ここがおかしい日本の雇用制度(1)

 職場の回覧で、「週刊エコノミスト」の7/1特大号(http://www.mainichi.co.jp/syuppan/economist/news/20080620-170532.html)が回ってきました。表紙におどろおどろしく大書された特集名は「インフレ炎上」。うーんと思ってスルーしようかとしたときに、インフレ炎上が横綱とすれば関脇か小結くらいの大きさで左下に書かれた第二特集の「日本の雇用」が目にはいりました。そしてその上に小さく書かれた文字は「やっぱり、ここがおかしい」。その趣旨は「日本と欧米諸国の雇用制度を比較することで、日本の雇用制度の問題点を検証する」ということだそうです。
 内容をみてみますと、

・正社員・非正社員の「均等待遇」が社員のやる気を引き出す 渥美由喜
・非正規労働・欧米との比較 日本の非正規労働者はステップアップができない 権丈英子
・労働時間比較 圧倒的に長い日本男性の労働時間 水野谷武志
・解雇制度の実態 日本の解雇規制は「二重構造」 これが正規・非正規の差別を生む 濱口桂一郎
・男性の育児参加 仕事と子育てを両立できない日本の父親たちの現状 渥美由喜

と、hamachan先生も登場されていますが、一見してわかるとおり昨今話題の非正規雇用問題にまつわるテーマが並んでいます。なかなか興味深い内容を含んでいますので、見ていきたいと思います。
 まずは渥美由喜富士通総研経済研究所主任研究員の「正社員・非正社員の「均等待遇」が社員のやる気を引き出す」という論考です。

「雇用格差」の拡大・固定化が指摘されるようになって久しい。だが、議論百出するばかりで、現状は改善されず、足踏み状態が続いている。
 そうしたなか、パート・アルバイト、派遣社員契約社員など「非正社員」は増加の一途をたどっている。2008年1〜3月期において、非正社員は約1700万人と、雇用者総数の3分の1にも達している。厚生労働省の調査をみると、6〜7割の非正社員が「今の会社や仕事に対する不満・不安」を訴えており、最も大きな不満・不安は「賃金が安い」(6割)である。
 未熟練の非正社員を対象とした「教育訓練制度」はあっても、1人1人にはなかなか行き届かない。「単純労働→蓄積されないキャリア→低い処遇→内にこもる不満→事件やトラブル暴発→さらに処遇の低い職場を転々とする」――という“負の連鎖”(スパイラル)に陥る人々はますます増えている。
 他方で、非正社員のなかには、役職に就くなど職場において「基幹的な役割」を担う人も増加しているが、待遇はその働きに見合っていない。
 現在、我が国には、正社員と非正社員との「均衡待遇」原則はあるが、「均等待遇(同一価値労働同一賃金制度)」原則はない。「均等待遇」は原則として格差を許さないが、「均衡」とは「バランスをとる」ということであり、格差を許す。
 このままでは、我が国の「社会的一体性」は大きく損なわれてしまう。修復不可能な亀裂が入ってしまう前に、正社員と非正社員との不合理な待遇格差を解消し、その人の働きや貢献に見合って公正に処遇する「均等待遇」を確保することは最優先課題といっても過言ではない。
(「週刊エコノミスト」2008年7月1日号(通巻3973号)から、以下同じ)

 まず「6〜7割の非正社員が「今の会社や仕事に対する不満・不安」を訴えており」ということは「3〜4割の非正社員は不満・不安を訴えていない」ということであり、「最も大きな不満・不安は「賃金が安い」(6割)である」ということは、非正社員全体の4割前後が賃金に不満をもっている、ということでしょう。これは正社員と較べて高いのかどうか?渥美氏は非正社員の不満を根拠に「待遇はその働きに見合っていない」「正社員と非正社員との不合理な待遇格差」などと述べているようですが、本当に「働きに見合っていない」のか、本当に「不合理」なのかはそれだけではわからないのではないでしょうか。
 というか、神ならぬ人間に「この働きにはこの処遇が見合っている」とか「この待遇なら働きや貢献に見合って公正だ」とかいうことが正しく判定できるわけもなく、そこで仕方なく?労働市場の需給関係とか、団体交渉を通じた妥協とかによって決めているわけです。自己申告制度とか目標管理制度とかいったものもそのための努力なわけですし、さらには本当に働きや貢献だけで決めていいのか、生計費のようなものは考慮しなくていいのか、といった問題もあり、非正社員に不満があるから均等待遇の確保が最優先課題だ、といった単純な話ではないのです。
 むしろ、追求すべきは賃金の水準ではなく、キャリアのほうではないでしょうか。「単純労働→蓄積されないキャリア→低い処遇」(事件やトラブルはともかくとしても)という問題意識は正確だろうと思うのですが、それでは単に処遇だけ上ておけばこれが解決するかというと、おそらくそうではないでしょう。現段階では非正社員で単純労働に従事している人が、どのようにより能力が伸び、付加価値の高まる仕事へのキャリアを形成していくのかが問題なのではないかと思います。
 というのも、わが国ではその場その時の仕事よりは、将来まで含めたキャリア(の見通し)を重視して賃金を支払う傾向が強いのではないかと思われるからです。この論考ではこのあと、米英・大陸欧州と日本を比較しながら議論を展開していますが、

