かなりこなれてきた成果主義論議

日経新聞社会面の長期連載コラム「サラリーマン」は、このところ成果主義の近況(?)を取り上げていましたが、今日は読者投稿の紹介にあてられていました。さすがに成果主義も普及しはじめてから10年以上が経過し、だいぶ議論が整理されてきた感があります。

 京都市に本社を置く外食チェーンに勤める男性(44)は、「成果主義に『安定』という年功型の良さを取り入れる企業が現れていることに強く共感を覚えた」という。

 さらに「賃金制度に社員の生活を保証するという考え方が薄れてきている」と、一部でみられる成果主義の行き過ぎを疑問視。「入社して家族を持てば、生活の安定は一大関心事。安定した年功型と組み合わせて行き過ぎを抑えることが、社員の士気向上にもつながる」と強調している。
(平成18年3月13日付日本経済新聞朝刊から、以下同じ)

これは大切なポイント。やはり安心、安定というのも大事な「労働条件」なのでしょう。評価で賃金を変動させるなら、それなりのリスクプレミアムを払わなければ、事実上の労働条件切り下げになって、意欲にも影響するでしょう。

 大手運輸会社に勤める50代の男性会社員は、「働きぶりの評価は難しく、成果主義の運用は実際には理屈通りにはいかない」と考えている。
 男性の勤務する会社の賃金制度は年功序列成果主義が一部取り入れられており、理論上は年間約30万円程度収入に差がつくこともあるが、「ほとんどの社員が平均的な評価に落ち着き、実際には10万円ぐらいしか差がつかない」という。
 男性は「成果を見る様々な項目は定められているが、グループで働いているため個人の寄与度を測るのは難しい」と指摘。ただ、実際には働く人も働かない人も全く同じように評価されるわけではなく、明らかに働かない社員はそれに見合うような人事上の処遇をされており、「今の制度に不満はない」という。

これまた大事なポイント。「差がつく制度になっている」というのと、「実際に多くの人たちで差がつく」ということはまったく別物なんですよね。日経新聞はじめマスコミはこれを混同して大騒ぎしましたが、現実に大差がつくのは誰の目にも明らかな例外に限られることが多いのではないでしょうか。

 一方で、東京都のある男性からは「年功型か成果主義か、どちらが日本の会社組織になじむのかという論議は、あまり意味があるとは思えない」との声が届いた。

「入社して10年もたつと社内での自分の位置づけや将来性が見え始め、自己実現との葛藤が生まれる」と分析し、「そこで自分を見つめ直しチャレンジできる環境を手にできるかが大きな分岐点」と強調する。

ちょっとポイントが違うかもしれませんが、実は非常に重要なポイントをついているかもしれません。成果をあげるためには、成果があがる仕事を割り当てられなければダメってことです。100の能力のある人に、50の能力でできる仕事を割り当てておいて、あなたの成果は50だから賃金も半分です、ってんじゃたまらない。これは極端にしても、成果で賃金を大きく変動させるなら、担当業務にある程度本人の意向が反映される仕組みを組み込むことはかなり重要なのではないかと思います。