おまえはやっぱりおまえだった(笑)

昨日の記事をみて「悔い改めたのか」(笑)と思ったら違うようでした。今朝の日経新聞社説は、いつもながらの日経病逆噴射炸裂です。個別にコメントしていきましょう(笑)。
タイトルは「会社 従業員が変わる 丸抱え型雇用に頼らず自らキャリアを」となっています。

 ニッポン放送の従業員の多くは、同社を買収しようとしたライブドアの動きに反発した。買収は不発に終わったが、「うちの会社」がいつ人手に渡るかわからないことを知った。M&A(合併・買収)は、会社と従業員の関係を揺さぶる。
 経営者は株主の支持を得るために、経営の合理化に力を入れざるを得ない。企業一家意識は薄れ、会社は能力に応じて従業員を選び、従業員も会社を選ぶ時代に向かう。
(平成17年5月4日付日本経済新聞朝刊社説から、以下同じ)

買収だの株主だのはとりあえず別問題として、「会社は能力に応じて従業員を選び、従業員も会社を選ぶ時代に向かう。」といいますが、これは昔からそうだったはずでは?昔から入社試験は行われてきましたし、最年長者が必ず社長になるというものではなかったはずですし・・・。もちろん、市場原理で選択の余地なし、という状況は当然あるわけですが。ま、その傾向が強まってきた、ということでしょうかね。

正社員減り多様化進む

 高度経済成長期に、企業はインフレに乗って家族主義に基づく従業員に温かい経営を実践した。会社は終身雇用と年功序列によって、家族も含めて従業員を丸抱えにして生活を保障する。従業員は会社に強い帰属意識を持って献身する。これをテコに企業は急ピッチで拡大した。
 中心となるのは新卒で入社して定年まで勤める正社員だった。ベテラン従業員にポストと高賃金を約束する年功序列制は長期勤続を促した。生活の安定と持続的な職業能力の開発を両立させる点では優れたシステムである。

これはまあそのとおりなのですが、基本的にこの時期は一貫して人手不足基調であったことが重要です。多くの労働力を要する(主に)工場に、遠隔地から多くの人を採用して来る必要があったことが、家族も含めた生活支援(特に住居の確保)を要請したわけですし、「定年まで安心して働ける」企業でなければ労働力の確保はままならない時代でした。「家族主義に基づく従業員に温かい経営」と書くとずいぶん情緒的ですが、非常に合理的な方法であったことは間違いありません。

 しかし経済のグローバル化と低成長にぶつかり、企業は1990年代以降、雇用の弾力化や人件費の抑制を強いられた。「正社員」の比率は低下傾向をたどる。10年前には雇用者全体の約8割を占めていたが、昨年は7割弱まで下がった。中小企業の雇用者も含まれるから、安定的な雇用がかなり細ったと言える。
 残りの3割強はパートタイマーや派遣社員契約社員などの非正規社員で、雇用形態の多様化が進んでいる。大企業の過半は早期退職制度を整備し、時には希望退職も避けられない状況に追い込まれている。
 例えば化粧品最大手の資生堂は、グループ会社も含めて満50―59歳で勤続15年以上の正社員を対象に1000人の希望退職を募り、結局、3月末で対象者の5割強に相当する1364人が退職した。海外では売り上げが伸びているものの、国内が横ばいのため踏み切った。

まあ、これもそのとおりなのですが、資生堂は希望退職の特損もあってこの期は赤字転落しましたから、やはり経営事情が大きくモノを云っています。しかも、1364人の早期退職に300億円の特損を計上していますから、単純平均して一人あたり約2200万円積んだことになります。通常の退職金に加えてこれだけのものが出るわけですから(全部が割増退職金の手取りではないにしても)、定年間近な50代の人にとってはずいぶん「家族主義で温かい」内容ではないかと思うのですがどんなもんなんでしょう。

