたいと思います。労働弁護団の佐々木先生のツイートを受けて展開されたもののようです。

(1)同感です。周知のように日本の法制度は、ドイツなどと異なり「正当な理由がない解雇は違法」というルールを設けてはいません。先進国ならどこでも違法である差別解雇や、期間を定めたにも関わらず期間途中で解雇する場合を規制しているほかは、労契法16条があるだけです。@ssk_ryo

(2)労契法16条は、「客観的に合理的な理由」と「社会通念上の相当性」がない場合は権利の濫用として無効である、と規定していますが、これも「どのような権利でも濫用は許されない」という一般原則を解雇についても及ぼしただけの規定です。ではどこに緩和しなければならない解雇規制があるのか。

(3)それは、労契法16条の背景にある判例法理が、「実際には、めったなことで客観的に合理的な理由や社会通念上の相当性は認められない」と思われる厳しい内容であることと、整理解雇についての判例法理が非常に厳しく見えるからです。しかし、これをもって解雇規制が強いというのは誤解。

(4)以前もツイートしましたが、裁判所が、実際に訴訟となった解雇の多くにつき、「使用者は権利を濫用しており解雇は無効」と判断してきた中心的な根拠は、「使用者は信頼を不当に裏切るな」という趣旨であって、厳しい判断を生み出した原因の過半は使用者側にあります。

(5)つまり、高度成長期に確立した長期雇用慣行を適用されてきた正規労働者は、新入社員のときはどんなに働いて成果を上げても給与は低く、逆に出世して管理職になれば成果よりは地位に応じて高給を保障されるという賃金制度が普及していました。

(6)この制度は、定年まで勤めて労働成果と報酬としての賃金の帳尻が合う、という内容ですから、「長期に雇用する」ことが労使双方に了解されていて初めて正当化されます。そこには、「めったなことでは解雇しない」という使用者のメッセージがあり、労働者はそれを信じて粉骨砕身していました。

(7)しかも、使用者はこの「雇用保障メッセージ」を条件に、諸外国には見られないほど広汎で絶対的な「人事権」なるものを主張し、恒常的残業、家族を引き裂く遠隔地配転、キャリア形成を切断する職種転換なども「命令」として一方的に可能であるというシステムを構築するのに成功しました。

(8)わかりやすく言えば、「雇用は保障するから企業に服従せよ」という使用者側の提示に労働者側も応じていた、というのが実態でした。したがって、それにもかかわらず使用者が「めったなこと」も生じていないのに解雇することは、約束違反になるので、裁判所はこれを「裏切り」と判断してきました。

(9)この「雇用保障と絶対的人事権」との取引関係は、もちろん、大企業の正規労働者が中心的対象ですが、企業グループ内での子会社や関連企業にも普及して、日本の雇用社会における社会慣行として定着していました。だからこそ、「解雇はめったにできない」という社会ルールも一般化したのです。

(10)これに対して、濱口桂一郎先生が強く指摘されているように、中小零細企業では、「解雇の自由」という原則がずっと定着しており、国際的にみてもそれほど日本が異質なわけではありません。 他方で労働者の移動も頻繁であり、雇用保障と絶対的人事権の取引関係は希薄です。

(11)これも繰り返しになりますが、「解雇規制緩和」は、以上のような日本の実態に照らせば、企業側が人事権を手放して、人事を労働者との合意のもとに行っていく度合いに応じて実現していくでしょう。実際、外資系企業や最近のベンチャー系企業ではそのような傾向が見られます。

(11)以前、同様のツイートをした折には、「経営者は人事権を手放すことなど考えないから、今の状態でよい」という企業人事の方々からのご指摘をいただきました。解雇規制緩和を主張する方々はこのような事情を踏まえたうえで、現実的で実効性のある方向をぜひ明確に示して頂くようお願いします。
http://twitter.com/theophil21/status/26808239597289472http://twitter.com/theophil21/status/26815633526104064

