RIETI政策シンポジウム「雇用・労働システムの再構築:創造と活力溢れる日本を目指して」

一昨日開催された経済産業研究所のRIETI政策シンポジウム「雇用・労働システムの再構築:創造と活力溢れる日本を目指して」に参加してまいりました。
http://www.rieti.go.jp/jp/events/10041301/info.html
毎度思うことではあるのですが、短い時間で言いたいことを言い尽くすことはまことに難しいということをあらためて痛感しました。
当日の資料などはおいおいRIETIのサイトで公開されるものと思いますので、ここでは簡単な感想を書いておきます。

総論「雇用・労働システムの再構築:雇用危機と労働市場の二極化への対応を中心に」/鶴光太郎RIETI上席研究員

全般的な問題提起という位置づけだと思われますが、例によって乱暴な要約を試みますと:

  • 今回の雇用調整の特徴として労働時間、賃金(特に賞与)、非正規雇用(特に派遣)による調整が大きく、正規労働者の調整は雇調金の大幅増もあって小さかった。こうした雇用危機対策の「出口戦略」の検討が必要。
  • 企業が有期雇用を「バッファー」として活用している以上は正社員化や待遇改善は難しい。
  • いっぽうで有期労働の過度な増加は生産性に負の影響を与えることなどから、企業自身が非正規雇用問題を内部化することが必要。
  • (RIETIによる調査結果などをふまえ)今後の方向性として雇用契約期間の長期化や非自発的非正規雇用者の正社員化と、家族を持つことが重要。
  • 具体的には、正規と非正規の間の極端な二極化の間を埋めて連続性を作るための中間的雇用形態の創出・正規雇用の多様化や、有期雇用について過度の解雇権濫用法理類推適用の見直しや雇止めへの金銭解決の導入、さらには年功賃金の見直しなどが必要。
  • 政府の関与のあり方として、「必要な人に必要なサポート」を徹底した上での、消費税を財源とした再分配強化が必要。

細かいところでは申し上げたい点もいくつかありますが、全体としてはまことに妥当な内容であるように私には思われました。経済産業省には関係省庁に指導力を発揮して、ぜひともこうした方向での政策運営をお願いしたいところです。
RIETIでは2008年、2009年にもこの時期に鶴先生の企画で労働問題のシンポジウムを開催しているのですが、2008年には鶴先生は「正規雇用の解雇規制の緩和」を主張するプレゼンテーションをしておられた(余談ながら、これは池田信夫先生が高く評価しておられました)ことを思い出すと、そこだけ見れば「雇用形態多様化」に大きく舵を切られたことになります。しかも、このような方向性については、玄田有史先生の名をあげて「(労働)研究者の間ではほぼコンセンサス」とまで言っておられました。実は私もかなり以前から雇用形態の多様化を細々と主張してきた(たとえば2001年のhttp://www.roumuya.net/zakkan/zakkan13/hiranuma.htmlとか。このブログでも2005年のhttp://d.hatena.ne.jp/roumuya/20050908ですでに書いています)ので、これにはなかなか感慨深い?ものを覚えました。
ちなみに、これは小職のあとでの発言にも関連するのですが、鶴先生ご指摘の「企業の役割としての非正規雇用問題の内部化」については、2005年から2007年くらいに顕著にみられた非正規社員の正社員登用は、人材確保に加えて非正規比率が上がりすぎたことにともなう技能の伝承や労務構成の適正化、あるいは職場コミュニケーションなどの問題点に対処するという観点からも行われていたわけで、まさに「企業による問題の内部化」として捉えられるのではないかと思いました。で、それが停滞したのは何より景気が悪化したからであって、それを考えると鶴先生の「総論」ではやや循環的要因への言及が不足しているのではないかとも感じたわけです。

報告/市村英彦先生、深尾京司先生、戸堂康之先生

続いてRIETIのファカルティフェローを務められている3先生による研究報告がありました。

報告1「包括的高齢者パネルデータの必要性:労働政策の実証による評価を例として」/市村英彦東京大学大学院経済学研究科教授

最初に世界的に高名な計量経済学者である市村英彦先生が登場されて、米国のHRSにならい、欧州のSHEREとの比較可能性にも配慮した高齢者パネル調査である「JSTAR」のご紹介がありました。わが国の社会保障政策について「学部生の卒論程度の中身で社会保障政策を行って」おり、「あまりにもお粗末」と酷評され、政策決定にあたっては社会の「平均的」な姿ではなく、時間とともに変化する多様性を反映させた分析が重要であるので、その分析に資するパネルデータの作成と他のデータとのリンク、それをもとにした専門家グループによる分析が必要であると主張されました。また、できるだけ開かれた形でデータを共有しながら広く多数の人が参加した議論が重要と指摘されました。
さてしょうもない感想ですが市村先生、尋常でなく知的オーラ出まくりですごいです。その後のパネルでは私なんかまさに「学部生の卒論程度の中身で」労働政策を論じていたわけでありまして、パネルの間を通じて勝手にプレッシャーを受けておりました(笑)

