キャリア辞典「ダイバーシティ」(1)

「キャリアデザインマガジン」第69号のために書いたエッセイを転載します。


ダイバーシティ」(1)

 人事管理における「ダイバーシティ・マネジメント」の考え方は、わが国ではまだそれほど普及しているとはいえないかもしれない。とはいえ、近年ではこれを標榜する企業も増えつつあり、グローバル化の時代にあってこれからの人事管理のキーワードとなりそうな気配もないではない。
 もっとも、米国に進出している企業にとっては、ダイバーシティ・マネジメントはすでに周知のものだろう。その背景には米国社会の多様性がある。
 米国は、もともと先住民族の居住地に植民した欧州人によって建国されたという歴史を持つ。その後も、アフリカ大陸から多数の人たちが強制的に移住させられるなど、多種多様な移民が移り住んできたし、現在でも多くの移民が流入している現実もあって、きわめて多様性に富む。これを背景に、米国では少数者に対する差別、とりわけ人種差別がかねてから大きな社会問題と認識され、その解決は重大な社会正義であると考えられてきた。1964年の公民権法第七編は人種差別撤廃を徹底するものとなり、さらには年齢差別禁止法、障害者差別禁止法などの差別禁止立法によって、人種、皮膚の色、出身地、宗教、性別、年齢や障害の有無などの理由による雇用差別が禁止された。また、一定の政府契約業者に対してはアファーマティブ・アクションも義務づけられるなどの法的措置がとられている。こうした中で、米国企業にとって多様性への取り組み、とりわけ差別問題への取り組みが重要な課題として定着した。
 当初は法令遵守や企業倫理といった側面が重視され、法的規制への対応が中心であったし、現在でも依然としてその比重は大きいようだ。多くの企業がダイバーシティ・コミッティを設置し、従業員や管理職におけるマイノリティの比率を監視し、あるいはその登用を進めている。また、従業員向けに多様性理解のためのダイバーシティ研修プログラムを展開する企業も多いという。米国では差別問題が顕在化すると訴訟に結びつきやすく、企業のリスク・マネジメントとしても重要視されている。
 これに対し、多様性を競争優位につなげていこうとするのが、今日的な意味での「ダイバーシティ・マネジメント」である。この考え方は、1990年代に急速に拡大したという。
 その一つの要因は、1990年代に入って米国企業の事業のグローバル展開が拡大したことがある。世界各国での最適なマーケティングを実現するためには、現地従業員の知識やアイデアが不可欠とされるようになった。
 もう一つの大きな要因として、米国の人口構成の変化、すなわちマイノリティ人口の増加が指摘されている。たとえば、すでにカリフォルニア州では2000年時点ですでに白人の人口比率が過半を下回っている。こうした傾向を逆戻りさせることは不可能に近く、将来的にはこれが全米に拡大することは確実と考えられるようになった。もはや多様性を受容することは不可避であり、そうしなければ労働力の確保ができない時代が来ることになる。であれば、単に多様性の高い組織をうまく運営するというだけにとどまらず、その多様性を競争優位につなげていくことができるのではないかというチャレンジングな発想が生まれてきた。
 たとえば、IBMは"Valuing Diversity"を標榜し、社内外できわめて幅広い、多彩なダイバーシティ・プログラムを展開している。これは、1993年に同社の会長兼CEOに就任したルイス・ガースナーは、世界160カ国、26万人のIBM社員の30〜35%は女性、黒人、ヒスパニック、アジア人であるのに対し、経営権を持つトップエグゼクティブのほとんどは白人男性、いわゆるWASPであることに着目した。これは様々な社員が持つ潜在的な力が十分に活用しきれていないことの現れであると考え、例えばマイノリティーの管理職比率などの目標値を設定し、3カ月ごとに進捗状況のレビューを義務づけるといった取り組みを進めたという。この考え方はIBMの日本法人である日本アイ・ビー・エムでも展開されており、同社はわが国におけるダイバーシティ・マネジメントの代表的先進事例としての地位を確立した。