年越し派遣村

やはりきのうの日経から。年末年始にかけて「年越し派遣村」が話題になりましたが、それをめぐる政治家の失言が報じられていました。

 坂本哲志総務政務官は五日の総務省の仕事始めで、仕事や住まいを失った人々を支援した東京・日比谷公園の「年越し派遣村」について「本当にまじめに働こうとしている人たちが公園に集まっているのか」と指摘。「『講堂を開けろ。人が出てこい』と学生紛争の時の戦略が垣間見える」とも述べ、政治的な色彩が濃いとの認識を示した。
 民主、国民新両党は五日夜、都内のホテルで開いた幹部懇談会で坂本政務官の発言を追及する方針で一致。民主党は今後の国会審議で罷免を要求していく方針だ。
(平成21年1月6日付日本経済新聞朝刊から)

年越し派遣村の「村長」は湯浅誠氏だということですから、もちろん政治的な色彩が濃いことは間違いないでしょう。とはいえ、集まっている人たちの中には「まじめに働こうとしている人」だってそれなりにたくさんいたでしょうから、政治家の発言としてはお粗末と申し上げざるを得ません。批判を受けて今日にはすでに撤回・謝罪となったそうですが、当然でしょう。
それにしても、余談になりますが、この「年越し派遣村」はなかなかよくできたイベントだったと申せましょう。湯浅氏はホームレスの支援をメシの種にしている人ですから、テントを張って無料で炊き出しの食料を提供すれば多数のホームレスが集まってくるだろうことは確実に予想できたでしょう。それを「年越し」というタイミングで実施したのが妙味で、年末年始はテレビの視聴率が高い割には事件が少ないことから露出が増えて世間の耳目を集めやすいと同時に、合同庁舎5号館講堂の開放も平日であればまず実現不可能だったと思われます。話が大きくなることで千代田区から生活保護事務の迅速処理という成果も引き出し、タイミングひとつで最大限の効果を演出したのはまことに水際立った手腕と申せましょう。また、「派遣村」と命名することであたかも集まった人々がすべて昨今のいわゆる「派遣切り」にあった人たちであるかのような印象を与えたこともこのイベントの白眉でありましょう。政治宣伝とはこのようにやるんだよ、というお手本とすらいえるかもしれません。
さて本題ですが、テレビで見た記憶だけなので正確さは疑わしいのですが、みのもんたが昨日か一昨日の「朝ズバッ!」で「年越し派遣村」について批判的なことを言っていました。怪しい記憶ですが、『政府もさることながら、年越し派遣村に集まった人たち自身も努力が足りないのではないか。職安の人が、実は選ばなければ仕事はあると言っていた。食事とか住居とか権利を主張するまえに、まずはえり好みせずある仕事をすべきではないか』といった内容ではないかと記憶します(自信なし)。坂本政務官も、あるいはそうした考えがあったのかもしれません。
しかし現実には、「年越し派遣村」に集まった人の太宗を占めると思われるホームレスの多くは、「本当にまじめに働こうとしている人たち」どころか、すでに「本当にまじめに働いている人たち」ではないかと思います。少し古いのですが、厚生労働省が2003年に「ホームレスの実態に関する全国調査」というのを実施していて、その結果をみると約3分の2の人は現に収入のある仕事をしています。内容は複数回答で4分の3近くの人が廃品回収をあげていて、収入も月1万円〜10万円に7割近くが集中していますので、生活支援を必要としていることは間違いないでしょうが、ホームレスの就職の困難さを考えると致し方のないところではないでしょうか。みのもんた氏とすればそれは「職を選ばずにまじめに働いていない、努力が足りない」ということになるのかもしれませんが…(ちなみに建設や運輸の日雇就労をあげた人も2割弱いますので、日雇派遣の禁止がこうした人たちに不便をもたらさないか心配です)。こうした人たちにいきなり「仕事は選ばなければあるのだからまずは働け」などと言っても無理な話で、まずは住居を確保し、しかるのちに職を見つけるという順序で支援していくことが必要なことは明らかでしょう。もちろん、先に職について、住居の確保に必要な資金を得るという順序が望ましいというのも一理はありますので、ホームレスでも就労可能な仕事を提供する「ビッグイシュー」のような形での支援も望まれるところではありますが。
もっとも、みのもんた氏としては、彼らがホームレスになる過程について不満があったのかもしれません。実際には失業とともに住居も失ってしまったという人が多いはずだと思いますが、「もっといい仕事を、とえり好みしているうちに家賃が払えなくなってしまった」という人もいるのではないかということかもしれません。こういう人がいたとしたら、たしかに見通しが甘かったということにはなるでしょう。
しかし、見通しが甘かったのは自業自得だから支援すべきではない、というのはいくらなんでも暴論でしょう。人間誰しも「私にはこの仕事はできない」というものがあることはむしろ自然です。その結果、望まずにホームレスになってしまったのだとすれば、見通しの甘さの代償はすでに十分支払ったのではないでしょうか。
就労への努力を求めながら支援する、具体的には住居を確保し、職業訓練を受けさせながらその間は失業給付を支払う。訓練後、職安が再就職を紹介し、それを拒んだ場合は失業給付の支払を制限する。こういったような形での支援は、いくつもの国で行われているといいます。こうした支援ならば、ひょっとしたら「えり好みはけしからん」というみのもんた氏にもお許しいただけるのではないでしょうか?