流通・サービス業で定着進む

今朝の日経新聞、1面トップで掲載されていました。

 人手不足に悩んできた流通・サービス業で人材の定着傾向が強まってきた。景気低迷を背景に、すかいらーくセントラル警備保障ヤマダ電機など業界大手は離職率が大幅に下がり、2010年春以降の採用を絞り込む動きも広がってきた。こうした流れが加速すれば、企業は人材育成に注力しやすくなる半面、求職者にとって雇用環境が一段と厳しさを増すことになりそうだ。
 外食大手すかいらーくは入社1年目の正社員の離職率が従来10%を超えていたが、09年春の採用者は数%程度にとどまる見通し。新卒採用を09年春の150人から今春は60人に減らす予定だ。

…流通・サービス業の多くは給与水準が比較的低いほか、労働負荷が大きいなどの理由で、人材流出が激しく、慢性的な人手不足に直面してきた。
 最近は「退職しても就業の機会が減っているため、定着につながっている」(日本総研の寺崎文勝主席研究員)。企業側の職場の魅力づくりも背景にあり、介護サービスは昨年4月の介護報酬引き上げなどで処遇が改善。日本ケンタッキー・フライド・チキンは新入社員の研修を増やしている。
 ただ雇用の受け皿の役目も果たしてきた流通・サービス業で採用意欲が低下すれば、失業者増加につながる恐れもある。「医療や介護分野の規制緩和職業訓練の強化など、雇用を創出する政策が重要になる」(クレディ・スイス証券白川浩道チーフエコノミスト)との指摘も出ている。
(平成22年2月1日付日本経済新聞朝刊から)

人材の定着という結果は、記事にもあるように、「退職しても就業の機会が減っている」、ほかにマシな仕事もなさそうだから、仕方がないからがまんしようという要因と、給与水準の引き上げや労働負荷の軽減といった「企業側の職場の魅力づくり」という要因とが複合したものなのでしょう。普通、景気がよくて人手不足になると、業績好調でもあり、定着や新規採用などの人材確保の必要上もあって労働条件が上がるわけですが、今回は必ずしも商況が良いとはいえない中で定着に向けた労働条件改善が進んでいるというのが興味深いところです。もっとも、さらに業況の厳しい製造業などに較べれば相対的にはまだ労働条件を改善しやすいということはあるのかもしれません。
もっとも、今後景気が回復して、他産業のより魅力的な就業機会が増えてくれば、またしても定着が悪化してしまうことが懸念されます。そうした状況下で定着をはかるにはさらに一段の労働条件の改善が求められる可能性が高いわけで、そうなるとこれを価格に転嫁せざるを得ない状況も出てくるでしょう。もしその価格が消費者に受け入れられ、物価が上昇すれば、その限りにおいては実にこれが「内需主導によるデフレ脱却」ということになるのかもしれません(逆にここで売れ行きが落ちるとまた不況に入るということになりかねないわけです)。まあ、現実の日本経済は外需の寄与も大きいですからそうそう単純ではないでしょうが…。
いずれにしても、人材の定着をはかるために労働条件の改善が進んでいるというのはおおいに結構な話です。記事を読むと労働条件が改善して定着が進んだことで新規採用が減少するのは困ったものだというニュアンスを感じるのですが、いかに失業が多いとはいえ労働条件を下げて退職を増やして新規採用を増やすというのはいかがなものなのでしょうか。まあ、価格を下げれば需要が増るというのは経済学の基本的な考え方なのかもしれませんが、しかしだから無理にそれをやれと言われると企業としても困るわけでして…。
ということで、記事にもあるようにやはり「雇用を創出する政策が重要になる」のでしょう。その手段として「医療や介護分野の規制緩和」というのも、医療や介護が高齢化が進展する中では成長産業となりうることを考えれば、規制緩和を通じて効率化を進めつつ多様なサービスを供給できるようにすることで、結果的に雇用も拡大するだろうという理屈はわかります。いっぽう、「職業訓練の強化」というのはいかがなものかという感もこれあり、もちろん医療や介護の分野で雇用が拡大するのであれば、そうした分野ではそれなりの訓練を受けた専門職も需要されるだろうとは思います。ただ、それはそれら分野の成長の結果として雇用が増えるのであって、いかに職業訓練を施したからといっても需要がないところで雇用が増えるということは考えにくいものがあります(逆にいえば、これまでの日本企業では需要があれば未熟練者を採用して内部育成するという方法をとってきました)。このブログでも過去に繰り返し書いていますが、教育訓練などの供給サイドの施策にはあまり即効性を求めるべきではないと思います。

