それはそのとおりですが

本日の大阪読売新聞にこんな記事が載ってました。

 八十年前の発明対価も5%――。せき止め薬の成分エフェドリンを発見した長井長義博士(一八四五―一九二九)への対価が、薬の売上高に対して5%の割合で算出されていたことがわかった。
(中略)
 長井博士は徳島市の出身。留学先のベルリン大で薬学などを研究し、一八八五年にエフェドリンを発見した。博士の親族が徳島大に日記や手紙など約八百点を寄贈し、発明対価に関する書類も含まれていた。
 「エフェドリン報酬金計算表」というメモでは、一九二七年から三〇年にかけて、発売元の製薬会社が半年単位で計算。錠剤や粉末など販売した数量と定価が記録されている。最初の半年の売上高が3万2954円で、「率」の欄には「5%」、「報酬金」が1647.7円とされている。
 その後も、三年間で約50万円を売り上げ、物価上昇率から現在の貨幣価値に換算すると、約3億円の売上高に対し、報酬は約1500万円に。徳島大では「発明報酬に対する当時の考え方がよくわかる。現代でも参考になるのでは」とコメントしている。
(平成17年1月15日付大阪読売新聞朝刊)

中村修二氏の出身校である徳島大学というところが面白い偶然ですね。
さて、その中村氏が本日付日経新聞朝刊のインタビュー記事でこんなことを語っています。

「…99%の人たちは、私が裁判を通じて訴えたかったことがわかってくれたはず。サラリーマンも一生懸命努力して優れた発明をすれば、それに見合う報酬を得られる社会が本当に必要だということを理解してくれると思う」

本当にわからない人ですね(笑)。
「一生懸命努力して優れた発明をすれば、それに見合う報酬を得られる社会」誰しもそれに異論はないはずで、その「見合う」というのがどういうことか、ということが問題になっているんですから。一審のいうように発明者が50%をとるのなら、発明に協力した人、先行研究をした人、商品化した人、営業した人、発明のためのカネを出した人、要するに発明者以外の全ての人の取り分は全部あわせて50%にしかならないということです。それで、「一生懸命努力して優れた発明のための土台を築けば、それに見合う報酬を得られる社会」「一生懸命努力して優れた商品化をすれば、それに見合う報酬を得られる社会」「一生懸命努力して新商品の販売先を新規開拓すれば、それに見合う報酬を得られる社会」「海のものとも山のものとも知れぬ(はちょっと言い過ぎか)企業の研究開発に投資して成功すれば、それに見合うリターンを得られる社会」が実現できますか、という問題のはずです。
この問題の本質は配分論であり、それが理解されたとき、「99%の人」が中村氏の主張を支持することにはならないでしょう。