新年早々同じネタを引っ張るのもいかがなものかと思うのですが、しかしなにやら就活が現下のホットイシューでもあるようなので。週末にいくつかコメントを頂戴し、回答を書いていたら少し長くなりましたので、新たにエントリを立てることにしました。いやはてなの検索機能はコメント欄まで検索してくれないようなので、あとあとの備忘的にはエントリ本文で書いておいたほうが便利なのです。

大竹先生と池田先生

まず、Stevenさんが14日のエントリ(http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20110114#p1)のコメント欄(http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20110114#c1295071884)で寄せられたこのご質問にお答えしたいと思います。

 この記事とは直接関係ないのですが、ちょっとブログの過去記事を読んで気になったので。日本の労働法制(特に雇用の流動化関係)において、ブログ筆者が大竹先生や八田先生を評価していて、池田信夫氏や城繁幸氏を否定的に見ている理由がよくわからない。ニュアンスの違いはあっても、強固な解雇規制を緩和すべきこと、終身雇用に固執することに経済合理性がないことについて4氏のベクトルはそんなに違わないように思うのですが。ブログ筆者がよく使用する「構造改革論者」とか「規制緩和論者」とかいう表現は、出典を明らかにしないで使うとストローマン論法にしかならないので。

まず「八田先生」ということですが、検索してみたところ八田達夫先生については過去エントリで2回しか言及しておらず、特段「評価」も行っていません(いやもちろんたいへん立派な業績のある重鎮であるとは承知しておりますが)ので、これはおそらく八代(尚宏)先生のミスポではないかと思われます。その前提でお答えさせていただきます。
まず、ご質問にあげられた4人の方々について「強固な解雇規制を緩和すべきこと、終身雇用に固執することに経済合理性がないことについて4氏のベクトルはそんなに違わない」とのご指摘はそのとおりかと思います。もちろん、その程度や方法論についてはそれなりに異なっていますが、ベクトルとしては似た方向でしょう。過去記事を読んでいただいたようなのでご承知とは思いますが、私も程度や具体的方法論は異なりますが方向性としてはほぼ同一のものを共有しています。私の解雇規制に対する現時点のスタンスは過去エントリhttp://d.hatena.ne.jp/roumuya/20100729#p1に書いていますのでご参考まで。
にもかかわらず、私が「大竹先生や八代先生を評価していて、池田信夫氏や城繁幸氏を否定的に見ている」というのもご指摘のとおりです。
そこで池田先生・城氏と大竹先生・八代先生の違いはなにかということになりますが、まあざっと3点くらいあろうかと思います。どれも考え方や価値観、主義主張の違いですから、善悪や正誤について述べているわけではないことをあらかじめおことわりしておきます。

  • 以下、4人の方々の発言や記述などについてはあらためてウラはとっておらず、私の記憶にもとづいて書いておりますので勘違いや誤りがあるかもしれません(常連の方にはおおむね事実どおりと了解していただけるものとは思いますが)。本来批判的なことを書くなら確認を取りつつ書くべきでしょうが、私にも時間的な制約がありますのでご容赦ください。誤りがあれば反例などご指摘いただければ幸甚です。

ひとつは、わが国の労働市場・人事管理の実情やこれまでの経緯に立脚して誠実に議論しているかどうか、という違いです。大竹先生・八代先生は労働問題の専門家であり、大竹先生は現在も活発に調査を行っておられますし、八代先生も最新のデータや研究成果をふまえた議論をしておられます。それに対し、池田先生はまあOECDのレポートとか英エコノミスト誌の記事などに準拠されるにとどまり、あとは経済学の理論をあてはめて議論すされることが多いように思われます。城氏は自身の限られた実務経験を極度に一般化する傾向がありますし、取材はそれなりにしているのでしょうがやはり恣意的な対象を一般化する傾向は否めません(というか、お二人とも基礎的な事実関係の間違いが散見されて、あてにならない印象を与えるということも多々あり)。もちろん、池田先生にしても城氏にしても、そうした限界があることを認めた上での議論であればその限りで尊重されるものだと思うのですが、残念ながらお二人ともご自身の説を普遍的・絶対的な真理として主張しがちなように思われます(逆に大竹先生や八代先生のほうがそうした限界に対して誠実なように感じます。まあ文章表現の問題かもしれませんが)。これは解雇規制に限らず、全般にいえるように思われます。

