日本キャリアデザイン学会大会

この10月1日、2日に開催され、無事終了しました。私は今回はほとんど貢献をなしていないのですが、一応主催者サイドではあるのでまずはご参加者、関係各位にお礼を申し上げます。
私自身は、1日の自由論題は午前「キャリア/ライフデザイン」午後「キャリアデザイン研究における実証手法の発展」に参加、ラウンドテーブルは交流会の準備(といってもたいしたことはしていないのだが)もあり不参加、翌2日の午前はシンポジウム、午後は総括討論に参加しました。で、ふと気がつくと企業人のくせに企業事例のセッションに全然参加していないのでありました。もちろん関心はあるのですが・・・。
参加した各セッションはどれもたいへん興味深い内容で、勉強になりました。特に「キャリアデザイン研究における実証手法の発展」は充実したものと感じられ(もっとも、理事会が延びたので前半3分の1は聞けなかったのですが)、企画した司会の先生のご尽力があったものと思います。個別報告としては、どれも面白かったのですが、中でもシンポジウムでの奥津先生のご報告には興味をひかれました。「(社会的に成功した人ではなく)キャリアを自ら選択し、納得した人がキャリアを語ってくれる」という結論はたいへん印象的なものでした。
また、シンポジウムのコメンテータの尾高煌之助先生が指摘された「デジタルとアナログ」にはたいへん感銘を受けました。私なりの受け止めとして、「デジタル」というのは、これこれこういう教育をして、これこれの資格をとり、こうした経験を積めばこういう人ができるでしょう、という一種還元主義的な発想で、「アナログ」というのはキャリア(ひいてはその人自身)を総体的に、一連のものとしてとらえ、それぞれの教育や経験、内と外、経験と判断のインテグレーションとしてキャリア(ひいてはその人自身も?)を考えようという発想だということだろうと思います。尾高先生は、デジタルというのは何万点の部品から自動車を組み立てるようなもの、と例えられましたが、アナログを私が勝手にたとえれば、植物が育つようなもの、ということでしょうか?一粒の種から芽が出て、日の光、大気、土壌と養分、ときには雨も降り、鳥や虫、あるいは人間の手も加わって、そうしたことがすべて関わって、それぞれに異なる生育をして、やがて花咲き実を結ぶ。これもキャリアの大事な側面なのではないかということです。いたって感覚的なお話で、もちろん、私がまったく勘違いな受け止めをしているのかもしれませんが、現場の実務実感としては非常に納得のいくものがあったのでした。
余談ながら、終了後の主催者の打ち上げに参加しながら、就職活動の頃には20年後にこんな場所にいる自分というのはまったく想像できなかったよなあと、キャリアの不思議さを身をもって感じたのでありました。