 正社員は、賃金水準は比較的高いものの、過重な「時間外労働」や転勤・配転義務といった「時間・場所の拘束性」が強い。逆に、非正社員は賃金水準が低い半面、「時間・場所の自由」がある。これまで、「高収入」と「時間・場所の自由」は二者択一の関係にあった。実際に、パート社員としての働き方を選んだ理由をみると、「自分の都合の良い時間(日)に働きたいから」が5割強と最も多い。すなわち、「低収入に甘んじても、時間や場所を拘束されたくない」人が非正社員となっている。
 一方で、正社員のなかでは、時間・場所の拘束に対して従順な社員ほど評価が高く、賃金も高かった。逆に短時間勤務者は、実は時間当たりの生産性が高いのに評価が下げられた。「時間・場所の自由」と「高収入」の「二兎」を追うとしたら、自分で起業するか、自営業に転ずるしかなかった。

たしかに正社員について時間・場所の拘束性の強さが賃金水準に反映されているという面はあると思いますが、それに加えて、正社員は長期的なキャリア全体が評価されているのに対し、非正社員はそうではない、という点も重要ではないかと思います。
なので、

 しかし、そもそも「時間・場所の拘束性」と「賃金水準」は相反するものではない。特に、最近は、女性社員の割合が増大するなど、人材のダイバーシティ(多様化)が進んでいる。男女ともに家庭責任を果たしたい従業員が増えるなかで、柔軟に残業したり転勤したりするわけにはいかない。また、企業の社会的責任(CSR)の観点から「ワークライフバランス」や「ダイバーシティ」に取り組む気運が高まっている。
 すでにプロクター・アンド・ギャンブル・ジャパン(P&G)や、アフラックアメリカンファミリー生命保険)、松下電器産業をはじめとした電気産業を中心に、ダイバーシティ先進企業では、「時間当たりの生産性」が高い従業員を高く評価するようになっているが、今後「持続可能性の高い」働き方へと切り替える企業はますます増えるだろう。そして、「時間・場所の自由」ニーズが強い正社員(例えば、短時間勤務や勤務地限定の社員)のなかから、評価も高く、賃金も高い人が増えてくる可能性が高い。
 これに伴い、非正社員についても「基幹的な役割」を担う人のみならず、全般的に処遇を改善する圧力が高まる。これには、非正社員側の要因と企業側の要因がある。
 第1に、正社員の「時間・場所の自由」が高まると、これまで「低収入に甘んじても、時間や場所を拘束されたくない」という理由で非正社員となっていた人たちの不満はこれまで以上に膨れ上がる。
 第2に、子育てをしている従業員(育児休業取得者や短時間勤務者)など「時間制約」が高い正社員が増えると、そうした人たちの代替要員として非正社員が埋め合わせをする機会が増える。これまで同一「価値」労働という言葉はあっても、実際に職場で正社員と非正社員の労働価値が比較される機会はあまりなかった。また、過度の賃金格差を違法とした判決でも、「労働価値を同一と判断するのは困難」とされてきた(96年、丸子警報器事件判決)。しかし、代替要員となる機会を活かして、非正社員が同一「価値」労働を職場でアピールすることは十分可能だ。また、ダイバーシティ先進企業では、業務を標準化し、その質を客観的かつ定量的に把握しようという取り組みが進んでいる。
 実際に、育児休業中に代替要員として雇用した非正社員をその後、正社員や正社員と同じ賃金水準の嘱託社員として採用しているケースがある。そうした企業では、非正社員のみならず、正社員にとっても良い発奮材料となっている。「均等待遇」により、正社員のなかでも、時間制約がある人とない人の間の不公正な処遇がある現状を大幅に改善する。

というのも、大筋ではそうだろうと思うのですが、「代替要員となる機会を活かして、非正社員が同一「価値」労働を職場でアピールすることは十分可能だ」というのはそれほど単純ではなく、その時その場だけの「同一」だけではなく、キャリア全体としての「同一」をアピールすることも大切なので、そうそう簡単に「十分可能」とまではいえないように思います。
また、多くの場合企業経営上の要請から、許容できる総額人件費の上限が存在しますから、結局のところは「評価も高く、賃金も高い人が増えてくる可能性が高い」「全般的に処遇を改善する圧力が高まる」とはいっても労働者全体の中での分配の問題になります。つまり、上がる人がいればいっぽうで下がる人がいる、つまり「時間あたり生産性が低い」けれど、長時間働くことで出来高を確保しているような人は賃金が下がるとか、上がらないといったことが起きるということでしょう。こうした動きは、現在のように長時間労働すればするだけ割増賃金が増えるという法制度とはあまり整合的ではなく、労働時間法制の見直しが求められることになりそうです。