  • といいますか、経験上城氏(間接的には池田先生も)についてはそれ以前の基本的な言論の作法についても問題なしとはしませんが、まあここでクダクダとは書かずにおきます。当方にも問題なしとはしませんので(笑)

ふたつめは(まあこれはひとつめの帰結でもあるのですが)、解雇規制に対する評価の違いです。池田先生と城氏の解雇規制に対する評価や期待はいかにも過大なように思われ、あたかもわが国経済・社会の問題点の大半が解雇規制を見直すことで解決されるかのような主張をされることがあるように思われます。私はこれは誇張だと感じますし、その裏返しとして労働市場や人事管理、あるいは社会全般に対する影響を軽視しすぎとも感じます。大竹先生や八代先生は、もちろん重要なポイントとされてはいるものの、多数ある論点の一つという評価であり、周辺への影響に対する目配りもよりされているかと思います。
もうひとつは、まあこれは意見の違いなのですが、現行のいわゆる正社員的な働き方、強い拘束を提供するかわりに安定した雇用保障を得る(企業サイドからいえば、雇用を保障するかわりに強い拘束を求める)働き方に対する姿勢の違いです。私はこれも多様な働き方の選択肢のひとつとして許されるべきであると考えており、大竹先生も八代先生も同じ立場だと思うのですが、池田先生と城氏(特に城氏)はこれに対して禁止的なスタンスをとっているように思われます。もっとも池田先生はこれを容認するような発言もされていたと思いますので、現状どうなのかはわかりません。
なお、「ブログ筆者がよく使用する「構造改革論者」とか「規制緩和論者」とかいう表現」とのご指摘ですが、検索してみたところ「構造改革屋さん」「規制緩和屋さん」をあわせても30エントリ程度しかヒットしませんでした。1500日弱日記を書き、2000エントリ以上立てていると思いますので、それほど「よく使用する」という実感はないのですが…。まあ、これらの語を使うのは解雇規制について書くときに多いようで、たしかに解雇規制の緩和を主張する論者を一般化した表現として用いています。私としてはわら人形を仕立てているつもりはないのですが、具体的にストローマン論法に陥っている記述がありましたら今後ともご指摘いただければ幸甚です。

循環要因の軽視

やまださんという方から、昨年11月18日のエントリ(http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20101118#p1)と、この1月13日のエントリ(http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20110113#p1)にコメントをいただいています(http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20101118#c1290111335http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20110113#c1295057517)。

 大卒の就職率が60%というのは大学や学部の新設を認めすぎ、ニーズもないのに大量の大学生を世に大量生産してきた文部行政の責任です。
 でもここで冷静に考えて欲しいのは、Aさんという大学生が株式会社Bという会社の採用試験に落ちたり通ったりするのはそもそもAさんの責任だということです。マクロの問題とミクロの問題は異なります。ダメな学生ほど自分のことを棚に上げてマクロの問題にすり替えます。
 そもそも企業は生き残りに必死です。民間企業はボランティアでもケア施設でもありません。本当に欲しい人材しか採用しませんし、できないのです。実社会、とりわけ大都会で生きるということは競争です。今、企業は生き残り競争に必死です。企業は今?正社員?その他(派遣、AR)を明確に使い分けています。?は給料が高く、生活が安定しています。?は薄給で使い捨てです。時間的な無理が頼めて、成績がついてまわる成果主義的な仕事のみ?社員に、そういうことが無理な仕事は?非正規雇用にさせています。まず、?を選ぶか?を選ぶか、が今の就活の入り口部分なんです。そこをわかって無い学生が漫然とやりたい仕事で正社員...といって就活するとまず落ちます。馬鹿な学生がやりたい仕事で正社員にしろといいますがそもそもありえないのです。
 今の大学生の選択肢は以下の3つのいずれかです。
 (1)都会で正社員になって死に物狂いで働き、安定した生活をする、(2)都会で非正規雇用で年収200万以下の貧乏生活をしながら時間にゆとりのある生活をする。ただし老後はまともに年金も医療も受けられない (3)地方で若手後継者の足りない農林水産業に従事する。
 やりたい仕事で正社員で休みもあって給料もよくて都会生活をおくれて…などということはありえないのです。(1)〜(3)のいずれかだということを親、大学の就職指導担当教員などが厳しく教えないから結果的にみんな自動的に(2)になっていくのです。
http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20101118#c1290111335

