2016年労働政策研究会議

さる18日に開催された日本労使関係研究協会の2016年労働政策研究会議に参加してまいりましたので概要と感想など書きたいと思います。例によって午前中は自由論題、午後は総会とパネルディスカッションというタイムテーブルで、午前中は2分科会6論題の報告がありました。事前提出論文を見るとどれも興味深そうな報告で迷ったのですが、労働法・労働経済の第1分科会を聴講しました。人事管理の第2分科会も面白そう(特にJILPTの藤本先生の報告は聴講したかった)だったので残念ですが追ってJIL雑誌の特集号で勉強できるものと思います。
第1分科会の最初の報告者は東大院の車東碰さんで、「韓国の労働法制における労働者の集団的意思反映構造」と題して報告されました。
韓国の集団的労使関係は企業別組合を基軸とするという点では日本と共通するところが大きいのですが、その法制度はかなり異なります。もともと韓国では同一事業所には一労組のみという制限があり、2011年に複数労組が容認されてからも団体交渉の窓口は一労組に一本化するという制度になっていて、複数労組のすべてと交渉応諾義務のあるわが国とはかなり異なっています(米国の唯一交渉団体に似ていますが韓国の場合は当該組合員の代表にとどまる点が異なります)。これに対して勤労基準法(日本の労働基準法に該当)上の集団的関係は日本と類似しており、過半数代表者との書面協定によって法定基準を逸脱しうるとされていること、その選出プロセスや代表性に課題を有することなど日本と共通しています。
さらに韓国には勤参法(勤労者参与と協力増進に関する法律)という従業員代表制を定めた法律があり、従業員30人以上の企業では労使協議会が必置とされています。法律名にもあるように労使の協力関係を増進し産業平和を実現することが目的とされており、制度導入当時(必置規制化されたのは1980年)の韓国における争議の多発が背景にあるものと推測されます。過半数労組が存在する場合には労使協議会も過半数労組による団体交渉とほぼ一体的な運営になるようですが、労組のない事業所では労使協議会が団体交渉と類似の役割を果たすこともあるようです。労使関係に関わる多くの事項について労使協議会の決議が必要とされている(使用者は一方的に実施できない)わけですが、逆に決議事項が履行されない場合の強制力がなく、労使協議会が形骸化している実態も広く見られ、また労働者委員の選出プロセスや代表性に問題を有することも過半数代表と同様であり、労働組合との関係なども整理されていないといった課題もあるようです。
こうした現状に対しては当然ながら少数者の利益の保護が不十分、労組の権利の弱体化につながるなどの批判が強いようで、報告者も基本的にはその見解に賛同しているようですが、いっぽうで過半数代表制度の問題点や組織率の低下などを考慮すれば韓国の労使協議会は従業員代表制として相当に制度化された存在と評価できること、交渉窓口一本化についても労働協約の拡張適用を通じて米国のように労働者全員の代表として機能しうることなどを指摘し、日本の集団的労使関係法の課題にも参考となりうるとも主張されました。
韓国における労使関係の最新情報という意味でも非常に興味深い面白い報告でしたが、私としては、政策的含意としては過半数代表の代表性といった課題もさることながら、やはり日本では少数労組の権利がやや強すぎることに注目すべきではないかと思いました。ショップ制で有資格者をほぼ全員組織している労組や過半数労組と、従業員が一人が加入しただけの合同労組とに同様の権利を保障するというのは、実務経験者としてはやはり均衡を失するように思われるからです。