 年功序列は大幅に修正せざるを得ない。結果の平等を原則に大きな差をつけずに従業員全員を処遇するのが難しくなったからだ。
 丸井は一昨年の10月に、従業員の約9割を販売、物流、広告、クレジット、人事・総務などの業務を分担する子会社に転籍させた。各分野でプロ意識を持って働いてもらおうというわけだ。退職金はなくなり、店頭で働く販売員のように数字で成果がわかる職種は四半期ごとに、管理的な職種は半年刻みでそれぞれ評価する。成果を上げなければ昇給、昇格はない。
 従業員は単なる「丸井社員」の枠を破って専門職の道を追求する。丸井は従業員のキャリア形成の機会を保障する。現在の職種が合わない従業員には、丸井が職種転換つまりグループ内での転職を世話する。

それがそんなに素晴らしいのなら、どうして丸井の真似をする会社が出てこないんでしょうかねぇ。これほど誉めるなら説明してほしいものです。なにせ文中にもあるように「一昨年の10月」です。1年半以上も丸井の話ばかり引き合いに出されたのでは、事例としても説得力はゼロでしょう。というか、丸井が珍しかったのは分社をしたことで、それを除けば多かれ少なかれ他の企業もやっていることではないでしょうか。要するに、昔々から民間企業には「結果の平等を原則」なんて世界はなかったということです。全員が社長になった企業なんてありますか。

 キヤノンは「終身雇用」維持を標ぼうしているが、その頭に「実力」の2文字がつく。定期昇給や役職手当、家族手当などを廃止し、職務の重みで決まる基本給一本に改めている。大学卒の新入社員の場合、2年9カ月の育成期間を終えると、評価は仕事次第だ。成果を出さなければ昇給、昇格を期待できない。

またしても見飽きた事例で、希望退職といえば松下、成果主義といえばキヤノン。ずいぶん幅広くしっかりと取材をしておられるのでしょうね(笑)。それはそれとして(これは前の丸井の例でも同じことですが)大事なことは「制度として昇給・昇格を期待できない制度になっている」ということと、「実際に昇給・昇格を期待できない人が(一定数)いる」ということとは全く違う、ということです。まあ、もちろん長期雇用の中ではある時期から昇給も頭打ちになり、昇格も期待できなくなる人というのは昔々からいました(引き込み線、などという言葉が使われていました)し、それは最近変わったというものではありません。いっぽうで、経験にともなって年々技量が向上する若い人たちは、理屈上は「成果を出さなければ昇給、昇格を期待できない。」ことになってはいても、現実にはほとんどの人がそれなりに昇給、昇格しているのではないかと思います。もちろん、そのスピードにそれなりに差はつくでしょうが。ちなみに丸井の場合は、制度上減給になってしまう人には調整給をつけて事実上は減給にならないように経過措置を設けるという「家族主義で温かい」配慮がなされていたそうです。

 リクルートワークス研究所の調査によれば、直近1、2年に転職を経験した人(首都圏)の割合はこのところ上昇傾向にある。例えば30―34歳では、2000年の15.9%から2004年には22.6%に上がっている。

労働市場の機能生かせ

 経済同友会が昨年度に開いた起業フォーラムには、「能力を生かされず企業に死蔵されるのを恐れる30歳前後の企業人の参加が目立った」(斎藤博明副代表幹事)。あてにならない雇用保障やポストよりも、能力開発の機会や良い職場環境を求めて転職に動く人が増えつつある。

転職者が増加しているのは労働市場が好転していることの影響がかなりあるのではないかと思いますが、「能力を生かされず企業に死蔵されるのを恐れる30歳前後の企業人の参加が目立った」というところはなかなか重要なポイントでしょう(まあ、「目立った」というのがどの程度の割合なのかはわかりませんがね)。たしかに、企業が成長を続けている時期のようには、能力の伸長に資する有意義な仕事にありつけるチャンスが多いわけではなく、結果として「死蔵されている」と感じる人は増えているのではないかと思います。それは「雇用保障や(現在の)ポスト」が「あてにならない」からではなく、純粋に「能力開発の機会や良い職場環境を求めて転職に動」いているのだろうと思います。
それはそれとして、ここまでは資生堂の50代の従業員や、丸井の販売、物流などに従事する人など、一般的な、普通の働く人が話題になっていたのに、ここからは突然、経済同友会の起業セミナーに行く人とか、後から出てきますがリクルートエイブリックに転職の仲介を頼むような、はっきり言って労働市場のかなり「上澄み」の人を対象にした議論にすりかわっています。まあ、議論のスリカエは日経の得意技かもしれませんが、社説でここまでやるのはいかがなものかと思いますが・・・。