鹿児島地域経済研究所「Southern Wind 南の風」2010年新春号

鹿児島銀行シンクタンク、鹿児島地域経済研究所の季刊「Southern Wind 南の風」2010年新春号(http://www.ker.co.jp/に目次があります。通巻1号となっていますので、創刊号なのかもしれません)に、小池和男先生、脇坂明先生と私の鼎談が掲載されています。内容は、浜銀総研の機関誌「ベストパートナー」の昨年11月号(http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20091020)に掲載されたものがほぼ転載されたものです。
せっかくなので(何が?)私の発言から一部転載します。

脇坂 ―では、次の「神話」として年功賃金について、賃金の決め方の問題に入りたいと思います。これは、年功賃金が欧米社会とは異質な日本社会の長い慣行から生じたのだという神話があります。…小池先生は年功賃金というのは年齢と功というメリットと両方入っているから非常にあいまいなので、あまり使わないほうがいいと言われて、言葉の整理をされています。社内資格給とか、職務給とかの共通点と正しい理解ですね。
 いわゆる年功賃金の変化の常識としては、社員の能力による職能給に変わってきたと言われていて、その職能給が限界に来て、成果主義に変わってきたと。こういう流れで説明されるのですが、小池先生は年功賃金という言葉も、職能給という言葉も使われずに、社内資格給と範囲給という言葉で説明されて、時代の流れは日本も海外も、そちらに移ってきていることを論じられています。ところが、いま成果主義に多くの企業が変えようとしているのは、世界の相場に逆行しているのではないか、ということを主張されているわけです。荻野さんは、この論点に関していかがですか。
荻野 ―賃金の問題の典型的な一つの例として、製造現場の交代制勤務で、片方のシフトでは、ある仕事をベテランの班長クラスがやっていた。もう片方のシフトでは同じ工程に入社四年目くらいの若手がついている。やっている仕事は同じです。本当に純粋に職務給だったら、この二人は同じ賃金でなければおかしい。また成果主義でやるのだったら、この二人は同じ稼働率で同じ出来高を出したら、同じ賃金でなければおかしい。しかし、現実にはそうなっていない。なぜかというと、当然、班長クラスの人であれば、前工程から流れてきた不良が検出できるし、ものによってはその場で直すこともできる。前後の工程でトラブルが起こったときに、行って手伝うことができる。あるいは簡単な設備の停止なら自分で起動して復元することができる。反対側の若い人はそれは一切できない。設備が止まったら監督者を呼んで直してもらわなくてはいけない。生産性の差も非常に大きいわけで、そういったところまで含めて処遇しようというのが、職能給の考え方なのだろうと思うわけです。
 少なくとも、日本でやってきたような熟練の形成であるとか、社内での人材育成、長期的な人材形成という意味では、職能給制度というのはすぐれたやり方だったんですね。あるとき、その人の能力に十分見合った仕事につけられなくても、それはそうなった会社の問題だから、賃金は同じにしましょう。その代わり、ちょっと難しい仕事を会社の都合でやってもらうことがあっても、給料は同じだよと。しかし、その仕事を一年やりきったら、次は昇格するかもしれないね、というのが職能給資格制度の運用だと思いますので、非常に日本の長期雇用とは親和性の高い方法だったのではないかと思います。
 社内資格給という整理は、私は大変わかりやすいと思います。というのは一時期、成果主義がブームで、そのあと職務給というのを経団連などが盛んに言ったわけですが、その中身を見ていると、ほとんどが職務等級によって賃金を決めると。職能資格となにが違うかというと、役職との結びつきが職務等級のほうが少し強いかなというくらいで、ほとんど違いはない。結局、ある程度、横割りにした資格の区分で賃金を払う。しかも、資格が同じでも中に幅のあるレンジレートになっているという意味でも似ています。それが一応、いままでの日本の人事管理に一番適切なものとしてできあがってきたものだろう、と思っております。

いま読み返してみると問題提起と微妙に噛み合ってないですね。