2人めの報告者は元厚生労働省の高原正之さんで、かつて物議をかもした大竹文雄・奥平寛子(2006)「解雇規制は雇用機会を減らし格差を拡大させる」の分析手法の検討を報告されました。この論文およびこれを所収した福井秀夫大竹文雄編『脱格差社会と雇用法制』が巻き起こした騒ぎ論争をなつかしく思い出しながら聞きました(もう10年も経つのね)。この本はかなり政治色が強く、労働弁護団などが即座に強く反発した(機関誌で批判特集が組まれた)わけですが、その後経済学者からのアカデミックな批判も提示されました(http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2008/02-03/pdf/108-119.pdf)。高原氏の報告はここでも指摘されているデータセットと指標作成の問題点について、指標の始点と測定誤差を中心にていねいに検証し改善案を提示されたものです。あとは司会者の脇坂明先生も言われていたようにできればこのモデルにデータを入れて分析してほしいわけですがデータの制約があり、それはないものねだりということのようです。
また、やはり司会の荒木尚志先生(今回の準備委員長でもある)から、米国のように各州が地理的にも制度的にも相当程度独立している国は格別、わが国のように都道府県の独立性の低い国では大竹・奥平論文のこの手法(それ自体はスタンダードなものですが)がどこまで適当かという指摘もありました。実際、私の経験的な感想としても、各都道府県の経営者協会(旧日経連の地方組織で連合の地方組織のカウンター)の活動を見てもローカルな労働運動の動向などについては精力的に情報収集もすれば情報提供もしているわけですが各都道府県の地裁判決についてはほとんど関心を寄せておられないわけで、それが企業の立地や人材戦略に影響するという前提に無理があるとしたものでしょう。
3人めの報告者は大阪府大の野田知彦先生で、「信頼的労使関係と従業員の発言」と題して報告されました。自動車産業の企業・労組・従業員を対象とした大規模アンケートをもとに、労使の信頼関係により相互利益を得られるかを検証したということで、労使間および労働者間のコミュニケーション、労働組合の経営に対する発言と組合員への説明が強いことが、経営への信頼性・労使間の信頼が有意に高いことが示されています。また、昇給があると経営への信頼性が有意かつ相対的に大幅に高いこと、昇進が速いと経営への信頼性と発言とが有意に高いこと、非役職者であると経営への信頼性が有意に低いことなど、当然といえば当然ですが実も蓋もない結果も明確に示されていて興味深いものがあります。労働集約的で企業特殊的熟練のウェートが高い製造業という特殊性はあるものの、良好な労使関係が経営上も好ましいことの証左といえましょう。
さて午後の部はパネルディスカッションとなりましたが、今回のテーマは「労働時間をめぐる政策課題」というもので、モデレータが準備委員長の荒木先生、パネリストが早稲田の黒田祥子先生、東北大の桑村裕美子先生、ゼンセン同盟の松井健さん、ニッセイ基礎研の松浦民恵先生という豪華メンバーでした。ゼンセンの人がいるなら経団連(まあ同友会でもなんでも)の人もいないとバランスが悪いのではないかとも思いましたが、まあ労働経済、労働法、労働運動、人事管理という専門分野の組み合わせということであればこうなるかなということでだいたい納得しました。
まず桑村先生が現在継続審議となっている労基法改正法案について、特に注目されている高度プロフェッショナル制を中心にプレゼンされ、たいへんわかりやすい解説で有益でした。
ポイントとしてはまず「平均の3倍を相当程度上回る」という年収要件が収入確保のためのものとされている点で、まあ確かに現実にはこの制度を適用する際には企業としても従前の時間外労働手当に見合うような手当を設定して収入確保するだろうと思うのでそうした側面もあるかもしれませんし、過重労働対策ではないことはそのとおりだと思います。ただ、私としてはこれにはやはり「平均の3倍以上も稼得しているのであればそれなりに専門性も裁量度も高い業務に従事しているだろう」という(一種間接的な)職務要件という意味合いも持たせたいところであり、まあ今回はそもそもかなり厳格な職種限定が付されてしまったので意味がないわけではありますが、しかしそうした観点は持っておきたいとは思います。さらに下世話に言えば(まあ政策論としては良好ではありませんが)平均の3倍も賃金を払うということは企業にとって重要な戦力であるわけでそういう人が健康を害することは企業にとっても困るだろうという話でもあり、また週100時間働かせたいのであれば平均の3倍の賃金を払うより平均程度の賃金で2人雇ったほうがよほど簡単だろうという話でもあるでしょう。