ということで、この最後のツイート(ふたつめの(11)の「企業人事の方々からのご指摘」にたぶん私の過去エントリ(http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20101007#p2)で「とりあえず「辞令一枚で職種変更や海外駐在が行われる」レベルの「絶対的権限としての人事権」を行使している企業の経営者で「でも解雇は自由にしたい」と思っている人はあまりいないのではないかと思います。」と申し上げたことも含まれているのではないかと思ったわけです。
ですから、「経営者は人事権を手放すことなど考えないから、今の状態でよい」と言い換えられると少し違うかなという感じもしますが、「方々」とのことなので複数の意見の公約数としてこう書かれたものでしょうか。
さて最初にも書いたように大筋同感なのですが、私として若干補足したい点もあります。
まず(5)で「正規労働者は、新入社員のときはどんなに働いて成果を上げても給与は低く」というのはこの限りにおいてはそのとおりなのですが、実際問題としては、新卒の新入社員はほとんど技能を持たないので、たしかに給与は低いにしても「成果」はそれに見合うよりさらに低く、教育コストも含めて企業の側が持ち出し=先行投資をしていたというのが大半の実態だったと思われます。これについては最近も14日のエントリでふれましたし、過去のエントリ(http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20090212#p1)でも池田信夫先生のご著書に関連して取り上げています。この初期投資を回収しないうちに転職されては困るというのが、後払い的な年功賃金制度が導入され定着した大きな理由ではないかと思われます。
また、(7)の「使用者はこの「雇用保障メッセージ」を条件に、諸外国には見られないほど広汎で絶対的な「人事権」なるものを主張し、恒常的残業、家族を引き裂く遠隔地配転、キャリア形成を切断する職種転換なども「命令」として一方的に可能であるというシステムを構築するのに成功しました」というのもこの限りにおいてそのとおりなのですが、しかし「恒常的残業、家族を引き裂く遠隔地配転、キャリア形成を切断する職種転換」を求められた労働者がそれを受け入れずに退職することは自由でした(もちろん年功賃金という形で企業に「預けた」おカネは戻ってこないわけですが)。つまり、残業も転勤も職種転換も、労働者の能力の向上、キャリアの形成に資するものであり、かつそれを転職のコストをかけずに実現できるものであったことに注意が必要です。とりわけ職種転換については、もともと多くは再生繊維・化学繊維メーカーであったわが国の総合化学メーカーは、生産品目が変わるたびに従業員を解雇することなく、職種転換で対応することによりこんにちの姿に変貌してきたことにみられるように、結果的に労働者の雇用の安定・労働条件の維持向上にも大きく貢献してきたことは見逃すべきではないと思います。もちろんそれが単身赴任などの弊害をもたらしたことも事実です。しかしその多くはより雇用や賃金を重視するという労使の判断によるもののはずです。強い人事権に対して使用者は雇用保障以外にもさまざまな対価を提供しており、労働者のメリットも雇用保障以外にも多かったことは重要なポイントだと思います。

労働における法と経済

さて上のエントリのもとになった佐々木先生のツイートはこれのようです。

 解雇規制緩和で若者の雇用が増えるとか、転職がしやすくなるという論調があるけれど、この規制緩和は何をどう緩和するっていうのか。現行では規制にも、解雇にも、色々種類があるんだが。抽象論による具体的帰結を、それが真理かのように語り、理解しない者を謗るようでは、話にならないと思う。
http://twitter.com/ssk_ryo/status/26801000262148096

これはなんのことだろうとさかのぼってみたところ、背景には高名な法曹である小倉秀夫先生と、労働経済学者の安藤至大先生のツイッター上での議論があったようです。最新のまとめはこれでいいのかな。
http://togetter.com/li/90212
その前には東大の玉井克哉先生が小倉先生と議論されていたようなのですが、私がごく乱暴かつ超大雑把に単純化すると、安藤先生が「人々の行動をある方向に向かわせるときに、法律で規制して強制的に向かわせる(向かわない人は罰する)という方法と、そちらに向かう人にご褒美を与える(向かわない人には与えない)という方法がありますよね。で、前者だけでやろうとしてもうまくいかないこともあるし、両方をうまく組みあわせることが大事ですよね。その組み合わせを考えるときには、海外の事例や社会調査などが参考になりますよね」ということを小倉先生に説明しようとしているのに対し、小倉先生はそれは必ずしも理解しないわけではないようなのですが、しかし「とはいえ労働政策をあなた方経済学者のいうようにやったら(低賃金労働が増えるとか)世の中はいい方向には向かわない」と主張して譲らない、という状況のようです(すみません非常に大雑把なまとめなので当事者の方々にはご不満が多々あろうかと思います。自分も上では野川先生に不満を述べているくせにねえ)。
私のような実務家…と一般化してはいけないか。私には圧倒的に安藤先生のご意見のほうが説得力があるわけですが、法曹として日々社会悪と闘っている小倉先生は現に悪とその被害がある以上は取締で臨むべきとの強固な信念をお持ちのようで、まあ私としては遠巻きに見守るのがせいぜいではありますが、本筋に関係ないところで余計なことながらひとつだけ感想を申し上げますと、どうも小倉先生には池田信夫先生との議論を通じて、経済学者とはすべからく池田先生のような発想や言動をとるものだという思い込みがあるのではないかと感じました。私は安藤先生は労働の専門家であり、大竹先生や八代先生と同様に労働分野において信頼のおける研究者だと思う(まあ面識はないので文献などを読んだ範囲内ですが)のですが。
で、その過程で、野川忍先生が見るに見かねたのか(失礼)、こんな中間総括に乗り出してもおられます。

