丹羽健夫『悪問だらけの大学入試』

悪問だらけの大学入試 ―河合塾から見えること (集英社新書)

悪問だらけの大学入試 ―河合塾から見えること (集英社新書)

ひまつぶし本の中のひろいものです。下世話な書名で、実際私も最初のほうで紹介されている大学入試の「悪問」が面白くて買ってみたのですが、書名どおりなのは最初の半分くらいで、あとは大手予備校からみた教育、若者、社会に関する内容になっています。大学受験という目的と、一定の知的水準を持つ若者たちという限られた人を対象としているわけではありますが、さすがに現場の意見というのは説得力があります。


ひとつだけ具体的に紹介しますと、予備校主催の大規模模擬試験の結果などをもとにした学力低下、「ゆとり教育」失敗の検証には一目瞭然のものがあり、そのこと自体とともに、こうした検証が行政ではなく、民間の予備校によってしかなされないということにも問題提起がなされていますが、まことに頷けるものがあります。
さらに、「2006年からの「ゆとり教育」強化による一段の学力低下対策」として、(少なくとも受験生にとっては)大学入試の生徒に与える影響は教育過程より強い、ということ(みもふたもない話ではありますが)と、大学が教育課程を踏み外した「悪問」を出題しても特に批判は受けないということから、

…大学が、現行の教育課程を超えた能力をもった学生を採りたい、と真剣に望むならば、そのことを入試の水準で示せばよい。すなわち教育課程にかまわず、大学が欲しい学生を採用するにふさわしい入試問題を出せばよろしい。
 ただし不意打ちはいけない。少なくとも試験実施の二年前に、アドミッション・ポリシーを添えて予告すべきであろう。…
 ただし誰が生徒たちに教育課程外の範囲レベルを教えるのか…もちろん高校ではやれない。そこはそれ「予備校が責任をもって教えます」と私どもは付言するのである。(pp.110-111)

なるほど、まさに民間ならではの発想で、これは効きそうですねぇ。非常に有力な提案ではないかと思います。こういう提案に対しては当然、「予備校(あるいは当該出題範囲に対応する私学)に通えるような経済力のある家庭の子どもでなければ大学に進学できないのは不公平」といった批判はあるでしょうが、それは奨学金制度の充実(まあ、そういう批判をする人は予備校教育への奨学金にも抵抗があるのでしょうが)や、それがダメならこうした大学のニーズをふまえて教育課程を拡大すればいいだけのことです。
このほかにも、この本の随所で紹介されている予備校講師のエピソードには、業績で評価され、競争にさらされる民間企業ならではの「本気」と「知恵」が感じられます。また、現代の予備校生について「いまの中高年が生きてきた時代とは全く異なる時代を生きているのだから、中高年が考えるような「生きる力」のようなものを押し付けてもダメ」「いまの若者には、中高年の「生きる力」とは別の「生きる力」のパワーがある」という指摘にも、やはりそうなのか、と思わせるものがあります。内容的にはかなり雑多で、必ずしも一貫しているともいえない部分もありますが、民間の活力を感じさせる面白い本でした。