健康管理時間については事業場外労働について過少に計上される恐れがあるとして、勤務間インターバルや絶対休日などの直接的な規制が選択的措置にとどまるのは健康確保措置としては不十分であるとされています。私もある程度同感するところはあり、健康確保時間の把握とそれにもとづく医療的配慮は必要としても、それに加えて出勤はしない、業務に関するコミュニケーションはしないといった意味での絶対休日規制はあってもいいのではないかと思っているということは過去何度か書いたと思います。
また、労働時間の量的上限規制やインターバル規制の不在および過半数代表者制度の運用に関する問題意識も示されており、これは多くの論者の指摘するところと同じです。前者については私も否定するものではなく適切な対象者に適切な規制を行うべきとの立場であり、特に交替制勤務に従事する労働者を対象とした勤務間インターバル規制は積極的に検討されてよいと思っています(ただし即座に法改正によるのではなく単組・単産レベルとの取り組みが先行すべきだというのも繰り返し書いているとおりです)。後者についても同様で即座に労働者代表の必置規制に短絡するのではなく、労使委員会の設置と実質的な運用に対するインセンティブを付与することでその拡大を図ることが望ましいという立場です。
次に黒田先生が長時間労働と健康、労働生産性との関係についてプレゼンされました。黒田先生といえば労働時間研究の第一人者ですが、最近はそこから発展して健康についても調べられているとのこと。
ご自身によるもの含めてさまざまな研究結果を報告されましたが、どれも非常に納得のいくもので興味深く聞きました。いくつかご紹介しますと、まず定型的な、マニュアルどおり働けばアウトプットが確実に出るような仕事であれば、成果給、歩合給を採用することによる生産性向上効果は大きいものがあるが、創造性や革新性が求められる仕事ではそうではない。たとえば、解雇が容易な国の研究者は解雇が困難な国の研究者に較べてリスク回避的(短期的に小さな成果を上げようとする)になりやすくイノベーションが起こりにくいとか、経営戦略立案などの創造性が必要でリスクが高い仕事については固定給のほうが歩合給より経営成績が高くなることなどが示されていてたいへんに納得のいくものでした(だから日亜化学の地裁判決はダメなんだともう一度書こう)。
休息についても、ノルウェーの看護師を対象とした調査で、勤務シフト間の間隔(勤務間インターバルですね)が11時間未満となる回数が多くなると健康問題が出やすいという結果が紹介され、これは上で書いたように交替制勤務に従事する労働者に対するインターバル規制の導入をサポートする結果だろうと思います。メンタル不調による休職・退職者比率の高い企業は利益率が有意に低いというのもまあそうだろうなという感じではありますが、メンタル不調を減らせば必ず利益率が上がることが示されないと動かない経営者というのも多いだろうとも思った。
仕事中の休憩についても、意図的に仕事の合間に休憩を設け、かつメールや電話に対応しない仕事に集中する時間を作った従業員の成果が13-30%高くなったという結果が紹介されていてまあこれもそうだろうなと思うわけですが注意が必要かなと思うところもあり、つまり彼ら彼女らがこうしたメリハリのついた・好都合な働き方をした結果発生する不便というものがないのかどうか、あるのであればどこにしわ寄せされたのかという問題はあるだろうと思います。そのしわよせが対照群に行っているのであれば差がつくのは当然であって。
「スラックタイム」、仕事中にいわゆる「遊び」の時間を持てるように資源配分をすることでイノベーションが起こりやすくなるというのも、まあそもそも資源投入量が多いのだから成果も多くなるだろうという話は別として(当然そこはコントロールされていると思う)、実感としてわかるところです。私の経験でも、裁量労働制を適用されると残業してもしなくても賃金は変わらないからには効率よく仕事して早く帰った方が得だからそうしようという人には滅多にお目にかかったことはなく(もちろん別途早く帰りたい事情がある日にはペースアップして働いて早く帰るわけだが)、大半の人はその逆で「残業時間のことをうるさく言われなくなったのなら、多少帰りが遅くなってもマイペースで働こう」ということで労働時間そのものは長くなりがちだというのが私の経験則です。でまあそのマイペースの中にはかなりのスラックタイムが含まれていることも想像に難くないわけで、私はこれは技術者や専門職がやりたいことをできるだけやれるようにする、少なくとも労働時間を理由に不自由を強いないという意味で、裁量労働制ホワイトカラー・エグゼンプションを支持するものだと考えています(もちろん労働条件や健康面などの対応は別途必要になります)。
