休息規制は余計なお世話

hamachan先生のブログからの孫引きですが、小林良暢さんが雑誌『現代の理論』08秋号に「「休息時間」なくして「ワーク・ライフ・バランス」なし−なぜ日本では実現できないのか?EU指令の重要性」という論文を寄せられているそうです。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-807a.html
小林良暢さんは今はグローバル産業雇用総合研究所所長という肩書きになっているようですが、もともとは電機労連の人で、経済財政諮問会議労働市場改革専門調査会のメンバーでもあります。
さて、その論旨はというと、hamachan先生のブログにはこういうくだりが引用されています。

 政府がワーク・ライフ・バランス推進官民トップ会議を再招集して、そこで「休息時間を1日最低11時間以上とする」ということを、新総理、御手洗さん、高木さんの3人でトップ合意することである。
 国会が立法府本来の責務として、憲法に規定された「休息時間」を労働基準法の中に「1日最低11時間以上」を企業に義務づける条文を追加する改正案を、議員立法で提案して成立させることである。

私はこれには2つの点でまことに大きな不満(と1つの小さな不満)を覚えます。
この規制は、大雑把に言ってしまえば、「9時に出社したら、昼過ぎにクライアントから大物のクレームが突発で飛び込んでいて、その処理に追われて仕事が終わるのが翌日の午前2時になってしまった。そんなに長いこと働いたのだから、翌日は仕事を始めるのは午後1時以降にしなさい」というものですね。休息時間とはいいますが、具体的に意味することは要するに睡眠でも休養でも食事でも家事でも育児でもなんでも、とにかく仕事以外のことを11時間はしていなさい、ということでしょうから、これはたしかにワーク・ライフ・バランスに資する規制ではあるかもしれません。とはいえ、必ず毎日育児や家事をするのことがワーク・ライフ・バランスかといえば、それは違うでしょう。「今日は自分、明日は配偶者」という分担もあるでしょうし、「日々家事をするわけではないが、住宅の営繕などはまとまった時間をとってやる」というのだって立派なワーク・ライフ・バランスでしょう。しかも、この11時間は終業時刻によって時間帯の開始・終了が日々移動するわけですから、必ずしも「毎日育児・家事」というのにも十分フィットするわけではありません。ワーク・ライフ・バランスのために休息時間11時間の規制を設けるという理屈にはいまひとつしっくりこないものがあり、これが1つの小さな不満です。

  • (10月24日追記)hamachan先生からこのエントリについて先生のブログでコメントをいただきました(http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-473a.html)。この部分については、「毎日育児・家事」というワーク・ライフ・バランスではなく、「睡眠時間最低6時間プラス最小限必要な生活時間を確保するための、生命という観点からのワーク・ライフ・バランス」とのことです。論文を読まずに書くせいでこういう間違いを犯すのであって、まったくもって私の不見識でした。もっとも、それでも「毎日最低睡眠時間6時間」を法規制で確保しなければならない仕事の範囲というものはある程度限定されてくるのではないかとも思うわけですが。

より大きい不満の1つは、規制対象に関するものです。さきほどの例や、あるいは建設現場の突貫工事で夜2時まで働いたとか、製造現場の設備トラブルで納期に間に合わせるために手作業のバックアップを夜2時まで続けたとかいうのなら、たしかに翌日の午前中は休養しなさいよ、というのはわからないわけではありません(それを硬直的な法規制でやるのがいいかどうかは別として)。
いっぽう、それこそhamachan先生におたずねしたい(もちろんhamachan先生はこうした点は十分ご承知なので、これは単なるレトリックです。為念)のですが、論文を執筆していたところ非常に好調で、気がついたら午前2時になってしまっていたとして、ここで中断したら午後1時までの11時間は論文の続きに取り掛かってはいけません、という規制になるわけですよこれは。それで本当によろしいのですかと。少なくとも私はそんな規制はまっぴらです。私だったら、2時にいったん終わって、家に帰って入浴して軽食をとり、4時から8時まで眠って、9時には再開したい。そのかわり(?)、仕事が一段落したら有給休暇をとる。ホワイトカラーの相当割合はこうした働き方の方を望むだろうというのは容易に想像できるわけで、「一度仕事を終わったら11時間は再開してはいけません」などという規制は、余計なお世話以外のなにものでもないでしょう。つまり、こういう規制を万一やるとしても、その範囲はかなり限られたものとする必要があります。これはひいては、かなりの程度自律的でメリハリのついた働き方が望ましいホワイトカラー労働の大半に対しても、工場労働と同様の規制を行っている現行労働法制の欠陥に行き着く問題かもしれません。

  • ここについてもhamachan先生の同じエントリでご意見をいただきましたが、この部分は私の書き方がまずく、誤解を招いているようです。私が意図しているのは「かなりの程度自律的でメリハリのついた働き方が望ましいホワイトカラー労働」の「大半」でありまして、一般的に「ホワイトカラー労働の大半」を意図しているわけではありません。「ホワイトカラーの相当割合」もイメージとして3〜4割です。このあたり、このブログの労働時間に関する過去のエントリをお読みいただければご了解いただけるものと思います。もっとも、それ以外のホワイトカラーには11時間休息規制が適当だと考えているわけでもありません。仕事や働き方の実態に応じて規制のあり方(必ずしも休息時間規制に限らず、月間労働時間のキャップといったものなども含めて)を考えるべきでしょう

もう一つの大きな不満は、「ワーク・ライフ・バランス推進官民トップ会議でトップ合意」「議員立法」という方法論です(11時間の休息を労基法に加えることが立法府の本来の「責務」かどうかは別として)。11時間の休息が憲法に明示された勤労条件だというのであれば、まずは憲法で保障された労働三権を行使して、労働組合がそれを要求し、団体交渉を求め、回答を得て労働協約にするというのが労働運動の正論ではないでしょうか。単組でやるのが難しいのなら産別で共闘すればよろしい。それでサムソン電子やハイニックスに勝てるのか、という議論に対しては、生産性運動の精神に基づいて、電機連合と電機各社とがともに生産性向上に取り組む。こうしたステップを最初からスキップして「政労使合意」「議員立法」に頼るというのは、元労働組合幹部の発想としてまことにふがいないと申し上げざるを得ません。「官民トップ会議」のほうは労使の代表が加わっているのでまだしもですが、これとて正面から堂々と経団連と連合のトップ交渉(産業労使会議というんでしたっけか)を申し入れるのが王道でしょう。経団連に十分な当事者能力があるかどうかは疑問ではありますが…。
『現代の理論』誌を読んだわけではないので、実はまったくの誤解にもとづくいいがかりになってしまっている危険性はありますが、全否定するつもりはないものの、相当慎重な議論が必要だろうと思います。