経営トップのうかつな発言

今朝の日経新聞の連載特集「日本を磨く」は、「小さく賢い政府を」シリーズの第3回で、経済同友会代表幹事の北城恪太郎氏が登場していますが、労働法制の見直しにも言及があります。

 ――労働法制の見直し論議も出ていますね。
 「製造業の組み立て工程なら何時間働いたかが成果に直結する。だから残業代も残業時間に応じて払うのが自然だ。これに対して映像、ソフトウエアの制作や企画、営業部門などで働く、いわゆる知的労働者はどういう仕事を達成したかを評価の基準とすべきだ」
 「すべてを米国と同じにはできないが、労働法制はこうした考え方に即して変えるのが望ましい。長時間勤務だけを求める会社に意欲ある優秀な人材は集まらない」
 「まず勤続年数や労働時間を基準にする考えから抜け出すべきだ。これなしに正規・非正規社員の給与格差を議論しても解はない。成果が同じなら正社員もパート従業員も同じ処遇が基本だが、派遣や期間限定で働く人は正社員より雇用が不安定なのだからより高い給料をもらっていい。とくに高度技術者はそうあるべきだ。正社員の賃金を下げる選択もある」
(平成18年付日本経済新聞朝刊から)

まあ、経済界の代表的な意見という受け止められ方をするのでしょうし、言ってることもまずまずもっともだとは思います。
ただ、やや「成果」に振れすぎておかしくなっています。日本アイ・ビー・エムでも、人事部の人はこうは言わないでしょう。経営トップが人事管理のことを深く知らないままに観念論で発言し、周囲をミスリーディングするのはよくある話です。実際、例の「即戦力という幻想」についても、経営トップが深く考えもせず、よく知りもせず、誰かの受け売りで「わが社は即戦力を求めています」とか言っちゃったりして、それが活字になってしまったことにも一因があるのではないかと思うわけで。
ここでも、「成果が同じなら正社員もパート従業員も同じ処遇が基本」というのは明らかに行き過ぎでしょう。プロセス云々の問題は別としても、長期育成で幹部候補としての期待をかけ、したがって潜在能力の高い人材を苦労して採用してきた正社員の新入社員と、定型的業務をそれなりにこなしてくれればいいという期待で採用したパートとが同じ仕事をやり、同じ成果を上げるというのはありがちなケースですが、これを「成果が同じなら正社員もパート従業員も同じ処遇」とやってしまうのはとんでもないわけです。まあ「〜が基本」となっているからいいのかな。それにしてもミスリーディングでしょう。
なお、「派遣や期間限定で働く人は正社員より雇用が不安定なのだからより高い給料をもらっていい」というのはまったくそのとおりで、実際、労働需給が逼迫する中で、現実にそういう状況が現われつつあるのではないでしょうか。