日本の公務員は多くない?

というわけで、今日も面白いネタはありますが、出張中のネタをいくつかフォローしておこうと思います。まず、21日の「フジサンケイビジネスアイ」に掲載されていた東谷暁氏の「日本の公務員は「多くない」」というコラムです。ちょうど、時期的にはサラリーマン増税路線を打ち出した政府税調に対し、各方面から「行政改革が先決」との批判が集まったのと並行する「いいタイミング」なのですが・・・。

…今回の小泉政権の公務員減らしも、…5月27日の閣議では、麻生総務相が「厳しい達成が必要」と述べたが、町村外相は「限界にきている」と反対し、南野法相も閣議の後、むしろ人員不足だと訴えた。これを官僚たちの差し金だと思う人もいるだろう。しかし麻生総務相自身が、今年2月に提出した資料を見てみよう。
 人口1,000人当たりの公的部門における職員数比較によれば、日本は35.1人。これに対してドイツは58.4人、英国が73.0人、米国が80.6人、フランスにいたっては96.3人というものだった。日本は国家公務員と地方公務員のほかに、特殊法人の職員も多いはずだと反論する人がいるだろうが、この数字は特殊法人の職員数を含めてのものである。
 日本の公務員の問題は、人数ではなく給与が高いことだという反論もあるにちがいない。…OECD経済協力開発機構)資料によれば、中央と地方を合わせた一般政府の人件費は、対GDP(国内総生産)比で日本が6.8%であるのに対し、英国が7.4%、ドイツが8.0%、米国が9.7%、フランスが13.5%、スウェーデンは16.0%。もちろん人数が多ければ対GDP比は上昇するが、「精鋭主義」で削減したとすれば1人当たりは多少高めになっても当然のことだ。
 とうとう、6月9日の衆院総務委員会で麻生総務相は「すでに大幅に減らしている。さらに何十%もの削減は難しい」と述べたが、私には数%でも無理であるように思われる。…今度の公務員削減も、何の意味もないつじつまあわせの政策にすぎない。
(平成17年6月21日付フジサンケイビジネスアイから)

なるほど、こうして数字だけを並べられると日本の公務員は「多くない」、効率的だということになりそうですが、いかにも国民の実感とはかけ離れているということも認めざるを得ないのではないでしょうか。


まず、この記事に出てきた数字をもう少しみてみましょう。まず、「人口1,000人当たりの公的部門における職員数比較」ですが、これを日本=100とした指数に置き換えてみるとこうなります(a)。

日35.1人(100)
独58.4人(166)
英73.0人(208)
米80.6人(230)
仏96.3人(274)     

つぎに、「中央と地方を合わせた一般政府の人件費は、対GDP(国内総生産)比で」という数字を同じように日本=100とした指数に置き換えてみます(b)。

日6.8%(100)
独8.0%(118)
英7.4%(109)
米9.7%(143)
仏13.5%(199)

これだけで一目瞭然に推測できますが、日本は一人あたりの効率が悪そうなのです。統計が違うのであまり意味はありませんが、(b)/(a)で効率性の指標を作ってみるとこうなります。

日1.00
独0.71
英0.52
米0.62
仏0.73

もちろん、効率を上げる方法は人減らしだけではありませんし、日本の公務員の場合は人件費単価を下げることも有力だと指摘されてもいますが、いずれにしても「数%でも無理」というのはちょっと疑問です。

  • (6月29日追記)この算術は「公務員の人件費単価が一人当たりGDPに較べて低いほうが効率的だろう」といういとも直感的な発想で考えたのですが、平家さんから、「一人あたりGDPを決めるのは、人口に占める労働者の割合、一人あたり資本、技術でしょう。どれも公務とは関係がありません。」とのご指摘をいただきました。たしかに、一人あたりGDPに対する公務の影響は微々たるものだというのはご指摘のとおりで、bewaadさんの言われるとおり、これは東谷氏の記事への反論にはなっていません。私の浅慮を率直に認め、ご両所のご指摘に感謝したいと思います。
  • したがって、以下の部分は「本当に効率的なの?」という素朴な感覚ベースの話ということでお読みいただければと思います。
  • ただ、これは別問題になりますが、(bewaadさんはマクロ経済運営について言及しておられますが)労働も資本も技術も、どの程度かはわかりませんが政策から一定の影響は受けるわけなので、公務とは(まったく)関係ない、と言い切ってしまうのは公務員がいささか気の毒な感はあります。


一般的な国民はおそらく、こうした実態を「誰の目にも明らかな行政のムダ」という形で実感しているのではないでしょうか。それがたとえば社会保険庁のようにビジブルになることで、「他にももっとああいうムダがたくさんあるに違いない」という印象を与えているのだろうと思います。
そもそも、公的部門の仕事のあり方、そもそもの仕事量を考慮に入れずにこうした国際比較をすることに、どれほど意味があるのかという印象もあります。ちなみに仕事量についてはbewaadさん今年3月2日のエントリで言及されており、個人のレベルまでみれば、単純に考えても「明らかなムダ」を抱えながら国際的には「多くない」実情で済ませているということは、ムダのいっぽうでかなりの激務をこなしている人も相当数いなければ計算が合わないということは明らかです。
いっぽうで、仕事のあり方、具体的には規制のあり方の違いをみると、日本の場合は「少しでも問題がありそうなことは最初から一切やらせない」というスタイルがまだまだ強いのではないかと思うのですが、米国の場合はどちらかといえば「概ね大丈夫そうならとりあえず自由にやらせて、問題があれば取り締まる」というスタイルでしょう(もちろん、これは大雑把な傾向であって、例外もたくさんあるでしょうし、時に応じて変化してもいるでしょうが)。この場合、「最初から一切やらせない」ほうが公務員の数は少なくてすむというのが常識的な判断だと思いますが、違うのでしょうか?日本でも、たとえば公取の職員数は大幅に増やすべきだ、という議論がありますが、これも同様の考え方に基づくものだと思うのですが。
ということで、たしかに国家公務員数の削減が政策としてベストかどうかという点では東谷氏の指摘にも傾聴すべき点はありますが、「数%でも無理」「何の意味もないつじつまあわせ」などといった「現状正当化」もできないと考えるべきでしょう。まずは、「明らかにムダ」に見えている部門の人員は削減し、その分を(同じ人かどうかは一応別問題として)必要としている部門の増員にあてる、といった取り組みが、効率性という意味でも国民世論という意味でも重要なのではないかと思うのですが、どんなもんなんでしょうか。