春闘論戦スタート

きのう、経団連と連合の首脳懇談会が開催されたということで、新聞各紙は本日付朝刊でいっせいに「春闘スタート」などと報じています。それによると、連合の笹森会長は企業業績の回復について「働く者の大きな犠牲と多大な貢献がある。雇用や賃金、労働条件などへの還元に最大の意を払ってほしい」(朝日新聞朝刊)「景気が回復すれば次の年は賃金が上がる仕組みはあって当然」(日経新聞)などと発言しているようです。
今回の景気や企業業績の回復については、公共事業などの公的な需要創出より企業努力によるところが大きく、企業努力の大半は従業員の努力ですから、その成果を従業員にも還元せよというのはまことに当然の主張であり、もっともなことだと思います。
笹森氏の発言も労組リーダーとしていたって当然のものでしょうが、若干気になるところもあります。
業績回復は働く者の犠牲と貢献の上にある、というのはそのとおりでしょうが、単純に「還元せよ」というだけでは、「犠牲と貢献がなければさらに雇用は失われ、労働条件は低下したであろう。したがって、すでに十分還元されているのだ」という反論を喰う可能性があります(まあ、こんなことをアカラサマに云う経営者も居ないでしょうが・・・)。「還元」というからには分配論なのですから、「○○への分配を減らして我々への分配を増やせ」ということでなければ物足りません。そこで「○○」になにが入るかですが、設備投資や研究開発投資を減らせとはさすがにいえないでしょうし、サラリーマン経営者ならその取り分はたかが知れています。となると、ここは「株主」「投資家」になるしかない。実際、労働条件より復配、増配を優先している企業はたくさんあります(と思う)。復配はともかく、労組は、増配よりは労働条件を優先しろ、くらいのことは云うべきではないでしょうか。これって資本家と労働者の分配をどうするかですから、ある意味労働運動の原点ですよね。
そう考えると、内部留保の厚い企業を狙って株を買い集め、増配を迫る総会屋まがい(というか、私はそのものだと思っていますが)の「投資ファンド」が横行しているのに対し、連合などがまったく反応していないように見えるのも、怠慢に思えてなりません。
「景気が回復すれば次の年は賃金が上がる仕組みはあって当然」というのもよくわかるのですが、理屈でいえばこれは「景気が悪化すれば次の年は賃金が下がる仕組みもあって当然」とセットでなければおかしい。となると、これは経営サイドが主張している「業績は賞与に反映」と基本的には同じことになってしまします。前述した配当についても、日本企業は安定配当を重視する傾向が(まだ)あるとはいえ、やはり業績によって増えたり減ったりするわけで。
もしかしたら、それが資本家との分配の議論に踏み込まない理由だったりして(そんなことないか)。まあ、現実には毎年毎年景気動向にあわせて賃金を動かすのではなく、長期的には経済が拡大するなかで長期的に賃金を上げてきたというのが実態でしょう。となると、これほど景気低迷が長期にわたったのに賃金はほとんど下がっていないわけで、それを考えればやはりしばらくは上げられない、という理屈になってしまいます。
「一時金ではなく退職金などにも影響する基礎賃金」(日経新聞)と笹森氏はいいますが、それだけに賃上げは経営サイドも負担は大きく、労働者の現在の「手取り」も目減りします。この際、経営サイドの議論にのって、「だったら出せよな」と賞与をむしりとったほうが賢明なのでは。というか、そう考えた労組は、すでに業績連動型で多額の賞与を無交渉で確保してるんですよねぇ。

きのう、経団連と連合の首脳懇談会が開催されたということで、新聞各紙は本日付朝刊でいっせいに「春闘スタート」などと報じています。それによると、連合の笹森会長は企業業績の回復について「働く者の大きな犠牲と多大な貢献がある。雇用や賃金、労働条件などへの還元に最大の意を払ってほしい」(朝日新聞朝刊)「景気が回復すれば次の年は賃金が上がる仕組みはあって当然」(日経新聞)などと発言しているようです。
今回の景気や企業業績の回復については、公共事業などの公的な需要創出より企業努力によるところが大きく、企業努力の大半は従業員の努力ですから、その成果を従業員にも還元せよというのはまことに当然の主張であり、もっともなことだと思います。
笹森氏の発言も労組リーダーとしていたって当然のものでしょうが、若干気になるところもあります。
業績回復は働く者の犠牲と貢献の上にある、というのはそのとおりでしょうが、単純に「還元せよ」というだけでは、「犠牲と貢献がなければさらに雇用は失われ、労働条件は低下したであろう。したがって、すでに十分還元されているのだ」という反論を喰う可能性があります(まあ、こんなことをアカラサマに云う経営者も居ないでしょうが・・・)。「還元」というからには分配論なのですから、「○○への分配を減らして我々への分配を増やせ」ということでなければ物足りません。そこで「○○」になにが入るかですが、設備投資や研究開発投資を減らせとはさすがにいえないでしょうし、サラリーマン経営者ならその取り分はたかが知れています。となると、ここは「株主」「投資家」になるしかない。実際、労働条件より復配、増配を優先している企業はたくさんあります(と思う)。復配はともかく、労組は、増配よりは労働条件を優先しろ、くらいのことは云うべきではないでしょうか。これって資本家と労働者の分配をどうするかですから、ある意味労働運動の原点ですよね。
そう考えると、内部留保の厚い企業を狙って株を買い集め、増配を迫る総会屋まがい(というか、私はそのものだと思っていますが)の「投資ファンド」が横行しているのに対し、連合などがまったく反応していないように見えるのも、怠慢に思えてなりません。
「景気が回復すれば次の年は賃金が上がる仕組みはあって当然」というのもよくわかるのですが、理屈でいえばこれは「景気が悪化すれば次の年は賃金が下がる仕組みもあって当然」とセットでなければおかしい。となると、これは経営サイドが主張している「業績は賞与に反映」と基本的には同じことになってしまします。前述した配当についても、日本企業は安定配当を重視する傾向が(まだ)あるとはいえ、やはり業績によって増えたり減ったりするわけで。
もしかしたら、それが資本家との分配の議論に踏み込まない理由だったりして(そんなことないか)。まあ、現実には毎年毎年景気動向にあわせて賃金を動かすのではなく、長期的には経済が拡大するなかで長期的に賃金を上げてきたというのが実態でしょう。となると、これほど景気低迷が長期にわたったのに賃金はほとんど下がっていないわけで、それを考えればやはりしばらくは上げられない、という理屈になってしまいます。
「一時金ではなく退職金などにも影響する基礎賃金」(日経新聞)と笹森氏はいいますが、それだけに賃上げは経営サイドも負担は大きく、労働者の現在の「手取り」も目減りします。この際、経営サイドの議論にのって、「だったら出せよな」と賞与をむしりとったほうが賢明なのでは。というか、そう考えた労組は、すでに業績連動型で多額の賞与を無交渉で確保してるんですよねぇ。