ということで、高度プロフェッショナル制に対して「成果で評価することが望ましいというが、そうではない」という批判になるわけですがそのとおりです。ただ、これはホワイトカラーエグゼンプションが悪いわけではなく、「成果で評価」が悪いのだということは重要だろうと思います。それにもかかわらず、成果で評価とかいう残業代ドロボー的な発想の寝言を繰り返すのがいかんわけで、まあこのあたりは過去何回も書いたので繰り返しません。
さて黒田先生は「普段はやらないのですが」と前置きしつついくつか政策的含意を提示されたのですが、割増賃金規制と長時間労働規制については、不況期において割増賃金規制が適用除外されている労働者の労働時間が長くなりやすいというデータを提示されました。これも実務的に納得がいくところで、適用除外されているということは(法的な該当性はとりあえず別として)組織内でそれなりのポジション(将来キャリアも含め)を占めているということでしょうから、不況期のような逆風のあるときにそれにともなう負担を優先的に引き受けることはそれほど不自然なこととも思えません。もちろんそれで行き過ぎた長時間労働になることがないよう配慮は必要でしょうが、そうした限られた範囲・場面を理由に割増賃金規制の有効性がどこまで主張できるだろうかとは思います(まったく有効でないというつもりもない)。
中小企業への配慮についても、黒田先生ご指摘のとおり長時間労働ボリュームゾーンが中小企業であることを考えると、見直す時期に来ているのかもしれません。個人的には中小に配慮するのであれば労働時間規制より解雇規制ではないかとは思っており、大内伸哉先生も提案しておられたと思いますが、ある意味実態追認的に一定規模以下(ドイツだと10人)の小規模企業については一人の労働者の経営に与える影響の大きさにかんがみ解雇規制を相当程度緩和することは考えられていいように思います。
労働時間規制の適用除外について法制度がわかりにくく、法令遵守の面でも紛争の面でも問題だという指摘はまさにそのとおりと思います。労使の対等性を確保するための簡素な手続規制(たとえば特別多数労働組合との労働協約とかですね)、予見可能性の高い要件(集団的・個別的な合意や平均の2倍以上の年収要件など)に必要な保護(前述した出勤しない・業務上コミュニケーションがないという意味での絶対休日規制など)を組み合わせ、適用業務についてはホワイトカラーであれば足りるくらいにすれば保護に欠くことなく予見可能性の高い制度にできるのではないかと思っています。実はこれはかなり適用範囲が狭い制度になります(主に対等性と年収の要件による)が、保護に欠けることがないということを考えればそれでいいのではないかと思うわけです。
健康確保と労働時間規制に関しては、実は労働時間と業務満足度の関係をみるとあるところまでは労働時間が長いほど低下するが、そこをすぎるとむしろ上昇する、労働時間が長くなると満足度が上がるという調査結果を紹介され、さらに健康については自信過剰になりがちだという傾向もあわせ考えると、満足度向上のために長時間労働することを外部が介入して制限すべきとのご意見のようで、具体的にはシンプルな総量規制やインターバル規制を設けることも検討に値するとのことでした。これについては私は上でも書きましたが決して全否定するものではなく、適切な範囲に適切な規制ということに尽きると思っており、一律的な規制ではなく個別労使の集団的合意を重視するのが妥当だろうと考えています。
