野川忍『労働協約法』

明治大学の野川忍先生から、ご著書『労働協約法』をご恵投いただきました。ありがとうございます。

労働協約法

労働協約法

書名のとおり労働協約に関する法解釈や学説を広汎かつ詳細にまとめたテキストですが、もちろん「労働協約法」という法律があるわけではなく、また、労働協約をめぐる一連の法体系を「労働協約法」と称する例も、一介の実務家であったにすぎない私は寡聞かつ不勉強にして初めて目にしました。
現実には組織率の低下や争議の減少を背景に集団的労使関係法への関心も低下しつつあり、労組のない企業や労使関係が成熟して安定している企業の労務担当者にとっては労働組合法はじめ集団的労使関係法を勉強しなくても実務上ほとんど支障はありません(たぶん現実的に問題になるのは非組合員の範囲くらいか)という例も多いでしょうし、そもそも知りませんとかいう人がいても不思議ではありません。もちろん少数組合がありますとか現に紛争が起きていますといった企業においては担当者はしっかりと勉強もし理論武装もしているとは思うのですが、しかしそれも顧問弁護士任せになってたりするんじゃないかなどど余計な心配をする私。
こうした現状は立法にも表れていて、この間個別的労使関係法や雇用関係法は改正が繰り返されているのに較べると集団的労使関係法の改正というのは印象になく、すぐに思い出すのは地労委が都道府県労委になった2005年の改正くらいです(しかもこれも労委審査の迅速化のためとはいいながらダウンサイジングを行うものでした)。当然ながらアカデミズムの動向にも反映しており、2014年に日本労働研究雑誌に掲載された論文のうち、集団的労使関係を中心的に取り扱ったものは11月号の特集「産業別労働組合の役割」で掲載された4本のみ(うち1本がHILPTの山本陽大先生による「産業別労働協約システムの国際比較─ドイツ・フランスの現状と日本の検討課題」)となっていますし、2013年には13本あるもののうち7件は1月号の特集「企業内労働者代表制度の展望」に寄せられたものなので労働組合労働協約とダイレクトにつながるものではありません。
そんな中であえて労働協約法制に関する大部のテキストを執筆された動機は、はしがきによれば、労使関係・雇用管理の個別化が進展する現代にあって「そのような事態もまた、決してそのまま拡大・進捗していくとは予想できないという認識を前提として、雇用社会の未来につき、ひとつのオルタナティブの提示となり得ることを願って執筆された」ということだという。「第1編 総論」の最初に「序」として「労働協約法の意義」がおかれ、さらに第1章が「労働協約の意義」となっているのをみると、おそらくは個別化における労働契約法に対して、集団化における労働協約法を対置したのでしょう。たしかに、労使関係・雇用管理の個別化が進展しても集団的労使関係の重要性には変わりはなく、むしろ高まっているという考え方には私も同感ですし、個別の労使関係・人事管理のさらなる高度化に向けて集団的労使関係が果たし得る新たな役割というものもあるだろうと思います。
もっとも、野川先生はこの本でも明示されているように大陸欧州型の中央集権的なネオ・コーポラティズムを志向されているのに対して、私は企業・事業所の分権的な労使コミュニケーション・労使自治を重視するボトムアップ型を志向しているので相当に方向性は異なっています。この点に関しては、わが国の労使のナショナルセンターの現状をみれば、労働者サイドは連合が組織率の低下もあって団体交渉やその協約化といった地道な取り組みではなく立法化法制化といった手っ取り早い方向に走っているいっぽうで、使用者サイドも日経連が経団連に事実上吸収合併されてその機能を大幅に低下させているというていたらくなわけで、まあ政労使合意とか政治的成果はあるにしても、いきなり中央団体交渉とか中央労働協約とか言われてもおよそ当事者能力に欠けるのが実態だろうと思います。こうした実態をふまえて、まずはローカルでの組織化に対するインセンティブを労使双方(特に使用者サイド)に付与することで集団的労使関係の担い手を増やし、さらには一定の緊張関係を維持しながらも基本的には対話と協力を交渉力として労使関係・人事管理の高度化に協調的に取り組んでいく、というのが古くて新しい集団的労使関係の役割だろうと私は思うわけです。
いずれにしても、多くの労使関係の当事者が、道は険しくとも集団的労使関係の復権への期待を持っているのではないかと思います。私自身が労働協約の実務に従事することはおそらくもうないだろうとは思いますが、集団的労使関係の復権を期待する元当事者の一人として、正直かなりあやふやになっている労働協約法制について、この本であらためて勉強しなおしてみたいと思います。