ネットカフェ問題は住宅問題

今朝の読売新聞の解説記事から。この大津和夫さんという記者の方は、若いですがしっかり取材をする真面目な人なのですが…。

 住む場所がなく、インターネットカフェなどに寝泊まりする「ネットカフェ難民」が社会問題となっています。厚生労働省が8月に発表した初の実態調査から実情に迫ってみました。
 ネットカフェは、狭い個室にインターネットのできるパソコンが置かれ、一晩1500円程度で泊まれます。マンガ喫茶もほぼ同様です。
 調査は6月から7月にかけて実施。全国のネットカフェやマンガ喫茶計約3000店を対象とした聞き取り調査と、東京23区と大阪市で利用者計362人に対して行った面接調査の結果を踏まえ、人数などを推計しました。
 調査結果によると、ネットカフェの利用者は、全国で一晩6万900人。その大半は、仕事や遊びで遅くなった「一時利用者」でしたが、帰る家がないため日常的に泊まる「ネットカフェ難民」が、推計約5400人いることがわかりました。
 その内訳を就業形態別に見ると、アルバイトや1日単位の仕事をする「日雇い派遣」など、非正規労働者が約2700人と半分を占めました。失業者(約1300人)も含めると、大半が不安定な就労状態にあるといえます。
 年齢別では、27%が20歳代、19%が30歳代と半数近くが若年層。50歳代も23%で、中高年でも広がっています。平均手取り月収は、東京で10万7000円、大阪で8万3000円。ネットカフェ以外に、路上、ファストフード店、サウナでも寝泊まりしていました。
 家を失った理由の多くは失業です。仕事を辞めて寮や住み込み先を出たり、家賃を払えなくなったりするためです。仕事があっても低収入のため、「敷金や家賃を払うのが難しい」という答えも目立ちました。職を転々とするため相談相手がなく、孤立する姿も浮かび上がりました。
 ネットカフェ難民の背景には、経済情勢の変化で非正社員が増えたことがあります。働いてもふつうの暮らしができないのでは、人間としての尊厳にかかわり、将来、生活保護など社会的コストが増えることも予想されます。正社員と非正社員の間の待遇格差の是正など、政府は早急に打開策を講じる必要があります。(大津和夫
(平成19年10月5日付日本経済新聞朝刊から)

なにが問題なのかといえば、住居がない、ということでしょう。であれば、まず必要な対策は住居の提供であるはずです。ネットカフェが一晩1,500円なら30日で45,000円、まあ月に何日かは別になんとかする(友人宅に転がり込むとか)として、20日間の利用なら月30,000円です。であれば、まずとるべきアクションは月30,000円の家賃で借りられて、そこそこ暮らすことができる住居の供給を増やす政策だろうと思います。
で、どうしても30,000円の住居が成り立たないなら、低所得者に住居を賃貸する家主には不足分の助成金を出すとか、あるいは低所得者自身に家賃補填の福祉的給付を行うとか、敷金や保証人などについて公的に支援するとかいったことが先決なのではないかと思います。
あるいは、比較的廉価な住居が供給されやすい地方での雇用を増やすという政策もあるでしょう。実際、地方の建設現場のいわゆる「飯場」を移り住んでいた人が、昨今の公共事業の減少で失業して住居を失った、というケースもあるそうです。もっとも、だからまた公共事業を増やしましょう、というのがいいかどうかは総合的な判断が必要でしょうが。
もちろん、所得が増えることで高い家賃をまかなえるようになることは望ましいことですから、そのための取り組みも大切でしょう。これは対個人では職業訓練といったようなものになるでしょうが、はるかに効果的なのは経済活性化による雇用の増加でしょう。
「正社員と非正社員の間の待遇格差」の縮小(「是正」かどうかは別途議論の余地あり)も一種の再分配ですから対策のひとつではあるでしょうが、失業者のネットカフェ難民に対してはなんの支援にもなりませんし、非正社員の賃金は多くの場合市場価格なわけで、ネットカフェ難民の存在をもって労働市場を操作すべきだとまではなかなかいえないのではないかと思います。少なくとも、まっさきに出てくる「打開策」ではないでしょう。
なお、話は変わりますが為念申し上げておきますと、私はこれまでも繰り返し書いているように、再分配の強化はこれら貧困対策としても必要であると考えています。ただ、それを賃金政策で行うことには賛成できないというだけのことです。また、「正社員と非正社員の間の待遇格差」についても、それがトータルでの生産性低下につながるのであれば「是正」が必要だと考えていますのでこちらも為念。もっとも企業レベルでは、通常の企業は企業トータルでの生産性が高まるように「正社員と非正社員の間の待遇格差」を設定すべく努力しているものと思います(結果が最善かどうかはともかくとしても)。ただ、個別企業が努力した結果のトータルが、日本経済全体でみて最善でないとしたら、そこには政策的関与の余地があることを否定するものでもありません。ここは印象論やイメージではなく、事実にもとづいたていねいな議論が必要だろうと思います。