昨日のエントリのフォローです。昨日取り上げた池田信夫先生のツイートについて、池田先生ご自身が「アゴラ」で解説しておられました。ご教示いただいた方、重ねてお礼申し上げます。いやこのくらいは当たっておけよな>自分。
http://agora-web.jp/archives/1171270.html
さてお題は「会社というタコ部屋」と辛辣ですが、内容はなかなか興味深いものを含んでいますし、例によってやや粗っぽい記述もあります。加えて、そもそもさらっと読んだだけではこれが「学生がバカなことが就職難の原因」とどう関係するの?という疑問もありそうなので、余計なお世話ではありますが補足かたがたコメントしてみたいと思います。
きのう「学生がバカなことが就職難の原因」とつぶやいたら、賛否両論の大反響がありました。Togetterにもまとめられていますが、誤解をまねくといけないので、経済学の観点から簡単に整理しておきます。
学生がバカなのは今に始まったことではなく、JALは歴代の就職ランキングでトップでした。学生は企業の中身を知らないし専門能力もないので、世間的なイメージで選ぶしかない。企業も実質的に大学の偏差値でスクリーニングするので、あとはまじめで明るいといったイメージで選ぶしかない。要するに労使双方が「美人コンテスト」で相手を選んでいるので、情報の非対称性が大きい。
いきなり細かい話ですが、JALが「歴代トップ」というのはいささか誇張にしても、たしかに例年人気上位であったことは間違いありません。それがいまや周知のとおりの状況にある(しかもそれでもなお70位には入っている)わけですから、それを見て池田先生が「学生はバカだねえ」とお感じになることは直観的に理解できます。まあ、JALの人気の一端は「公務員と同じで、倒産はない」というところにもあったのでしょうから、そう思ってJALをあげた人は結果論として「バカだねえ」と言われても仕方ないのかもしれません。私個人としては、少なくとも数年前まではその時点で得られる限りの情報をもとに「JALがつぶれるわけがない」と思うほうが合理的、いや合理的は言い過ぎとしても常識的な判断だったのではないかとは思いますが。先が読めない、という意味では学生さんに限らず、誰しも多かれ少なかれバカではあるわけですし…まあその程度が大問題ではあるのか。池田先生は経済学の知見によって将来を見通せる賢人なのでしょうが、と少しあてこすりを書いてみる。
それはそれとして、JALは例年女子からの支持が非常に高い傾向があり、それを見ると人気の相当部分は客室乗務員人気ではないかと思われます。つまり、大卒・大企業就職としては少数派の職種別採用であり、しかも国際線であれば英会話力とか、明示はされないにしてもまあどんな専門能力が求められるかが比較的明らかな採用です。勤続も傾向的・他職種比較的にそれほど長くないはずで、後段で池田先生が「タコ部屋」と蔑称して批判しているような人事管理の事例としてはあまり適切でないとは言えると思います。
さて、新卒採用における情報の非対称性が大きいという指摘は間違いないものと思います。ただ「学生は企業の中身を知らない」というのは企業があまり開示していなかったという事情が大きいでしょうし、「専門能力もない」というのもわが国では大企業を中心に専門能力は企業での就労を通じて形成するのが効率的と考えられてきたことの帰結でもあることを考えれば、やはり学生はそれなりに合理的であったとも考えられるわけで、それをもって「バカ」と評するのはいささか不公平な感はあります…まあバカの定義次第なのではありますが。企業のほうも新卒に関しては得られる情報がかなり限られていて、情報の非対称性があることは事実でしょう。その中でも大学の偏差値が有力な情報であることも否定はしません。ただそうは言っても面接試験などで得られる情報というのもかなりありましてねという話は過去のエントリで書いているのでここでは省略します。
さて続きです。
これによって起こるモラルハザードを防ぐ方法として、長期的関係による評判メカニズムがあります。たとえ無能な学生を採用しても、定年までまじめに働けば給料が上がり、怠けると窓際ポストで一生恥をさらすというペナルティは非常に大きい。そういう評判は会社の外ではわからないので、転職すればリセットできるのですが、これは中途採用が禁止的に困難だという退出障壁でブロックされています。拙著を引用すると、
こうした「やりなおしのきかない」採用システムと年功序列にもとづく賃金体系は,欧米型の専門職能を基準に考えると不合理に見えるが,企業特殊的な文脈的技能に対するインセンティヴとしてはうまく機能している.一生をかけて多面的な技能を蓄積してゆくシステムのもとでは特定の専門的技能にすぐれていることは大した意味を持たず,中途採用で専門家を採用すると,新技術の導入などによってその職種が不要になった場合に処遇がむずかしく,配置転換をめぐって労使問題をひき起こす要因となるからである.
この意味で,白紙の状態の新卒を採用して企業特殊的な技能を一から教えてゆく技能形成システムは,長期的・年功的な雇用慣行と不可分の強い補完性を持っている.ここでは労働者は「丁稚奉公」によって組織に対する初期投資(贈与)を強いられ,他の企業では役に立たない「会社人間」となるため,彼の企業特殊的な人的資本への投資は埋没費用となり,退出障壁はきわめて高くなるのである.