 極論をいうと就活をするということは 私に毎月お金を払ってください と会社に申し込むことだとおもいます。当然払う側はきびしく選考するし、若い方がいいし、仕事できそうな子がいいのです。例は悪いのですが、極論をいうとあの市橋容疑者ですらしらない土地で住み込み・常勤で仕事をしていました。保証人なし、自動車免許なし、偽名の犯罪逃亡人ですら、死に物狂いの人間ならちゃんと職にありつけて食っていけるという証明です。40代以下なら仕事はあります。40代以下は仕事のえり好みなどせず、とにかく働くことが大事です。新聞配達、パチンコ従業員、農林水産業など慢性人不足の業界で、知らない土地で心機一転働くつもりなら実は働けます。40代以下で就職できない人は強気すぎるのです。「自分らしくいられ、今のライフスタイルを維持でき、やりたい仕事でかつ正社員にしろ。できれば大企業、人気業界で」と要求するので結果的に就職できないのです。
http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20110113#c1295057517

一部文字化けしてしまっているようなのですが、意は通ると思いますのでそのままにしました。
論点が多岐にわたっているのですべてていねいにお答えできないことはご容赦ください。以下簡単にコメントさせていただきます。
全体を通じて循環要因を軽視しすぎかと思います。まず前者、「大卒の就職率が60%というのは大学や学部の新設を認めすぎ、ニーズもないのに大量の大学生を世に大量生産してきた文部行政の責任です」というのは実は「アゴラ」で池田信夫先生も類似の主張をしておられ(「大学生が多すぎる」http://agora-web.jp/archives/1139854.html)、まあこれだけ進学率が上がったら大卒の学歴が大企業ホワイトカラー切符というわけにはいかないよねというのは直観的にはわからないではありません。とはいえ、高卒の内定率も同じく低いことを思えば、やはり不況の影響が大きいのではないかとも思います。実際、もし今の大学4年生が進学せずに4〜5年前に就職活動をしていれば、現在に較べればかなり恵まれた状況で就職できただろうと思います(高卒就職になるので大卒就職と同様ではないわけですが)。
「でもここで」以降の自己責任論も同様、たしかに就職できている人もいるわけですが、割合、確率の問題ではないでしょうか。もちろん私としてもすべて経済環境や社会の問題だとする論者にも与するものではありませんが、大半を自己責任とするのもどうかと思います。
「そもそも」以降の二極化についてのご指摘も、まあ実態はそれに近いのかもしれませんし、いま現在の就活はそれを前提とせざるを得ないこともまあ致し方ないわけですが、しかし今後もずっとそのままだという議論には賛同できません。教員が学生に実態を厳しく教えることも大事でしょうが、二極化という好ましくない(と私は思います)実態を改善する努力も必要ではないでしょうか。
次に後者、たしかに元気な若者にとって食い扶持を稼げばいいというのであれば選ばなければ仕事はあるのかもしれません。あれこれすべてを求めるのが(程度問題ですが)無理な高望みだというのもそうかもしれません。ただ、就活に臨む若者が全員、どうしても「自分らしくいられ、今のライフスタイルを維持でき、やりたい仕事でかつ正社員にしろ。できれば大企業、人気業界で」と考えているのかというとそうでもないでしょう。なるほどどんな仕事でもそれなりに経験や能力が身につくといえるでしょうが、しかし若い人ほどできるだけ経験の蓄積や能力の向上に資する仕事に就くことが本人だけでなく国家経済のためにも望ましいことも間違いないのではないでしょうか。企業がそうした仕事をたくさん提供できないことは残念なことであり、奮起が望まれるところですが、もちろん経済活性化に向けた需要サイドの政策とか、マッチングの改善に向けた政策なども、学生の能力向上といった供給サイド政策と同様に(あるいはそれ以上に)必要ではないかと思います。