続いてUAゼンセンの松井健さんが、ゼンセン同盟および日本毛織の史料を紹介しながら日本の労働時間短縮闘争の歴史を振り返り、その意義と今後の課題を述べられました。
具体的な政策課題として、まず労働時間の上限規制として、特別条項の繰り返し締結の禁止、連続労働日の上限規制、連続労働時間の上限規制をあげられました。特別条項の繰り返し締結の禁止というのは、事実上特別条項の有効期限を設け、それまでに特別条項を必要としないよう労使で取り組むということでしょうか。他の2つの規制も業種・職種などによっては効果的に機能する可能性はあり、選択肢の一つでしょう。
また、地方立地の大企業製造業には労働時間の問題はほとんどなく、長時間労働は都市部・ホワイトカラー・サービス業など特定産業の問題だと繰り返し指摘されたのが印象に残りました。
最後にニッセイ基礎研の松浦民恵さんが登場され、働き方改革の最前線事例を紹介されました。
まず、現状では「働き方改革」の射程は「職場マネジメントの充実」と「働き方の柔軟化」にとどまっている例が多いと指摘されました。前者は業務の効率化、たとえば重複した業務の改廃や会議時間の短縮といったものと、そのためのITツールの導入などであり、後者はフレックスタイム制やテレワークといったものと、やはりその支援のためのITツールの導入といったものですね。
しかし、こうした施策だけでは働き方改革の進展も限定的なものであり、事業戦略や組織戦略の見直しといった経営戦略の部分や、より具体的な関連人事管理政策の見直しにまで踏み込む必要があるというのが松浦先生の趣旨であるようでした。
もちろんこれには、まずは事業戦略があり、これを大前提として組織戦略が決まり、職場マネジメントや働き方が変わり、必要であれば人事管理政策も見直すのだ、という反論があるわけですが、そうなると事業計画というのはどうしても株主・投資家などの視線を意識して、実現性が低くとも右肩上がりの絵を描かざるを得なくなる。するとその右肩上がりを達成するために長時間労働が求められてしまい、働き方改革が進まない。しかも現実にはもともと実現性の低い計画だったので達成できませんという話になりがちである。だったら働き方改革のほうを前提にして事業戦略や組織戦略を再構築するほうがむしろ好ましいのではないか、というわけです。
まあそれはそのとおりなのですが上場企業ではなかなか難しいだろうなというところはあり、結局はそれこそニッセイさんとか(笑)機関投資家や株主の理解が必須になるわけで、まあ近年理解は進んできたものとは思いますが、しかし現実には「働き方改革をやります、減収減益になります」という事業計画にはまだまだ抵抗感があるのではないでしょうか。いやもちろん政府の成長戦略においては機関投資家がスチュワードシップコードにもとづいて企業に対して非採算分野からの撤退と成長分野への進出、まさに事業戦略の変革を求め実現させるという話になっているわけで、その限りでは話は合っているともいえるわけですが、それができるなら企業は言われなくてもやるぞとも思いますが…。
その後は具体的事例の紹介になりましたが、とはいえやはり働き方改革として事業戦略の見直しまで踏み込んだ事例というのは少ないということで、それでも収益性の高い事業領域へのシフトや顧客に対する理解協力依頼にまで踏み込んだ某社(いや誰でもすぐ特定できる事例なのですが社名は出さないという約束になっているらしく)の例が紹介されました。この企業は組織の管理スパンの見直しや重点事業への人員再配置(まあ事業領域をシフトするのだから当然ですが)など組織戦略の見直しにも踏み込んでいるとのことです。人事管理政策の見直しについては他にも取り組む事例があり、たとえば早朝時間外勤務の割増率を上げたり、目標管理制度に働き方改革関係目標を必ず設定するなどの取り組みが紹介されました。
いっぽうで、働き方改革を進めることで人材育成への影響が出てくるという問題も提起されました。OJTで仕事に没頭し試行錯誤しながら人材育成を進めるという従来手法は時間がかかるため、試行錯誤を少なくすべく「最初から答を教える」ような手法を取った場合、「失敗から学ぶ」といった機会が失われるのではないか、という懸念です。これについてはまだ各社とも模索状態ということのようですが、私などはそんなことは考えもせずに働き方改革に取り組み始めた企業というのもあるのではないかと邪推することしきり。逆に言えばそれほど深刻に考えなくていい業種や企業というのもあるのかもしれません。