ここはわかりにくいところで、まず「これ(情報の非対称性)によるモラルハザード」というのがこの場合なにを指すのかが明確ではありませんが、一般的に考えれば「企業が学生の能力を正しく判断できない(これが情報の非対称性でしょう)ことを見込んで、学生が実態以上に自らの能力を高く装う」ということではないかと思います。ただ、だとするとこれへの対策は採用後に無能と判明したら解雇するとか、解雇が規制されているなら無能な人の賃金を(まじめか怠けるかにかかわらず)低く抑えるとかいったものになるはずです(それでもこうしたモラルハザードを防ぐ効果はそれほど大きくはなさそうですが)。
逆に、池田先生のいう「無能でも定年までまじめに働けば給料が上がる」というやり方は、入社後に無能と判明してもまじめに働けば給料が上がるわけですから、むしろ学生が実態以上に有能を装うというモラルハザードをむしろ促進してしまうはずです。
まあ、採用後に無能と判明しても解雇できないからせめてまじめに働かせましょう…という話は話としてはわかりますが、どうも池田先生の記述は「無能」と「怠ける」、「有能」と「まじめ」、そして「情報の非対称性によるモラルハザード」と「雇用保障によるモラルハザード」が混乱してしまっているように思われます。池田先生としてみれば新卒採用と雇用保障は一体不可分だからこういう議論でかまわない、ということかもしれませんが、もう少し整理していただかないと。
なお、池田先生は「窓際ポストで一生恥をさらすというペナルティは非常に大きい」と評価しておられますが、まあ大きなペナルティかもしれませんが、しかしそれで賃金を下げられるかというとそうでもない。逆にいえば、賃金が下がらないがゆえにそれが形として「退出障壁」となりうるわけです。たしかに、わが国では文脈的技能に対しても賃金が支払われていますので、転職すればそれが剥落する分は賃金が下がる傾向にあるでしょう。それでも、転職そのものが禁止されているわけではありませんから、「窓際ポストで一生恥をさらす」のがそんなに大きいペナルティなら、賃金の低下を受け入れても転職すればいいわけです(実際、ヘッドハンティングなどで移動するのは現職の企業内で十分な活躍の場が得られていない人が多く、転職先で活躍の場が得られるなら賃金の低下を受け入れる例も少なくないと聞きます)。「退出障壁」が有効に機能しているのだとすれば(本当に機能しているかどうかは別問題)、それはむしろ「窓際ポスト」のペナルティはそれほど大きくないことを意味すると考えるべきではないかと思います。
続く池田先生のご著書の引用部分については、以前のエントリ(http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20090212#p1)でもコメントしていますが、まあ十数年前の日本の人事管理の一側面をうまく切り出しているとは思います。ただその際にも書きましたが、新卒新入社員は相当額の賃金が支払われている点や(エントリージョブであっても)一定の基幹的職務を付与されている点で「丁稚奉公」とは明らかに異なり、むしろ企業サイドが賃金プラス教育費用の初期投資を行っていると考えるほうが適切ではないかと思われます。
日本の会社が高度成長期にうまく行った原因は、このような長期雇用と退出障壁によって労働者を会社に閉じ込めるタコ部屋方式でインセンティブを保ち、労使紛争を防いだ点にあります。これは金融システムとも補完的で、資金不足で起債が困難だった時代にはメインバンクが企業をモニターできた。しかし労働市場や資本市場が競争的になると、こうした長期的関係の拘束力が弱まり、ガバナンスが崩壊してしまう。
これが現在の日本の置かれている状態です。いわば複数均衡の谷間にいるようなもので、臨界点を超えると一挙に新しい均衡に移行する可能性もあります。そのためには解雇規制の緩和や企業に依存した社会保障の中立化などの制度変更も必要ですが、決定的なのは人々の予想を変えることです。この点で、マスコミが沈没するのはいいニュースかもしれません。
前段は事実としてはあるいはそうなのかもしれませんが(私にはよくわからない)、しかし資金があり余って資本市場が競争的になった結果が現状のありさまであるとすれば、私は市場は競争的であればあるほどよいという能天気な気分にはなれそうにありません(いや池田先生が能天気だといいたいわけではありませんが)。労働市場についても、市場が競争的であることより需給のバランスのほうが大切ではないかなあと思います(いや競争的でもバランスがよくなることは十分ありうると思うのでトレードオフを主張するつもりはありません)。
また、「臨界点を超えると一挙に新しい均衡に移行する可能性もあります」というのも可能性としてはそのとおりなのですが、大きな変化が一気に起きればそれにともなう移行コストも当然甚大なわけで、仮に新たな均衡に移行するにしても、いかに移行コストを少なくソフトランディングさせるかに知恵を絞るべきでしょう。
実際、労働市場をみても、成果主義騒ぎなどを通じた賃金上昇の抑制と格差拡大、非正規労働の増加、雇用調整の迅速化などの変化は現実に起きています。人々の予想も、おそらくは楽観的でない方向に変化していることでしょう。池田先生は、解雇規制を緩和して人々の予想をさらに悲観的な方向に変化させることで市場をより競争的にすれば資源配分が効率化するというお考えのようですが、しかし人々の予想が悲観的になることにともなうコストというのもかなり大きそうな気がするわけです。
ということで、ここまで読むと、池田先生が言われているのは「大企業に就職したほうが将来も幸福だろう」という予想を変えようとしない「学生がバカ」ということなのかなあと見当がつくわけです。しかしまあ、池田先生が言われるような「当面は悲観的でも、いずれ資源配分が改善すれば全体としては幸せになれる」という楽観的な予想を無批判に受け入れられる能天気な人というのも、私に言わせれば違う意味で「バカ」なんじゃないかなあと思わないではありません。