八代尚宏『「健全な市場社会」への戦略−カナダ型を目指して』

「健全な市場社会」への戦略

「健全な市場社会」への戦略

「キャリアデザインマガジン」のために書いた書評です。hamachanさんが辛辣に評しておられる先生ですが、この本は全部とはいかないまでも相当部分は納得いく内容だと思います。



 著者は規制改革会議などで活躍し、現在は経済財政諮問会議の民間議員として「構造改革」を主導する、言わずと知れた規制改革のチャンピオンである。この本もタイトルのとおり政策論、それも経済政策論を中心とした政策論の本である。したがって、一見、キャリアデザインとの関係はみえにくい。しかし、目次に並んでいる「改革」のメニューをみると、具体論の最初にきているのが「働き方の多様化と「労働契約法制」」であり、続いて年金・医療などの社会保障改革や少子化対策、教育改革などなど、職業キャリアや人生キャリアに関わりの深いテーマが目白押しだ。多くの人は、キャリアデザインを考える際には現行の社会制度を前提にしているだろうから、その前提が変わることの影響は大きいだろう。
 とはいえ、現行の社会制度の多くは持続不可能であったり、変更を迫られていることも事実として受け入れる必要がある。また、すでに行われた改革がそれなりの成果を上げていることも認めなければならないだろう。いま、世間の一部には「構造改革が格差を拡大させ、貧困を増大させた」との言説があるが、著者はこれに対して事実をもとに冷静に反論し、こうした言説が改革によって資源を最適配分に近づける際に既得権を失う人の抵抗に過ぎないと指摘している。たしかに、既得権を前提に人生キャリアを描いていた人にしてみれば、それは切実な問題であるに違いないが、しかし、一部の人の既得権のために国家経済の停滞を招くことは容認されにくい時代であることも間違いなく、そうした方向性を踏まえてキャリアデザインを考えるほうが賢明であり、現実的でもあるだろう。
 この本の主張する政策の妥当性については評者には判断できないが、虚心に読めばかなり説得力のある内容であることは否定できない。また、マスコミ報道などを通じて世間一般でイメージされているほどには急進的でもない。もちろん、一部にはかなり思い切った提案もあるが、それでもそれなりの経過措置によって対応できるものがほとんどである。たとえば、職業キャリアと関係の深い労働法制についてみれば、著者は解雇規制の緩和を主張するが、それは巷間言われるような、米国流の全くの解雇自由化を求めているわけではない。従来型の雇用保障の強い長期雇用についても一定の意義を認め、その存続は必要としている。そのうえで、現状のような画一的な規制を改め、多様な雇用契約を可能とするようなルール作りとしての「労働契約法」の必要性を訴えている。こうした改革は、あるいは職業キャリアの発展を断念し、定年まで無難に過ごそうというキャリアデザインを描いている人にとっては既得権侵害かもしれない(もちろん、根拠のある既得権には一定の保護は必要だ)が、従来の働き方にとらわれない職業キャリアや、ワーク・ライフ・バランス重視のライフデザインを考える人には福音となるものだろう。
 すべてがすぐにこうなるわけではもちろんないだろうが、しかし将来の方向性をかなり正しく示している本だともいえるように思う。キャリアデザインには先見性が不可欠なことは言うまでもない。過去の既得権を前提にキャリアデザインを考えて、あとから「こんなはずではなかった」とむなしい抵抗をするよりは、将来の変化を先読みして柔軟性のあるキャリアデザインを考えることが望まれよう。そういう意味で、キャリアを考えるうえで大いに参考とすべき本といえるかもしれない。