もうひとつ興味深かったのが「労働時間の問題発見機能」で、これ自体は生産工学の世界などでは古くからあります。たとえば10人の職場で一人退職者が出たときに、すぐに補充を入れるのではなく、退職者の仕事を残った9人に割り振って9人でやってみる。そのとき、全員がお手上げになるかというとそうでもなく、6人か7人はなんとかなるけれど、残り2人か3人がお手上げだということになることが多い。であれば、その部分を効率化する(典型的には自動化投資をする)ことで9人でやれるようにすれば1割の効率化になる、というような話です。長時間労働になるということはそこに職場の問題点があるということであり、そこに対応策を打っていけばいいというのが労働時間の問題発見機能ですが、全員が長時間労働になっているとそれが機能しない、ということは働き方改革を進めればこれが機能するようになって一層効率化が進むだろう、という話で、実際働き方改革が進んだ企業ではそうなっているのだそうです。
ということで人事管理の実情をふまえた非常に面白い報告だったのですが、人材育成についてはなかなか難しい問題だという印象は持ちました。私の個人的な意見としては、働き方改革で効率化されて浮いた時間については、他人の仕事でないかぎりは仕事に振り向けてもいいんじゃないかと思うところはあります。もちろんそれは「過剰品質をなくして効率化した時間をまた過剰品質に振り向ける」という話になりかねないわけですが、しかしその時間を社会人大学院で学んだり資格取得のための勉強に費やしたりすることは問題ない、というかむしろ奨励されるのであれば、「仕事」であっても仕事ではなく勉強だ、ととらえて社会人大学院と同様に認めてもいいのではないかと思うわけです。とりわけ実験設備や資材などを利用したい技術者などには会社の「仕事」でしかできない勉強というのもあるからです。
さてその後は参加者も交えた質疑応答と議論になり、なかなか談論風発で活発な議論になりましたが、やはり出てきたのは「日本人が長時間労働になるのはそれが高く評価されて昇進などに結び付くから」という議論で、山口浩一郎先生が来場しておられて大学での実情を愉快にお話しされて場内爆笑となったわけですが、これについては松浦先生が「大学はともかく民間企業では長時間労働ではなくそれであげた業績が評価されているのであり、長時間労働だけして業績が上がらない人が評価されることはない」と軌道修正をはかってくださったので安心しました。
また、議論の中で脇坂明先生が「長時間労働ボリュームゾーンは大企業ホワイトカラーというよりは中小サービス業ではないか」と指摘され、そこからサービス業の生産性が低い・労働時間が長いのは営業時間が長すぎるからではないかという議論に発展しました。フランスではスーパーのレジに長時間並ばされるのが当たり前であり、ドイツではそもそも日曜日には店が開いていないではないか、日本のサービス業においても営業時間規制などを導入し、消費者はそれにともなう不便を受忍すべきではないか、というわけです。これについては黒田先生が「医療や介護などで夜間・休日に就労する人が増えていく中では深夜・休日営業にも一定の必要はある」、桑村先生が「欧州でも営業時間規制・営業日規制は緩和される傾向がある」などと指摘されて必ずしも明確な結論が出たわけではありませんが、非常に重要な論点だったと思います。私としては、多くの場合消費者はまた労働者でもあるわけで、供給者と消費者の利害調整というよりは、消費者であり労働者である国民の選択かなという気はしましたが。
ということで終了後のレセプションにも参加させていただいて多くの方と旧交を暖めることもでき、たいへん有意義な研究会議でありました。上記の要約は多分に私の理解が行き届いていないところがあると思われますがご容赦いただければ幸甚です。今年もJIL雑誌の特別号が刊行されるものと思われますので改めて勉強し誤りなど正したいと考えております(このエントリまで手を入れることはないと思いますが)。