労働者(3)

「キャリアデザインマガジン」第104号に掲載したエッセイを転載します。新国立劇場事件の話題です。

 プロの音楽家は労働者なのだろうか。もちろん、新国立劇場カルメンやドン・ホセを歌うような歌手であれば、独立性もギャラも高く、契約も公演ごとになっていて、労働者であるとは考えにくい。それでは、カルメンの同僚である煙草工場の女工に扮して「煙の歌」を歌う合唱団員はどうか。これについては現実に労組法上の労働者性をめぐる争いがあり、この4月に最高裁判決が出された。
 一般論として、新国立劇場の公演に加わるような音楽家であれば、タイトルロールや協奏曲のソロを演じるような花形スターではないにしても、相当程度高度で希少なプロフェッショナルだろう。海外留学の経験もあろうし、入場料の一桁低い公演ではソリストを務めることもあるかもしれない。音大や音楽学校で教鞭をとったり、個人的な「お稽古」で収入を得ている人も多いだろう。自分は合唱団員や管弦楽員ではなく、歌手であり(例えば)ヴァイオリン奏者であると思っている人もいるだろう。
 そのためかどうか、新国立劇場のケースでは、劇場への専属性・拘束性の高い財団職員としての雇用契約ではなく、より自由度の高い出演契約という形をとっていた。具体的にはまず一年有期の基本出演契約を締結し、さらに出演する公演ごとに個別出演契約を締結する、つまり「この時期には自分のリサイタルがあるから」といった場合には個別公演への出演を断ることができるしくみとなっていた(よりゆるやかに、個別出演契約のみで出演する合唱団員もいた)。
 このような基本出演契約のもとに出演した合唱団員のひとりが契約の更新を拒否され、加入する職能別労組が財団に団体交渉を申し入れたところこれを拒否され、東京都労働委員会に団交拒否と本件契約更新拒否が不当労働行為であるとして救済を求めたのが2003年のこと。これに対し都労委は、労組法上の労働者性を認めた上で団交拒否のみを不当労働行為として救済を命令、中労委の再審査もこれを支持したため、これを不服とした両者が東京地裁に提訴した。
 2008年、東京地裁は契約形態や契約内容を重視し、労組法上の労働者性を否定する逆転判決を言い渡した。これは契約の形態・文言にかかわらず就労の実態によって判断すべきとする従来の裁判所・労働委員会の判断や行政解釈、学界の有力説と対立するものであり、世間を驚かせたが、2009年には東京高裁もこれを支持し、これを不服とする国(中労委)が上告した。
 周知のとおり、最高裁は従来の通説に立ち返り、高裁判決を破棄差し戻しとする再逆転判決を下した。同日、最高裁はやはり高裁が認めなかった個人事業委託契約のもとに修理業務等に従事するカスタマーエンジニアの労組法上の労働者性も認めており、労働界は連合がこの2判決の意義を強調する事務局長談話を発表するなどこれを歓迎、学界や行政も安堵に包まれた。経営サイドのコメントは特に見当たらないが、順当な判断と受け止められているのではないか。
 なお、このケースではこれと並行して合唱団員は労基法上の労働者性も有し、本件契約更新拒否は合理性・相当性がなく無効であるとする地位確認請求も起こされたが、こちらは認められないままに上告不受理で終了している。
 近年、こうした業務委託・請負で働く人が増加し、中にはインディペンデント・コントラクターとして高額の収入を得る人もいる一方、契約条件が劣悪な、労働保険に加入できないなど労働者保護に不備があるとの指摘もある。工房形式でマンガ劇画やアニメーション映画を制作する職場やバイク便の配送業者(個人業務委託契約が多いとされる)、さらにはフランチャイズ店の経営者など、その労働者性の判断が難しく、争いとなる例も増加しているという。多様性を生かしていく上では、過小でも過大でもない適度な保護が確保される必要があり、その実現に向けた検討が求められよう。