連合総研「イニシアチブ2009研究委員会」ディスカッションペーパー(4


 先週からの続きで、連合総研の研究会のディスカッションペーパーを転載します。ここが最大のポイントで、雇用形態と労働条件の関係について述べています。文中にもありますが、私は決して現状を全肯定しているわけではなく、非正規労働の雇用の不安定さや労働条件の相対的な低さについては改善が必要な実態もあり、それは労働市場に任せるだけではなく、政策的な対応で臨むべきだと考えています。ただ、それは実態に即して「必要な人に必要な支援」という形で行われることが望ましく、「包括的な差別禁止」といった、現実をかけはなれた観念的かつ一律的・硬直的な法制度でやっても決してうまくいかないだろうと考えているわけです。企業は雇用や労働条件の当事者ではありますが、だからといって企業がすべて悪いとして企業経営や人事労務管理に法律で無理矢理に手を突っ込んで見ても、おそらくは労多くして功少なく、弊害ばかりが出てきて「こんなはずではなかった」となるでしょう。このあたりは、「不安定さ・低さ」に視野狭窄的にフォーカスする人たちにはなかなか理解していただけないところでもあるのですが…。

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 (c)雇用形態を理由とする差別
 そしてもっとも驚くべきなのは、雇用形態を理由とする差別まで包括的に禁止しようとのアイデアである。これはわが国の人事管理を根底から覆すだけでなく、労働に対する価値観の一大転換を求めるものといえるだろう。
 そもそも実務家にとっては、水町氏も指摘するように「雇用形態については、それ自体が契約の内容・条件でもある」わけであり、違うものが違うのは当然ではないかと考えるよりない。すでにパート労働者については、短時間労働者の雇用管理の改善等に関する法律の改正を通じて差別禁止に近づく施策が進められており、1993年の法改正時には均衡待遇という考え方が導入されたし、2007年の法改正時には「職務内容同一短時間労働者」について差別的取扱いが禁止された。しかしこれも詳細にみれば「違うものが違うのは当然」という人事管理の実情が強く反映されていることがわかる。これを具体的に定めたパート法第8条は「事業主は、業務の内容及び当該業務に伴う責任の程度(以下「職務の内容」という。)が当該事業所に雇用される通常の労働者と同一の短時間労働者(以下「職務内容同一短時間労働者」という。)であって、当該事業主と期間の定めのない労働契約を締結しているもののうち、当該事業所における慣行その他の事情からみて、当該事業主との雇用関係が終了するまでの全期間において、その職務の内容及び配置が当該通常の労働者の職務の内容及び配置の変更の範囲と同一の範囲で変更されると見込まれるもの(以下「通常の労働者と同視すべき短時間労働者」という。)については、短時間労働者であることを理由として、賃金の決定、教育訓練の実施、福利厚生施設の利用その他の待遇について、差別的取扱いをしてはならない。」と定めている。この長い条文をみるだけでも、雇用形態による差別の禁止がいかに非現実的なものかが直観できよう。実際、これを一読して意味をつかむためには労働法に関する相当の知識を要するだろうが、ごく荒っぽい言い方をすれば、短時間労働者であるか否か以外にはなにも異ならない、残業や人事異動や転勤や出向も同様にあり、昇進昇格などの可能性も同じだ、という場合には差別的取扱いをしてはならない、ということだと言っても大きくは違わないだろう。たしかに、こうした短時間労働者については「違うものは違う」ともなかなかいえないし、実際に本当にそういう短時間労働者がいる企業(たとえば、短期的ではあるが育児時間制度利用者などはこれに近い実態にあるだろう)はこれを通常の労働者と同一に扱っていることが多いだろう。したがって差別的取扱いを禁止したところで実務的にそれほど大きな影響があるとも思えないが、はたしてこの法律によって差別が禁止される短時間労働者がどれほどいるのか、はなはだ疑問である。改正法が審議された際の国会審議では「5%」との答弁もあったというが、根拠は不明であり、実務実感としてはおよそ5%もいるとは思えない。
 短時間労働者だけをとってもこうなのだから、さらにこれを有期契約、派遣労働、請負労働にまで広げようというのは、単に人事管理の現場に大きな混乱を与えるだけであって百害あって一利なしであり、率直に申し上げて無謀であろう。水町氏は「雇用形態の選択は自分ではコントロールできない属性との性格をもっている場合が少なくなく」「自発的に選択できる場合でもその選択を基本的権利にかかわる選択として尊重すべき」ことをもって差別の包括的禁止を主張するが、根拠としてはあまりにも薄弱と言わざるを得ない。
 たとえば、有期契約の契約社員について、少し長くなるがこんな実務場面を考えてみよう。