報告2「日本の労働と生産性、経済成長」/深尾京司一橋大学経済研究所教授

RIETIが作成しているJIPデータベースを利用したわが国の経済成長に関する分析が紹介されました。

  • 日本では1990年以降、1975‐1990年比で人口一人当たり実質GDP成長率が3%弱低下。
  • 日本の成長率低下の要因は実質為替レートの円安化と人口一人当たり労働時間の下落で、さらにその要因は景気悪化にともなう女性の労働力率低下と男性の団塊世代の労働力からの退出。パートタイム労働の増加も影響。
  • 労働の質向上はもっぱらフルタイムで起こり、パートタイムでは起きていない。全要素生産性の上昇の大部分は企業内で起きている。
  • 全要素生産性の伸び悩みは、日本では特にサービス産業でIT投資が欧米により格段に低迷しているのも一因ではないか。

たいへん面白い内容でしたが、とりわけ興味深かったのは報告の中で紹介された「川口大司・神林龍・金榮愨・権赫旭・清水谷諭・深尾京司・牧野達治・横山泉「年功賃金は生産性と乖離しているか─工業統計調査・賃金構造基本調査個票データによる実証分析─」一橋大学経済研究所編『経済研究』第58巻1号、pp.61‐90、2007年1月、によれば、正規労働者・パート労働者間の生産性格差は、賃金率格差よりも大きい。企業は、雇用の柔軟性を手に入れるためプレミアムを払っている可能性が高い。」という調査結果で、まことに不勉強にしてこの論文は知りませんでした。世間では往々にして「非正規労働は本来雇用が不安定な分のプレミアムが乗って賃金が高くなるはずなのに、現実はそうなっていない」という言われ方をするわけですが、この研究とはそれとは逆の「正規とパートの間では現実もそうなっている」という結論が得られているということのようで、これはさっそく勉強してみなければ。「経済研究」はどこにあるのか、鶴舞か丸の内に行かないといけないか…。

報告3「経済のグローバル化と国内雇用」/戸堂康之東京大学大学院新領域創成科学研究科国際協力学専攻准教授

戸堂先生かっこいいです(笑)。報告のほうは、まずは日本経済がいかにダメかが述べられ、続いて日本の経済・雇用・就労がグローバル化していないことを示し、さらに企業のグローバル化が生産性を拡大するという戸堂先生自身のものも含む先行研究を紹介します。続けて、グローバル化は少なくとも長期的には必ずしも雇用を悪化させないが、ただし労働需要が高度人材にシフトするという、やはり戸堂先生自身のものも含む先行研究が紹介されます。ということで、含意は「雇用への悪影響を恐れず、人材の高度化を進めつつ大胆なグローバル化を進めるべき」ということであり、実際日本には生産性が高いのにグローバル展開していない企業が1,200社もあるので、これらがグローバルに打って出れば成長の可能性は十分、とのことでした。
感想としてはまあそうなんだろうなと思うわけですが、グローバル化が雇用を悪化させない、といわれても実感にあわない人というのもたくさんいるわけで、実際「長期的には悪化させない」にしても、足元で悪化したらとりあえず俺たちは困るんだ、ということになるでしょうし、さらにそうした人たちの多くは「グローバル化しないからダメなんだ」と言われても困ってしまうだろうことも容易に想像できるわけでして…。まあ、それはまた別の政策の枠組みの中で解決すればいい話なので、関係ないといえば関係ないのでしょうが…。