日経社説

きのうの日経新聞の社説から。お題は「経団連指針では正せない「早すぎ就活」」です。いや就活の早期化・長期化にはたしかに問題もありますし、今回の経団連の指針では限界があることも事実でしょうが…。

 大手企業の多くが内々定を出すのは、4年生の4月から5月前半にかけてだ。新卒者をまとめて採る「新卒一括」方式に偏っているため、学生は4年生になったばかりで就職活動のヤマ場を迎え、準備は3年生の早い段階から強いられている。内々定が4年生の春にとれないと選考を受ける機会はその後ぐんと減る。
 こうした長期にわたる、しかも一発勝負の就活による大学の授業への悪影響は極めて深刻だ。…
 4年生の秋や冬にも選考試験をする企業が増えれば、学生に大きな負担をかけている現状を改善できるだろう。まずは通年採用を積極的に企業は取り入れてほしい。光学ガラス大手のHOYAは新卒者を対象にしながらも、各事業部が随時、設計開発要員などを採っている。
平成23年1月16日付日本経済新聞朝刊・社説から)
http://www.nikkei.com/news/editorial/article/g=96958A96889DE0E3E5E6E1E2E6E2E3E4E2E3E0E2E3E38297EAE2E2E3?n_cid=DSANY001

いやだから何度も言ってますが時期を遅らせても通年にしても採用数が増えるわけじゃないんですから。たとえば現状採用予定数が200人、4月に選考試験を行います、となっているとして、これを4月に100人、9月に100人採りますよと言われたときに、この厳しい状況で「じゃあ9月に行けばいいや」と思う人がどれほどいるものか。極端な話、4月に100人採ったあとに経済環境がさらに厳しくなって「ヤッパ9月はヤメ」となる可能性だってあるわけですし。以前も書きましたが内定率が低い中で開始を遅らせて就活期間を短縮するのが本当にいいのかという問題もあります。「第一志望群」はダメだった、という結論が出ないうちはなかなか「第二志望群」について考えられないというのも人情でしょうし、さらにそれが通年採用で1月、2月まで第一志望群のチャンスがあるとなると、結局第二志望群にも内定しないまま卒業を迎える…なんてことになるかもしれません。まあそうなればなったでそれなりに適応して「すべり止め確保」に向かうのかもしれませんが、それはすべり止めにされる企業はあまり歓迎ではないでしょう。まあすでにそれに近い実態もあるのかもしれませんが。
逆に、企業の側からしてみれば、4月に100人採って、さて9月にもう100人採ろうとしたらそこそこの人材はすでに根こそぎ持ってかれててほとんど残ってませんでしたなんて目にあわされる可能性もあるわけで、これは逆に好況期に起こりがちですね。
結局のところ、早期化を改めたいのなら採用力の高い企業(たとえば大手)がそれなりの規模でまとまって開始を遅らせることが必要で、そうなればそれより採用力の低い企業はフライングして内定を出してもいい人材は後からきた採用力の高い企業に奪われてしまう、したがってフライングしても労力の無駄だから、採用力の高い企業が採り終わってからか、まあ同時に始めるくらいにしよう…となるかもしれません。ただそうはいってもいい会社というのもいい人材というのも人により企業により多様だし、そもそも公務員試験や院試の日程というものもあってといった話もあり、特に公務員はかなり強力な採用力を有していると思われるところ、民間企業の選考はそれより早くスタートしているわけです。これはつまり公務員採用くらいの規模なら内定辞退のリスクを受け入れるということでしょうから、やるなら大手がこぞってやるくらいでないと効果はないかもしれません。で、予定数が確保できたらすぱっとやめる。それで学生さんと大学はいいのだろうかという問題になりそうです。