 P氏は行楽用品を扱うA社の総務課長である。A社は年初から新製品の販売が好調で、現場の一般社員は4勤2休体制をとって週末の土曜日・日曜日も操業している。監督者は週末休みの週休二日、契約社員は平日・週末問わず自分の働ける日に働くこととなっている。
 需要期のゴールデンウィークに向けてかなりの繁忙が予想されるため、P氏は工場長のQ氏から4月末までの有期雇用契約社員10人の採用を依頼された。P氏は職安に出向いて日給10,000円で10人募集したところ40人の応募があり、うち10人を採用した。
 A社の新製品は幸いにしてその後も一段と好調で、P氏はQ氏からさらに10人の契約社員の追加を要請された。前回採用の10人は週末に勤務できる人が少ないので、今度は週末に働ける人を確保してほしいという。P氏は前回の応募が多かったことを思い出し、今度は週末は日給12,000円、月曜日〜金曜日の平日は日給8,000円として「週末働ける方歓迎」との求人を出したところ、応募はだいぶ減ったもののなんとか首尾よく週末に働ける人を多く含む10人が確保できた。
 その後、P氏はR社長に呼ばれ、どうやら新製品は先々もかなりの販売が見込めそうであり、現場で契約社員が増加して監督者の負担が重くなっているので、監督者候補の正社員を採用するようにという指示を受けた。P氏は求人情報誌に監督者候補募集、経験者優遇として、A社の正社員監督者と同等程度を目途に月給350,000円〜450,000円、土曜・日曜の週休二日で広告を出したところ数人の応募があり、2月末に同業のB社で監督者の経験があるS氏を月給400,000円で採用した。P氏としてはS氏をいずれ監督職につけるつもりだが、まずは仕事の内容をよく理解してもらいたいとのQ氏の意見をいれて、一般社員と同じ仕事につかせている。
 この間、A社でも例年の団体交渉が行われ、同業他社の動向に加えて新製品の好調もあって、定昇2%に加えて0.5%のベアを行うことで3月中旬に妥結した。これを受けて、S氏の給料も4月から410,000円に上がることになる。 P氏は契約社員の日給の変更は考えていなかったが、3月に入って平日の日給が8,000円の契約社員が3人立て続けに退職した。3人が条件のよいC社に移ったらしいと聞いたP氏は、3月中に平日の日給10,000円で新たに3人を追加採用するとともに、他の契約社員についても平日の日給が8,000円の人は4月からこれを10,000円に改定した。

 これはまったくの創作だが、しかしかなりありそうな話だろう。一般的な人事担当者であればほとんど違和感を覚えないのではないかと思う。P氏はかなりの裁量をもって仕事をしているが、しかし必要な人材の確保や、労働組合との交渉をまとめるといったミッションがあり、恣意的な行動を取っているとは考えられない。職安や求人誌での求人・採用も労組との団交もごく一般的に行われているありふれた人事管理の実務であり、わが国の慣習として定着し、もちろんまったく合法である。
 結果として、賃金にはかなりの差がついている。契約社員の中でみても、同じ仕事のはずなのに、働く曜日が違うだけで賃金が2割も違っている。やはり仕事はなんら変わらないにもかかわらず、退職者が何人か出ただけである日突然?賃金が上がる。もちろんこれは、契約社員の賃金が外部労働市場の需給関係に大きく影響されて決まることによる。平日に働く人には納得いかないかもしれないが、しかし需給がそうなっている以上は、週末に働くことにそれだけの特別の価値があるとしか考えようがない。
 これに対し、正社員の賃金決定は、基本的には団体交渉による。もちろん、景気動向や企業業績、外部労働市場の影響も大きく受けるし、「世間相場」が大いに考慮されよう。結果として、S氏の賃金は、少なくとも今現在は契約社員と同じ仕事をしているにもかかわらず、日給換算で20,000円前後と、契約社員の約2倍にのぼっている。かなりの格差である。とはいえ、P氏としてみればS氏には監督者としての経験があり、それに応じた能力を有することが期待できるし、正社員採用なのでさらに今後長期にわたって勤続し、より能力を高めて大きな貢献をなすことも期待されているのだから、それなりの処遇はしなければならないと考えている。これまた人事担当者にはごく一般的な、常識的な考え方といえるだろう(もちろん例外もまた多いかもしれないが)。
 さて、このエピソードの後日談を考えてみたい。これはかなり空想的な内容になるが…。

 4月1日、入社式を午前中に無事終えたP氏は、昼休みにテレビで「雇用差別禁止法本日施行」というニュースが流れるのを見た。「きょうから雇用形態の違いを理由とした合理的理由のない雇用差別が包括的に禁止されました」という。昼食を終わって席に戻ったP氏を、契約社員のT氏が待っていた。「私は育児の事情があって週末には働けません。私が家庭生活や市民的自由を尊重し、平日に働くことを選択したのは、私の基本的権利にかかわる選択です。にもかかわらず、まったく同じ仕事に対して私が就労できない週末には2割も高い賃金が支払われているのは、雇用形態の違いを理由とした合理的理由のない差別です。私は即刻私の日給を12,000円に引き上げることを要求しますので明日中に回答してください。実現されない場合は労働審判を申し立てます」とT氏はまくしたてて職場に戻っていった。
