ミドル層の活性化

日経の「経済教室」は「働くニホン」の特集をやっているようで、きのうはリクルートワークス研究所長の大久保幸夫氏が登場しました。こちらのお題は「ミドル再生で「現場力」強化 分野の「プロ」育成−やる気向上へ選択肢用意」というものです。なかなか傾聴すべき議論が展開されていますので、ご紹介したいと思います。

 日本的経営が高く評価された一九八〇年代、日本企業の強さの根源はミドル層をリーダーとする現場力にあるといわれていた。組織の一体感を背景に、権限を持ったミドルを中心に経営を進めるスタイルは、トップエグゼクティブ中心に経営を進める米国の方式と対照的で、一部のエリートではなく、中間層の普通の人々が日本の経済をけん引している姿を各国に印象付けた。野中郁次郎・一橋大名誉教授は、当時ミドルアップダウンというコンセプトを発表したが、これは情報処理におけるミドルの強さが日本企業の強さの一因になっているとのメッセージだったといえよう。
(平成19年10月17日付日本経済新聞「経済教室」から、以下同じ)

「中間層の普通の人々」というより、「中間層『以下』の普通の人々」ではないかと思います。私は野中説よりは「日本企業の強さの根源は『ヒラの人たち』であったという飯田経夫先生の説に賛成です。もちろん、「ヒラの人たち」の中核であり、ある意味代表選手でもあるのがミドル層であることも事実でしょう。

 しかし、経済成長が鈍化し、IT(情報技術)活用による生産性向上が求められると、ミドルはたちまち「悪者」になった。変革を阻み、若い優秀な人材のアイデアを握りつぶし、ただ中間にいて意思決定を遅らせる、といった側面ばかり強調された。その結果組織のフラット化が進み、ミドルマネジャーの権限を縮小する企業が増加した。役職で見ると、係長などの初級管理職が廃止される一方、カンパニー制の導入で部長の上に事業部長、本部長などの課長以上の階層が増える傾向が出てきた。ミドルの象徴としての「課長」が次第に小粒化したのである。
 ところが景気回復が進むと、現場のリーダーとして課長の重要性を再評価する動きが明確になってきた。

うーん、「IT革命で、若手一般社員が電子メールで社長と直接コミュニケーションする時代に中間管理職は不要」といった議論は、リクルートさんもけっこうやっていたような気がするのですが(証拠なし)…そうでもないかな。それで組織がガタガタになってしまった企業もあるみたいですし、こうした誤りが修正されるのはけっこうなことだと思います。まだ、中間管理職を「粘土層」とか言っている経営者もいるみたいですが。まあ、たしかに意思決定が遅くなるという弊害があったことも間違いないわけですが。
さて、大久保氏は続いて、現在のミドルマネージャー層に対する企業の期待が非常に高まっていること、それにミドルが十分こたえられていないこと、その理由はそもそも期待が過大であることに加えて現在のミドル層がバブル崩壊後の採用抑制の影響で後輩指導などの機会に恵まれてこなかったことにあることなどを述べます。まことに実感にあう指摘といえましょう。そして、今後のミドル層活性化のための施策として次のように述べています。

 第一には、プロフェッショナル化することである。すべての人材が自分ならではの専門分野を明確に持ち、生涯、専門技術や知識を高めるよう求める制度を導入するのである。…入社後十―十五年を経るといったん能力向上が停滞する傾向が見られる。これはまさしくミドルの時期にあたるが、それは一人前になり成長目標を失うためであることが大きい。早期に管理職に選抜され次々に昇進を重ねる一部の人材は、自ら次の成長目標を設定しなくても会社側が難易度の高い役割を設定してくれるが、大多数は自ら次の目標を自律的に見つける必要がある。
 そこで一人前になった以降の到達目標として「プロ」という概念を設定することが重要になる。マネジメントのプロ、特定分野のエキスパートとしてのプロ、新規事業開発などのプロデューサー型プロなど、選択を個人に委ねてもよい。プロの自覚が出れば、高い職業倫理も持つことにつながり、職業倫理にもとる不祥事の予防も期待できる。今後起こりうるポスト不足を先取りし、ポストにこだわらないモチベーションのあり方を見いだすきっかけにもなる。