 労働をめぐる課題について、法学者と経済学者の議論がすれ違うことが多いのはなぜか。いくつもの想定しうる理由のうち、中心的なもののひとつは、法学も経済学も社会の現実について一定の処方箋を見出そうという目的は共通しているのに、自らのアプローチや方法論を相対化できないことが多いという点。

 たとえば解雇。「制度や規範を軸として適正な解雇ルールの在り方を検討した場合にはこうなる」、「経済学的アプローチからはこういう見方もできる」、それぞれの見方を補完させあいながら、では具体的な制度はどうすべきかを検討する、という態度をとれない場合が目立つ。そしてそれはなぜか。

 一人の法学者から経済学者への注文。法学の学会ではよく経済学者を招き、その意見を傾聴して法学的観点のブラッシュアップに生かそうとしている。しかし、経済学の学会に法学者を招いて同様の姿勢を示す、ということは少ない。経済学者のみなさん、自らを相対化する視座を、共有していただけませんか?

 法学者も、経済学の知見を「難しい数式が並んでいてわかりにくい」と敬遠することなく、規範をはじめから前提とせずに社会現象(労働問題であれば解雇や派遣の増大など)を検討した場合の見方を積極的に取り入れる姿勢が不可欠。欠点は双方にあり、「お互い様」という立場で協力できる道を探りたい。
http://twitter.com/theophil21/status/26138038794981376http://twitter.com/theophil21/status/26142195102785536

これに対しては独協の阿部正浩先生から「是非お願いします。“@theophil21: 経済学者のみなさん、自らを相対化する視座を、共有していただけませんか?”」(http://twitter.com/Professor_Abe/status/26226714963087360)との応答もありました。
もっとも、労働分野においても、法と経済の協働は、10年前の2001年にはすでに日本労働研究機構の「雇用をめぐる法と経済」研究会の本格的な報告書が発表され、同年の日本労働研究雑誌491号(2001年6月号)の特集「解雇規制」や、これをもとにした2002年の大竹文雄大内伸哉山川隆一編(2002、増補版2004)『解雇法制を考える―法学と経済学の視点』といった優れた成果も出ています。近年においても、2008年に神林龍『解雇規制の法と経済―労使の合意形成メカニズムとしての解雇ルール』や荒木尚志大内伸哉大竹文雄・神林龍編『雇用社会の法と経済』が出ています。まあ、たしかにこれらに参加している顔ぶれは比較的固定的であって、法学・経済学それぞれに大きな運動にはなっていないかもしれませんが、しかし労働分野でもこうした動きが存在するということはぜひ世間に周知してほしい、安藤先生と小倉先生の議論が労働分野の現状のすべてであるとは思わないでほしいと思うわけです。

  • (3月18日追記)コメント欄で、この記述は安藤先生が法学者との対話に消極的であるかのような誤解を与えるとのご指摘をいただきました。自分の文章力不足と不徳を率直に認めて自己批判したいと思います。実際には安藤先生は法学者の対話・協働に積極的に取り組んでおられますので、誤解のなきようお願いいたします。

まあ、たしかに2006年の福井秀夫大竹文雄編著『脱格差社会と雇用法制』のようなものもあって、まあ私自身はこれはこれで労働研究者でない経済学者の見解として有意義ではあると思っているのですが、しかし多くの労働法の先生方がこれに対して拒絶反応を示すこともよく理解できる(日本労働弁護団の機関誌「季刊労働者の権利」270号で大々的な反論特集が組まれておりますな。ご関心のむきはhamachan先生のブログなどもご参照を)ところです。まあこの本を読めば逆もまたあるということなので、まあそのあたりは相互に忍耐と寛容が求められるのでしょう。いっぽう、経済学者の立場からのものでも、2003年の八代尚宏『規制改革−「法と経済学」からの提言』は、福井・大竹編とは異なり、かなり相対化されていて法学の立場からも参照できるものではないかと思います。まあ、法学からすればこれでもまだまだ不満かもしれませんが。
ちなみに、労働分野での法学と経済学の対話を進める上で、法学の日本労働法学会に対応する労働経済学の学会が現状では存在しない(なぜ?)ことが案外大きな問題なのではないでしょうか。日本労務学会とか労使関係研究協会とかありますが、法学と経済学の対話にあたってはそれぞれの専門の学会がともに関与することが望ましいように思うのですが…。

解雇規制の法と経済―労使の合意形成メカニズムとしての解雇ルール

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雇用社会の法と経済

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脱格差社会と雇用法制―法と経済学で考える

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規制改革―「法と経済学」からの提言

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