ワークライフバランス改善のために

労働政策研究・研修機構のウェブサイトには、研究員によるコラムのコーナーがあります。月2回くらいのペースで更新されており、先週金曜日からは、池添邦弘副主任研究員の「ワーク・ライフ・バランスに想うこと」というエッセイが掲載されています。ちょっと考えさせられる内容がありますので、ご紹介したいと思います。短いものなので、まず全文を引用しましょう。

 筆者には二人の子供がいる。一人は小学生、一人は保育園児である。上の子もそうだったが、下の子も筆者が毎朝保育園に送り届け、たまにお迎えもしている。なので、他の園児のママさんパパさん達には顔見知りや知人が多い。
 知人のあるママさんは、フルタイム正社員としてお勤めである。子供さんの送迎は、裁量労働制が適用されている筆者と比べて朝早く夜遅い。仕事の都合によっては、子供さんの送迎をパパさんと融通している。ところが、仕事が忙しく、融通も上手くいかないとき、ママさんは苦労しているように見える。というのも、お勤めの会社には、子が一定年齢に達するまでの短時間勤務制度があるらしいが、保育園に預けている子供さんがその年齢に達したため、制度の適用から外れてしまったのである。結果、少なくとも労働時間に関しては、育児責任のない同僚らと同じように働かざるを得ない。ママさんは、始業・終業時間と通勤時間を考慮して行動し、朝は開園間もない時間に預け、夜は保育終了時間ギリギリに引き取っている。日々是綱渡り、といった様相である。時々、朝の送りや夜のお迎えでそのママさんに会うことがあるが、顔は笑っていても相当にお疲れの様子が伺える。きっと、仕事も家のこともいっぱいいっぱいなのだろう。お疲れ様です、と最敬礼したくなる。
 お勤めの会社は、ワーク・ライフ・バランス(以下、WLB)を推進しているらしい。企業全体のポリシーとしてWLBを掲げ、個別の制度を設け、具体的な取り組みを行っているのだろう。しかし、その会社の一社員であるママさんの置かれている状況を見るとどうだろう。本当かな?という靄がかかる。
 ところで、筆者は昨年、在宅勤務制度等テレワークの企業ヒアリング調査を行った。いずれの企業も先進的事例と評価されていることもあって、多くの会社がWLBを標榜し実践している。でも、話を聞いてみると、ことWLBとしての在宅勤務に関しては、多くの会社で、女性社員、あるいはその上司からの強力なニーズに突き動かされて制度として取り入れ、運用していたのである。例えば次のような例がある。妊娠・育児期の女性社員が、これ以上働き(通勤し)続けるのは困難なので退職を決意したとか、短時間勤務制度を利用しているが自身のキャリアに影響が出ないか心配し、また、働く時間が短い分周囲に迷惑をかけているんじゃないかといった不安がある、ということを上司に相談したところ、上司が人事部に、有能な人材に辞められたり仕事に影響が出たりするのは困るので何か手を打てないかと相談し、ならば社員のニーズに応じて自宅で仕事をできるようにしよう、ということで検討され、運用が始められた。つまり、社員個々人のニーズをすくい上げる、仕事はしたいが家族(子供)のことがあるのでそちらにも時間を割きたいと困っている社員を助ける、ということを契機にWLBとしての在宅勤務を制度として導入したり、運用したりしているのである。
 先のママさんが勤める会社のWLB施策の中に在宅勤務があるのか定かでない。しかし、短時間勤務制度の適用から外れた現在、ママさんの会社には彼女の苦労を和らげることができる施策はなさそうである。一方でママさんは、一所懸命やって何とかなっているから問題ないとして、会社に相談していないのかもしれない。それでも筆者は、WLBを掲げる会社に言いたいことが一つある。社員のニーズを把握して、すくい上げて下さい、そしてニーズに適う環境を整えてあげて下さい。立派な神輿を担いでも、祭る御神体がないのでは本当のご利益などないでしょう。むしろ、足元が滑って神輿を落としてしまうことになるかもしれません。
http://www.jil.go.jp/column/bn/colum0121.htm

勤労者福祉の向上は常に重要な労使間のテーマですし、育児支援ワークライフバランス(WLB)も大切な問題ですから、せっかくWLBを標榜しているのなら、こうした個別のニーズを把握し、環境整備を進めてほしい、という趣旨はたいへんよくわかります。おそらくこの会社は、そうした面でまだまだだ、というのが現実なのでしょう。
ただ、もう少しドライに考えると、WLB施策は必ずしも純然たる福利厚生、勤労者福祉の向上のみを目的としているものではなく、池添氏が力説するように「女性社員…の上司からの強力なニーズに突き動かされて制度として取り入れ、運用していた」「有能な人材に辞められたり仕事に影響が出たりするのは困るので何か手を打てないか」といった動機によって導入されてきたという経緯もあります。つまり、企業サイドにも必要性があったから導入されたのであって、すべてが単に「仕事はしたいが家族(子供)のことがあるのでそちらにも時間を割きたいと困っている社員を助ける」だけが契機になっているわけではないでしょう。
となると、かなり冷たい言い方で気はさすのですが、この「ママさん」に関しては、会社・職場サイドに「現行制度を上回る支援をするまでの必要性はない」という一種合理的な判断もどこかで働いているのかもしれません。さらには、「ママさん」ご自身もそれを察知して会社に相談していないのかもしれません。まあ、池添氏が推察するように単に制度的な不備、あるいは会社の取り組み不足の可能性が高いだろうとは思いますが、そういう可能性もあるということで。
とはいっても、この「ママさん」が引き続き短時間勤務できなくてもいいかといえば当然そんなことはなく、できることが望ましいことは間違いありません。それは十分可能であって、たとえばこの会社に労組があればその労組が次の春季労使交渉のときに、賃上げなどと並んで短時間勤務制度の拡充を要求し、交渉のうえ獲得する、といった方法が考えられます。これは「会社に言いたいことが一つある。社員のニーズを把握して、すくい上げて下さい、そしてニーズに適う環境を整えてあげて下さい」などと「祈る」よりははるかに効果的でしょう。もちろん、交渉事ですから、これを獲得するためには他の部分で譲らなければならないという場面も当然考えられ、たとえば制度拡充するかわりに賃上げは0.1%譲らなければならない…というときに労組としてどのように意思統一するか、といった難しい問題はあるわけですが。いずれにしても、「社員のニーズを把握して、すくい上げて」というのは、会社と同時に労組などにも期待したいところではあります。
さらにいえば、「朝は開園間もない時間に預け、夜は保育終了時間ギリギリに引き取っている」のをなんとかしたいなら、別の有力な方法があります。朝はもっと早く、夜はもっと遅くまで預けることができるのであれば、とりあえず「日々是綱渡り、といった様相」はかなり改善されましょう。実際、わが国の実態をみれば「預けてフルタイムで働き続けることができる」こと自体がかなり恵まれている、という地域だって珍しくはないわけです。
より使い勝手のよい育児サービスがもっとふんだんに供給されるようにするための制度的な課題はいろいろありますが、これはおそらく労使が協同して取り組むことができ、またそれに値するものではないでしょうか。こちらの取り組みも進展することを期待したいものです。