 しかし人材の需給にミスマッチがみられる。人材紹介大手のリクルートエイブリック(東京)によれば、企業は「即戦力」や「高い専門能力」を求めすぎるきらいがある。求職者はコミュニケーションや交渉力などの固有の能力を売り物にし、すれ違うケースが目立つという。
 労働市場の機能を円滑にするための努力が官民双方に求められる。求職者のカウンセリングやトレーニングなどを施す機関の整備は民間にもできる。企業と個人の雇用関係をルール化して紛争を減らす「労働契約法制」の整備も重要な課題である。

いやはや、人材業者の愚痴をそのまま代弁して社説にするとは日経新聞も落ちたもんですねぇ。人材業者が売り込みに行けば、当然のことながら企業は自前で育てた人材と同じ能力、同じ労働条件での採用なら考える、ということになるでしょう(よほどその分野の人材が枯渇しているとか、緊急に欲しいとかいうことでなければ)。自前の社員と同じところから入ってもらって、そこから同じように育て、活躍してもらおうというのはいたって自然な話であり、「求めすぎるきらいがある」なんて余計なお世話です。もちろん、求職者は「コミュニケーションや交渉力などの固有の能力を売り物に」するでしょう。それを生かしたくて転職を考えているのですから、これまたいたって自然な話です。だからといって企業がそれに合わせる必要はさらさらありませんし、求職者だって自分のこだわりに合った仕事が見つかるまで探せばいいだけの話でしょう。現実には、需要・供給ともにそれなりの妥協や調整ははかられるでしょうが。
まあ、妥協をうながすためのカウンセリングはそれなりに有益(もっとも、妥協するくらいなら転職しないという人も多そうですが)でしょうし、トレーニングもいかほどの効果があるかは不明ですが、やって悪いものでもないでしょう。それが労働市場の機能強化にどこまでつながるかは疑問ですが、労働契約法制の整備自体は私は必要なことだろうと思います(経済界には批判的な意見が多いようですが)。このあたり、言っていることがおかしいというわけではありませんが、それほどリキむことかという感じです。

 働く人たちは、自らのキャリア形成を企業任せにせず、自己責任で取り組む必要がある。企業は全体として雇用機会を創出する社会的な責任がある。雇用調整も次の飛躍のためでなければならない。
(以上、平成17年5月4日付日本経済新聞朝刊社説から)

これが結論なんですが、なにを言っているのかよくわかりません。とくに人材育成をしっかりやってくれる企業(中小企業にも多い)であれば、企業任せにするのだって立派な選択肢だと思うのですが・・・。そもそも、キャリア形成というのはなんといっても現実の職業、就労を通じて行われるわけですから、働く場を提供する企業の関与なくして、すべて働く人の自己責任でやれるわけがありません(まあ、労働市場の「上澄み」の例外的な人にはそれなりに可能なのかもしれませんが)。むしろ、働く人と企業(具体的にはとくに職場のマネージャー)とが共同でキャリア形成に取り組むという考え方が拡がりつつあるように思います。「全体として雇用機会を創出する」というのは意味不明ですが、雇用が数として増えていればそれでいい、というのであれば大きな間違いで、それだけでは企業は優れた人材を獲得することが難しくなるでしょう。世間では「キャリア権」という概念が語られ始めているくらいで、個人のキャリアへの配慮はますます重視されるようになるはずだからです。