玄田有史『働く過剰−大人のための若者読本』

働く過剰 大人のための若者読本 日本の〈現代〉12

働く過剰 大人のための若者読本 日本の〈現代〉12

書評を書きました
それにしてもこの書評、最後のあたりはなんのことだかわかりませんね。
というわけでメールマガジンも発行。先日、日本労働法学会のパーティで何人かの人から「最近書いてませんね」と言われていたのですが、ようやく出せました。そうか、2ヶ月も開いてしまったのか。いかに不定期とはいっても月1回、いや月に3回くらいは出さないと。かつてのような週2回は難しいとしても。
書評は、以下にも転載しておきます。


「働く過剰」とは凝った書名だが、世間で若者が語られるときのことばはむしろ「不足」だろう。能力不足、職業観不足。我慢が足りない、ハングリー精神が足りない……あるいは、自信不足、希望不足、さらには根本的な問題としての求人不足。そして著者が主張する「大人の理解不足」。この本は、「大人のための若者読本」という副題のとおり、大人に若者の現在を語りかける本である。著者はこの書名について「若者にとって働くことや生きることが、これほど難儀で複雑なものになってしまった…若者が晒されている、さまざまな過剰に対する違和感を、私なりに表現したもの(pp.274-275)」と説明しているが、私にはこの「過剰」ということばが、世間に氾濫する「不足」という言説に対する著者の直観的なアンチテーゼをふくむように感じられる。
第1部では、「働く若者」の実情が語られる。第1章では「企業は即戦力を求めている」という事実と異なる俗説に対し、企業にとっての人材育成の重要性を訴える。第2章、第3章では、正社員として就職した若者たちがおかれた労働条件の実態、とりわけ長時間労働とその弊害について述べられる。第4章は小中学校時代の仕事への希望と、就労後の仕事のやりがいとの関係から、キャリア教育のあり方が語られる。
これに対し、第2部は「働けない若者」の内実にあてられる。第5章はいわゆる「フリーター」問題・「ニート」問題の手短な概説で、第6章から第8章は「ニート」に関する最新の行政による研究会の成果を紹介している。「ニート」のうち、求職型・非求職型は90年代を通じて増加したのに対し、非希望型は一定数で推移していること、非求職型の増加の要因として職務との不適合による健康問題が考えられること、非希望型に低学歴・低所得家庭が多いことなどが指摘される。
第3部では、これらを受けて、大人たちの「向き合い方」が述べられる。第9章では多様な若者への多様な支援の現場の状況が紹介され、各人にマッチした支援を受けることの大切さが語られる。また、「大人」とはいうが、支援の担い手の多くは支援される若者と同年輩の若者であり、「若者を支援する若者への支援」の重要性が説かれる。第10章は親子関係の記述にあてられる。終章は、「大人は若者になにを伝えなければならないか」を述べる。世間でたびたびいわれる「働く意味」「やりたいこと」「安定」といった言説ではなく、リズム=生活習慣や、「やってはいけないことは何か」という価値観を伝えること、そして「親本人の充実」の大切さが述べられる。
この本は「日本の〈現代〉」と題するシリーズの一冊であるという。著者はたしかに、若年労働という観点から「日本の〈現代〉」を大胆かつ鮮やかに描き出している。もちろん、見る人、見る角度によって見方はいろいろだろうし、大胆な所論であるだけに論争的な内容を多く含んでいるだろう。私自身も、若年雇用問題の多くは長期にわたる経済低迷などによる大幅な求人不足によると考えているので、この本における著者の所論はいささか構造要因を強調しすぎていると感じる(もっとも、著者は前著『ジョブ・クリエイション』においては若年雇用問題はまずは需給の問題だと述べているし、本書でも循環要因への言及がある)。私は同感しないが、関係者のなかには、著者が「フリーター」や「ニート」といった概念を煽情的に(?)用いていることへの批判、反発もあるという。しかし、著者が『仕事の中の曖昧な不安』などによって、それまでともすれば「中高年失業」の問題ばかりに目が向きがちだった世論に対して若年雇用問題を説得的な形で指摘したことは明らかな事実だし、その後の著者の活動が、多くの人々の取り組みとあいまって、この問題に対する世論を高め、現実の成果として行政などによるさまざまな施策を実現してきたことも否定しようがないだろう。こうした著者の行動が、若者に対する強い共感と、この問題に対する真摯な熱意によるものであることも疑いない。批判はたやすいし、もとより自由でもあるが、それでは現実に他のだれがこれ以上の成果をあげられたかと考えると、批判が説得力を持つことは難しいだろう。
著者自らが「私なりの現代仕事論の集大成」と述べるこの本においても、著者の若者への共感と熱意は横溢している。虚心に読めば、それは率直に読み手の心に響くだろう。そして、著者が「集大成」としたこの本の意図が、「必要なのは若者への働きかけだけではなく、大人への働きかけ」「働こうとする若者に向き合うべき大人に対し、現代の若者を取り巻く状況を知っていただくため、私の知っていることを、書いてみようと思う」(まえがきii)であることを、日本の「大人」たちにはぜひ受け止めてほしいと思う。たしかに、いまの「大人」たちの若者時代をも含めて、若者たちはつねに「大人」たちから「今の若者は」と言われ続け、それでもたくましく成長してきた。しかし、現在の若者をとりまく状況は、それではすまない、大人たちの理解と共感を必要とする、かつてない事態に本当に立ち至っているのかもしれないからだ。おそらくそれは、これまで「大人」たちがめざしてきた「豊かさ」というものが「そういうもの」だったということの帰結でもあり、であればその「豊かさ」をよりよいものとしていく努力が、これからの私たちに求められるのだろう。私もいささか、一種の「構造要因」がごときものを強調しすぎだろうか?