さらに続き

さらにきのうに続いて、10日の労政審労働条件分科会に提示された資料の残りの部分をみてみたいと思います。

○時間外労働削減のための法制度の整備

1.時間外労働の限度基準
(1)限度基準において、労使自治により、特別条項付き協定を締結する場合には延長時間をできる限り短くするように努めることや、特別条項付き協定では割増賃金率も定めなければならないこと及び当該割増賃金率は法定を超える率とするように努めることとしてはどうか。
(2)法において、限度基準で定める事項に、割増賃金に関する事項を追加してはどうか。

2.長時間労働者に対する割増賃金率の引上げ
(1)使用者は、労働者の健康を確保する観点から、一定時間を超える時間外労働を行った労働者に対して、現行より高い一定率による割増賃金を支払うこととすることによって、長時間の時間外労働の抑制を図ることとしてはどうか。
(2)割増率の引上げ分については、労使協定により、金銭の支払いに代えて、有給の休日を付与することができることとしてはどうか。

長時間労働削減のための支援策の充実
長時間労働を削減するため、時間外労働の削減に取り組む中小企業等に対する
支援策を講ずることとしてはどうか。

○特に長い長時間労働削減のための助言指導等の推進
特に長い長時間労働を削減するためのキャンペーン月間の設定、上記(1)の時間外労働の限度基準に係る特に長い時間外労働についての現行法の規定(法第36条第4項)に基づく助言指導等を総合的に推進することとしてはどうか。

年次有給休暇制度の見直し
法律において上限日数を設定した上で、労使協定により当該事業場における上
限日数や対象労働者の範囲を定めた場合には、時間単位での年次有給休暇の取得を可能にすることとしてはどうか。

というわけで、「時間外労働削減」「長時間労働削減」が目指されているようです。
もちろん、行き過ぎた長時間労働がよくないことは間違いないわけなので、その削減をめざすのはわかります。しかし、このブログでももう何度も書いていますが、その方法として「割増賃金率(割賃)の引き上げ」がどれほど効果があるのかには大いに疑問符がつきます。


順序は入れ替わりますが、まず「長時間労働者に対する割増賃金率の引上げ」から行きたいと思います。現実的には、割賃には「したくもない時間外労働をした労働者へのインセンティブ」と「時間外労働をさせた労働者へのペナルティ」という二つの側面があり、前者の側面をみれば、長時間労働に追加的に補助金を出させるような施策がなぜ長時間労働抑制になるのかということになるでしょう。大陸欧州諸国の割賃が高いのも、時間外労働に対する抵抗感の強さに応じているとみることもできそうです。
いっぽうで、使用者に対するペナルティを強化することは、これは使用者に対して時間外労働を抑制するインセンティブになりますので、この両面の効果を総合して考えてみる必要があります。
この資料には具体的な時間や率の数字の記載はありませんが、6月に厚生労働省が突然提示して労使双方から総スカンを喰った「労働契約法制及び労働時間法制の在り方について(案)」は、「例えば、1か月について30時間程度」を超える時間外労働について、割賃を「例えば、5割」に引き上げると書いてあります。単純に考えれば、30時間を超えた分については時間あたり賃金コストが1.25単位から1.50単位にアップするということになります。すなわち、30時間を超えた分について時間外労働を6分の5にすればコストアップが避けられることになります。
例によって単純かつ極端なケースですが、月間の所定労働時間が160時間、時間外労働が100時間として計算してみます。
 (現行)160時間×1単位+100時間×1.25単位=285単位/月
 (引き上げ後)160時間×1単位+30時間×1.25単位+70時間×1.5単位=302.5単位/月
となり、6.1%のコストアップになります。その分を単純に時間外労働の削減で吸収しようとすれば、70時間の6分の1で11.7時間、月間260時間が248.3時間になることになります。100時間の残業が88.3時間になるわけですから、そこそこの効果ではありますが、まだまだ長時間労働です。
さらに、総額人件費で考えると、割賃の引き上げが影響するのは法定福利費などに限られ、賞与や退職金、あるいは社宅や給食など福利厚生の相当部分には影響しません。経団連の『2006年版春季労使交渉・労使協議の手引き』によると、法定福利費の総額人件費に占める割合は9.3%、月例賃金(含む時間外手当)の占める割合は54.9%なので、総額人件費への影響は、まあざっと4%くらいのものでしょうか。賞与・一時金が総額人件費全体の16.8%を占めていますので、乱暴にいえば賞与を4分の3にすれば吸収できるということになります。
時間外労働が月間平均100時間という極端な例でもこの程度なのですから、ほとんどの企業ではベースアップを少し抑制するくらいで吸収できてしまうはずで、時間外労働抑制効果はかなり限られたものにとどまるのではないかと思われます。
まあ、それでも、長時間労働削減という観点からは、平均月100時間を超えるような極端なケースで多少なりとも効果があればそれでいいとか、「30時間を超えるとコストが上がるから、30時間でストップさせようか」という気分的なものに期待できるとかいうことで、どうせ企業のコストアップの影響が小さいならやらないよりはマシ、という考え方もあるかもしれません。とはいえ、いっぽうで割賃の引き上げは長時間労働へのインセンティブであり、長時間労働する人への賃金配分を増やす施策でもありますので、やらないよりはマシだからやる、というわけにはいかないでしょう。また、割賃が2段階になることによって人事管理が煩雑になるのも軽視できません。多くの企業で利用されている人事管理・賃金計算の統合ソフトウェアは、こうした複雑な割賃の設定に対応しているのでしょうか?まあ、ソフト屋さんにとっては思わぬビジネスチャンスかもしれませんが…。