パネルディスカッション

さてシンポジウムの後半は私も参加したパネルですが、議論は非常に多岐にわたりましたので、印象に残った点をいくつか。
モデレータの樋口美雄先生がキーノート・スピーチをされたのですが、目指すべき社会と労働市場のあり方のビジョンを明確化し、その数値目標を設定して、労働政策だけでなく産業政策、科学技術政策、文教政策、税・社会保障政策をパッケージとして構築した「雇用戦略」の策定と、その推進状況をPDCAサイクルによって検証し改善していく必要がある、ということをしきりに強調しておられました。
まあ、たしかに現状では行政の「縦割り」もあって各種政策の有機的な連関という点では問題があることは事実だろうと思います。そういう意味では総合的な政策パッケージとしての「雇用戦略」の必要性も高いようには思われます。
問題はその実践で、ビジョンや数値目標というのは常に両刃の剣という性格を持っているわけで、それらを硬直的に捉え、方法論の吟味が不十分になってしまうと、その場は数値も改善してその点ではよかったようでも、いろいろなところにひずみが出てきて結局は全体がガタガタになってしまう…という危険性は重々認識しておく必要はあろうかと。特に景気の動向には十分留意すべきで、ダメな時期はダメで仕方ないんだ、というアタマをはっきり持っておくことが不可欠でしょう。
もうひとつ、ビジョンを作るにあたってはやはり多様な価値観を包摂できるものとすることが大切だろうと思うのですが、当日樋口先生がご提示された資料をみると若干価値観が単一的な印象もなきにしもあらずです。特定の価値観にもとづいてそれを規制的な手法で実現しようというのは、どちらかといえば社会主義・計画経済的な道であって、あまりうまくいきそうな気がしません(これはパネルの中でも申し上げました)。経済成長→雇用環境・労働条件の改善、という順序は見失わないようにしたいものです。
連合の長谷川裕子さんのご意見は、立場上どうしても意見があわないところはあります(笑)。とはいえ、組織を背負って出てきておられるのでしょうから若干不自由ではなかったかとは思われる中で、おおむね現実をふまえた具体的・実践的な内容が多かったことには感銘を受けました。実際、程度の違いはあるけれど、方向性としては似ている、という話が多かったように思われます。とりわけ、現在の労組に対して「正社員クラブ」などとの批判があり、労働界でも企業横断的で非正規労働も含めた組織を主張する向きも多いにもかかわらず、企業別労組のよさを十分に踏まえ、それを生かそうとの主張はおおいに共感できるもので、私も「企業別労組を大前提に」多少の応援をさせていただきました。
東大の水町勇一郎先生(教授ご昇任おめでとうございます)は、競争戦略と労働法制、雇用システムと労働法制に関するオルタナティヴを整理されつつ、集団的労使関係による「国家−産業・地域−企業・事業場」の各レベルを包含した重層的な社会的ガバナンスの基盤整備を提唱されました。
その中で、水町先生はEUの労働法制を好意的に紹介されたのですが、EUの労働法制の最大の問題点は水町先生ご自身も率直に認めておられたように「それで結果的にうまくいっていない」ことにあるわけで、そこから得られる反省もふくめ、わが国の労働市場や人事労務管理に実態に合った形で生かしていくことが大切なのでしょう。当然ながらEUの労働法制は深い考察のもとに構想されているわけで、理念とか建前とか筋とかいった点では美しい体系になっているのでしょうが、理屈の美しさを現実の豊かさより優先させるのがいいとは思えないわけで、もちろん水町先生はそんなことはないと思いますが、世の中ではそうした議論を展開する向きもあるわけでして…。
三菱UFJリサーチ・アンド・コンサルティングの矢島洋子先生は女性労働の観点から発言されました。まず、これまでも女性就労支援策は進展し、直近ではワークライフバランス施策の進展で企業の両立支援策も機能しはじめたものの、保育所の整備が追いつかない、両立支援策の対象となる正社員が増えにくい、そもそも雇用が確保できず「両立」どころではないじ、といった問題が明らかになったと指摘されました。そのうえで、両立支援策の対象となりうる雇用の増加、労働時間短縮を進めるための「人あたり生産性」から「時間あたり生産性」への企業の人事管理の転換、両立で従来のキャリアコースを外れた人への動機づけなどの課題を提示されました。
「人あたり生産性」から「時間あたり生産性」への転換というのは、趣旨はよくわかるのですが、いっぽうで1日6時間ではなく8時間働くことに特別の価値がないかといえば、やはりそうではない。もちろん、そもそも労働時間に連動しないコストというものはあって、その分は明らかに労働時間が短いと不利になります。通勤手当などは思い切ってやめる(!)*1という方法もありますが、たとえばデスクとか電話機とか情報端末といったものの費用はなかなか難しいでしょう。
それに加えて、1日6時間なら時間あたり2,000円しか払えないけれど、8時間働いてくれるなら2,050円出してもいい、というシチュエーションは十分に考えられるものです。もちろんこれは、1日12時間も働かれたら生産性は落ちるし健康リスクは増えるしで迷惑だから、時間当たり1,500円くらいしか払いたくないけれど、現実には割増賃金まで払わなければならない…というシチュエーションだって十分ありうるわけで、そうなると人あたり生産性より時間あたり生産性だ、という議論になる部分に入るのかもしれませんが。つまり、人当たり生産性にせよ時間あたり生産性にせよ、賃金水準なども含めて総合的に考慮することが必要であって、したがって「時間割賃金は同じ」といったことに過度にこだわると進む話も進まなくなる、ということになるのではないかと感じたところです。
私が申し上げた内容については、また日をあらためてということで(笑)

*1:通勤費を企業が実費で負担するのは、遠距離・長時間通勤を奨励する効果があるので、ワークライフバランスの観点からは通勤手当はないほうがいいという議論は十分ありうるものだと思います。いっぽうで転勤で通勤費が増えてしまったらどうしてくれるんだという議論もあるわけですが。