これはたしかに大きな問題で、実際には「今後起こりうるポスト不足」ではなく、すでにとっくに起きていたポスト詰まりに対して、多くの企業が同じような対応をとってきています。それが実際にどれほどうまく機能しているかは別問題ですが…。現実には、制度的に「あなたはプロです」と言ってみたところで、処遇がそれについてこなければおよそ「プロの自覚が出れば、高い職業倫理」とはまいらないでしょうし、処遇を上げてしまうと、こんどはそれに見合っただけの仕事が十分に割り当てられない、結果として高コストになってしまう、という問題も出てきてしまいます。このあたりは各企業とも今現在悩んでいる問題ではないかと思われ、大久保氏の所論は若干楽観的に過ぎるように思われます。もっとも、リクルートの人ですから、外部労働市場でも通用するプロ、というのを意識しておられるのかもしれませんが、それはそれでまた別の難しい課題がありそうな気はしますが…。

 第二には、ミドルマネジャーに期待するミッションを分割することだ。一人ひとりにすべての役割を求めるのではなく、専門プレーヤー型、専門マネジャー型、業績推進型、事業変革型などにタイプ分けする。
 もともと短期的に日常業績を高めることと、長期的に人材育成やイノベーションを進めることとは矛盾しがちだ。片方を重視すれば片方が犠牲になりやすい。その矛盾が起こらないよう期待項目を減らすことでミッションの達成度を上げ、組織としては現場が機能不全に陥るリスクを回避するのである。これを職務のポートフォリオ化というが、こうした職務の再設計を行い、順次その職務を担当させれば、ミドル育成にもつながる。

まあそのとおりなのでしょうが、育成という意味では、たとえばマネジャーになる前にも、業務ユニットのチームリーダー的な役割を付与することで育成や業務管理といったマネジメントスキルを伸ばすことができるでしょう。まあ、「順次その職務を担当させれば」というのはそういうところまで含んでいるのかもしれません。

 第三には、ミドルからのキャリアの選択肢を多様化させることだ。すでに過半の企業で次世代リーダー選抜が行われているが、思うような成果が上がっていない。次世代リーダーに選ばれなかった人にその人なりの貢献の仕方を提示していないからであろう。
 プロもその一つだが、地域固定、職務固定、短時間型などの正社員の多様化や、独立契約事業者、MBO(経営陣が参加する買収)など、個人の志向と価値観によって選択可能な道を用意するのだ。定年年齢の六十五歳への後ろ倒しが進み、ミドルはまさしく会社人生の折り返し点となった。ミドル期で意欲を失い会社に依存するだけの人が生まれれば、その時間は二十年続くことになる。
 企業内の選択肢を増やすだけでなく、ミドルの外部労働市場を活性化させる施策も欠かせない。十月から年齢差別を禁止する法改正が行われた。日本では若手の労働市場は活性化しているが、ミドルはそうではない。求人の年齢制限が阻害要因となり、転職でキャリアの展望をひらくことをあきらめてしまう。ミドルの転職環境が改善するように雇用対策を展開することが求められる。

これもそのとおりで、次世代リーダーに選ばれた人は企業がそれ以上なにもしなくてもモラル高くがんばるわけで、問題は選ばれなかった多数の人たちのモチベーションをいかに高めるかだろうと思います。とはいえ、これらの人たちに次世代リーダー並みのモチベーションを求めるのも無理というもので、いかにして処遇に見合った貢献をしてもらうかという現実的な観点が大切でしょう。
大久保氏はリクルートの人だけに、独立や転職など、就労に強くこだわる姿勢ですが、実際にはそれよりは、仕事以外の部分を充実させていくことで人生のクオリティを高めていくことを考えたほうが現実的かもしれません。家庭はもちろん、地域とのかかわりや、趣味の世界など、仕事以外にも人生を豊かにしてくれるものはたくさんあるでしょう。なにも仕事で成功して組織の中で偉くなっておカネをたくさんもらうことばかりが豊かな人生というわけでもないわけですから。というか、これまでも多くの人たちが人生のどこかの段階でそういう割り切りを行ってきたのではないかと思います。