 「そ、そんなことを言われても…」狼狽するP氏のところに、続いてやはり契約社員のU氏がやってきた。「P課長、ご記憶かと思いますが、2月にこの会社で中途採用の正社員を募集した際に、私は応募しましたが不合格となりました。仕方なく、その後3月の契約社員の欠員補充3人に応募して採用となりました。私は正社員としての就労を希望しており、かつ一家の生計維持者としてそれを必要としているにもかかわらず、不本意にも契約社員としての就労を余儀なくされ、正社員採用されたSさんとは見たところ同じ仕事をしているのに約2倍もの賃金格差がありますし、Sさんには昇給があったのに私にはありませんでした。今の私には、雇用形態の選択は自分ではコントロールできない属性との性格をもっているものですから、これは雇用形態の違いを理由とした合理的理由のない差別です。私の日給もSさん並に引き上げてください。これから合同労組に相談に行きますのでそのつもりで」と言ってU氏は早退していってしまった。
 「私がなにか間違ったことをしたのだろうか?」とP氏が茫然としていると、今度はS氏がやってきた。S氏は正社員だし、まさかまさか問題はないよな…と考えながらも思わず身構えるP氏に、S氏はこういった。「P課長、正社員採用していただきありがとうございました。いずれ監督職にもしていただけるとQ工場長から聞いています。そこでご相談なんですが、実は地域のボランティアに参加していまして、平日に休めると都合がいいんです。ワークライフバランスというんでしょうか、私も一般社員のように4勤2休にしてもらえるとありがたいんですが…。もちろん賃金はその分減らしていただいてかまいませんので…。なんか、雇用形態を理由とする差別が禁止されて、基本的権利としてのワークライフバランスが保障されたそうじゃないですか…」
 「おいおい、そこまで言うかなぁ」と頭を抱えるP氏をしりめにS氏は去っていく。その足音を聞きながらP氏はうめいた。「雇用形態による取扱いは多様であり、「差別」や「合理的な理由」の有無は実態に即して柔軟に判断されるべきだ…」
 さて、P氏はいったいどうすればいいのだろう?

 人事管理の部外者からみれば、こんなことは取るに足りないことかもしれない。心配しすぎと言われるかもしれない。しかし、これは実務家にとってはかなり切実な不安でもある。雇用形態を理由とする差別禁止を主張する人たちは、こうしたケースのほとんどは合理的理由がある差別として容認されますよ、というかもしれない。あるいはこうした実態を「是正」するための法制化だというのかもしれない。しかしこれは本当に「差別」なのか。
 水町氏は「日本の雇用の実態をみると」とのみ述べているだけなので、ここからはやや本筋を外れることになるが、わが国において雇用形態を理由とする差別が論じられるとき、現実的な議論としてはその前提として正規雇用と非正規労働との格差が念頭におかれることが多いようだ。実際、賃金水準にしても雇用の安定にしても、たしかにわが国における正規社員と非正規労働の格差は大きい(もちろん個別には例外もあるが)。それが政策的に解決されるべき問題だという意見は有力だし、私も改善がはかられるべき点はあると思う。また、ことを「差別」として考えたいとの非正規労働者の気持ちは情においてまことに無理からぬものはあろう。しかし、上で書いたように、現状の格差は使用者の恣意的な差別的意図によるものではないことも事実であり、これを差別とすることはいかにも無理がある。これは政策的には「差別があるから是正する」というものではなく、「格差が大きいのは問題なので改善に取り組む」というものであろう。
 賃金を例に、もう少し詳しく述べよう。まず前提として、賃金の決定にはさまざまな要素が関係する。それは能力であり、職務・仕事であり、役割であり、あるいは成績・成果・出来高であり、業績への貢献度であり、あるいは生計費であったりもする。これらは産業・企業によって多様かつ複合的だ。もちろんこれは雇用形態によっても大きく異なっている。賃金制度とは人事管理のポリシーそのものだから、経営者の理念が色濃く反映され、各社似ているように見えてもかなりの違いがある。格差があるからと言ってその決定過程にまで踏み込んで比較することは容易ではない。
