金融経済の専門家、老後を語る

 村上龍氏主宰のメールマガジン「JMM」、本日配信された『村上龍、金融経済の専門家たちに聞く』【メール編:第333回】の設問はこういうものです。

 寄稿家のみなさんは、金融の実務・専門家です。ややプライベートな設問で恐縮ですが、ご自分の「老後」にどのようなイメージを持っていらっしゃいますか?
 「悠々自適」な老後が過ごせるとお思いでしょうか。

で、そのココロはこういうことらしい。

 回答ありがとうございました。次の作品のために、定年後・老後について調べ始めました。年金をはじめ、気が重くなる問題ばかりです。

はあそうですか。


しかし、「金融経済の専門家」ですから、当然のことながらこういう回答になるわけです。まあ、そう聞かれればこうなるのが普通でしょう。

 自分の好きな勉強をしながら、たまに夫婦で旅行の出来る程度の生活が出来ればよいと考えています。それが、“老後の生活”に対する現在のイメージです。

 近年、自分のペースで自分が中心になって出来る仕事の能力とルートを作ることに心を砕き、また、将来の活動のベースになるようにという意図も含めて、友人と小さな会社を作りました。仕事の内容は、現在もやっているような、文章書きや何らかのコンテンツを作ったり、話をしたり、コンサルティングをしたり、場合によっては何らかのシステムやサービスを提供する、といったものです

 金融機関(特に調査部)勤めなどを経て、大学教授になる方が少なくありませんが、文筆業や大学教授がいいかもしれません。

うーん、あまり「気が重くなる」内容ではありませんが、これが村上氏の小説の「勝ち組」のモデルとして参考とされるのでしょうかねぇ。村上氏が定年後・老後を描くとなると、「最後の家族」のライン上で、「大企業正社員がみじめな老後、家庭を捨てた起業した女性は老後もカッコイイ」みたいなノリになるのかなぁ。あほくさ。
ところが、「金融経済の専門家」たちはこれでは足りず、

 米国社会の場合、成果主義の考え方が明確で、上げた収益に基づいて受ける給付=給料が決められることが多いため、「必死に働いて稼ぎ、豊かな老後を過ごす」というパスが可能になるのでしょう。単純明快です。また、そのために生み出されるバイタリティに感心したことを覚えています。
 わが国のケースを考えると、状況は変化しつつあるとはいえ、米国ほどの成果主義エスタブリッシュしているわけではありません。一部の例外を除くと、フロリダやアカプルコに邸宅を買うことは難しいと思います。

だの、

 米国に Early retirement という言葉があるように、大成功者は若くして引退する人がいるようですが、(自分は)子供が成人するまでは、継続的に働く必要があると考えています。

とか書いているのですねぇ。「自分たちはもっといい暮らしができていいはずだ、金融経済の専門家ならばフロリダやアカプルコに邸宅を買えるのが本来だ」という潜在意識が垣間見えて面白いものがあります。村上氏もどうせならそういう老後を描いてみてはいかがでしょう。