  • だからもっと割賃を高く(50%とか100%とか)すべきだ、という意見もあるでしょうが、時間外労働に対する拒絶感の強い国ならともかく、今の日本で割賃を100%にしたりしたら、これまで時間外労働をそれほどしなかった人までせっせと時間外労働をしはじめる危険性が高いのではないでしょうか。これは結局、長時間労働する人への配分をさらに増やすということであり、ひいては時間外労働の少ない非典型雇用(特にパートタイマー)との賃金格差をさらに拡大することにつながるでしょう。
  • ところで、資料では「使用者は、労働者の健康を確保する観点から、一定時間を超える時間外労働を行った労働者に対して、現行より高い一定率による割増賃金を支払うこととすることによって、長時間の時間外労働の抑制を図る」という書きぶりになっているようで、「使用者は〜抑制を図る」という文章になっています。ということは、「一定時間」や「現行より高い一定率」については、使用者が任意に定めうるということなのでしょうか?まさかそんなことはないと思いますが、そうだとすると、たとえば(またも単純かつ極端な例ですが)100時間以上は26%とかいうことでも許容されるとすれば、現状とほとんど変わらないということになりそうです。「抑制を図る」ですから、図ればいいわけで結果を求められるわけではないでしょうし…。

さて、順序を戻して、「時間外労働の限度基準」に関しては、労使自治を時間外労働削減に活用しようという考え方自体はいいのではないかと思います。特に健康被害防止の観点から長時間労働削減を考えるのであれば、軽易な事務作業も危険有害業務も一律の時間数で扱うというのは明らかに不合理で、そこは現場の実態をよく知る個別企業労使の話し合いで取り扱いを決めていくのが望ましいだろうと思われます。また、「仕事と生活のバランス」の観点からはある程度一律の取り扱いがなじむかもしれませんが、通勤時間などの事情はやはり個別企業によって異なりますので、やはり個別労使の話し合いによることは好ましいのではないでしょうか。労働者の生活と経営の必要の均衡に配慮しつつ、労使が知恵を出し合って延長時間をできるだけ短くするというのは労働時間短縮の取り組みの中心であり、これを努力義務とするのはそれほど違和感を覚えません。大切なのは、短絡的一律的に結果を求めることをせずに、労使の努力に委ねつつ、その成果が上がるような環境整備を行うことであり、「自由度の高い」制度もその不可欠なひとつでしょう。
「特別条項付き協定では割増賃金率も定めなければならないこと及び当該割増賃金率は法定を超える率とするように努める」というのは、延長時間だけ高率にすればいいのか、延長した場合に根元から高率にするのか、特別条項付き協定を結んだ時点で根元から高率にするのか、はっきりしませんが、まあそこも含めて労使自治に任せるということでしょうか。努力義務かつ労使自治なので行政が妙な介入をしないかぎり大きな影響はなさそうですが、特別条項付き協定では「1日以上3ヶ月以内」と「1年」のふたつを協定しなければならず、それぞれについて高率の割賃を定めるとなると、実務が恐ろしく煩雑になる可能性があります。
こうした努力義務ができれば連合などの上部団体は運動方針に入れて傘下の組織に取り組みを求めるでしょうが、はたして喜んで取り組む単組がどれほどあるのでしょうか。
なお、時間単位の年次有給休暇は、たしかに便利にはなるかもしれませんが、従来なら1日休んでいたところを「まあ、必要な時間だけ休もうか」ということで、かえって年休取得を抑制してしまう可能性はないのでしょうか?また、実務的には日数のカウントは8時間で1日とかいう形になるのでしょうが、所定労働時間が7時間30分の場合はどう計算するのでしょうか?(労使協定で決めろということでしょうが)これまた人事管理がかなり煩雑になる可能性があり、あまり筋のいい施策であるとは思えないのですが…。