 長期雇用慣行のもとでは、正規雇用については長期的な人材育成・人材投資と、やはり長期的なその回収が強く意図される。当然、長期的な能力の伸長や成果、貢献度などが雇用の安定を含む労働条件決定に相当のウェイトを占めてくる。賃金についても同様で、その時々の能力や職務などももちろん考慮されるわけだが、最終的には企業としては会社生活トータルでの貢献度などと生涯賃金とが相応していればいいことになる。具体的には、未熟練の若年期には明らかに貢献度などを上回る賃金を支払う。教育コストもかかるから、賃金がゼロでも持ち出しになるかもしれない。しかし、技能がある一定の水準に達すると、今度は企業が投資を回収する段階となる。賃金水準は依然として能力向上などを反映して上昇を続け、勤続へのインセンティブとはなるものの、貢献度などはさらにそれを上回るようになる。そのうち、やがて企業の回収が投資を上回り、一定期間を過ぎると、もう一度賃金が貢献度などを上回るようになる。企業が回収しすぎた分を社員に返すわけだ。そして定年を迎え、退職金で清算が行われる。社員としてはここまで在籍しなければ損になる。会社生活を通じて、長期勤続・能力向上奨励型の賃金制度になっているわけだ。
 加えて、長期雇用慣行においては期間の定めのない雇用は事実上定年までの超長期の雇用契約と考えられる。長期にわたるだけに、そこにはリスク分散のしくみが組み込まれる。長い会社生活においては、不運にも病を得てパフォーマンスが低下してしまうこともあるかもしれない。全員に起こるわけではないが、しかし誰にも起こりうるリスクだ。もちろん、その逆もある。だめでもともとの商品企画が大ヒットになることもあるだろうし、ふとした偶然で画期的な新技術を発見することもあるかもしれない。このとき、不運に遭遇した人についても雇用は維持し、パフォーマンスが下がったとしても労働条件を大きく下げるようなことはしない。その一方で、幸運にも恵まれて大きな成果を上げた人についても、成果ほどには労働条件を大きく上げることまではしない。企業にしてみれば、長期雇用のグループ全体のトータルにおいて貢献度などと総額賃金とが均衡すればそれでよいわけで、あとは働く人たちが互助的にリスクを分散し、安心して働くことを望むならば、そうすればよい。多くの企業では労使の協議を通じてこうした賃金制度が構築されてきた。
 それでは、パートタイム労働、有期契約、派遣労働、請負労働などの賃金はどうだろうか。もちろん、これらの雇用形態のそれぞれについて、その内実はさらに多様であろう。有期契約、派遣労働と一口に言ってもいろいろな仕事、人があるに違いない。パート労働法8条で差別的取扱いの禁止の対象となる人も、ごく少数ではあろうがゼロではないだろう。しかし、一般的な傾向としてはこうした雇用形態では流動性が高く、外部労働市場の短期的な需給関係の影響を強く受けるだろう。また、企業の人事管理においても、長期的な能力蓄積・能力発揮を期待されることは少なく、むしろ生産量などに対する雇用量の柔軟な調整が可能であることへの期待が大きいのではないか。
 こうしてみると、長期雇用とパートタイム労働、有期契約などとを雇用形態の違いを超えて比較し、格差について合理的理由の有無を検討するといったことはほとんど無意味であろう。繰り返しになるが、合法で良心的な求人手続によって労働条件を明示して募集し採用する、あるいは労働組合との団体交渉によって決定する、こうした労働条件決定のプロセスが合法かつ合理的に行われているのであれば、格差が大きくなろうとも差別ではないと考えるよりない。
 派遣労働や請負労働などについては、さらに事情が異なるかもしれない。派遣会社や請負会社で正規雇用され長期的なキャリアを形成していく人と、そうでない人とが混在しているからだ。正規雇用については、各派遣会社・請負会社の人材戦略、ポリシーが人事管理に色濃く反映されていることは間違いない。そして、それが派遣先、あるいは請負の発注先のそれとは相当異なるものとなっていることも容易に想像できるだろう。となると、派遣先の賃金と派遣社員の賃金を比較して均衡を論じることが無意味だというのも見やすい理屈ではないか。
 差別の禁止はたしかに正義であろう。しかし、格差が存在すること、あるいはそれが大きいことをもってただちに差別の存在を推定することは適当ではない。非正規雇用の労働条件を改善し、格差を縮小していくためには、非正規労働者の教育訓練・能力向上やキャリア形成のしくみ作り、支援といった正攻法での取り組みが求められよう。また、労働法制においては、期間の定めのない、実務的には事実上定年までの超長期の有期雇用である正規雇用と、原則3年例外5年が上限とされている有期雇用が多い非正規雇用という、契約期間(これは雇用保障の程度に深く関連する)の二極化をまねく現行法制の見直しが必要と思われる。ここで詳しくは論じられないが、一部で主張されている解雇規制の緩和・撤廃ではなく、例えば10年の有期雇用や、勤務地限定、職種限定で当該勤務地や職種がなくなったら退職することを予定した期間の定めのない雇用など、多様な雇用契約を可能としていくことがその方向性であろう。