当時の福井総裁

日銀の福井総裁が村上ファンドに出資していたことが明らかになり、その責任問題がクローズアップされています。進退はともかく、金利をコントロールできる日銀総裁が投資で利益を上げていたというのは、少なくともまことに軽率でありましょう。
これを見ていて、3年半前に日経新聞に載った福井氏のインタビュー記事を思い出しました。「日本病を断つ」という連載特集記事の一環(しかも初日)で、その趣旨は「日本全体に閉そく感が広がっています。改革の道筋は見えているのに、前へ進む力を失ってしまったかのようです。日本はなぜ変われないのでしょうか。経済と社会が「日本病」に侵されている。衰退の縁から抜け出し活力を取り戻す道はあるのか。内外の有識者や経営者に処方せんを聞いた。」というものでした。この「有識者」の第一弾として選ばれたのが福井氏だったわけです。
まずは引用しましょう。

 日本には戦後50年にわたり1つのわかりやすい成長モデルがあった。成功体験を忘れられず、社会の隅々に固定観念や既得権が染み付き、それが変化への不安や抵抗につながっている。宿題を50年分ためてしまったようなものだ。
 製造業の生産性を高めて成長するという日本のやり方は極めて安全な方法だった。これからはモノを作ることだけに知恵を集中するのでなく、ハードとソフトの一体化が重要。困っている顧客に解決法を提案するサービス業の時代だ。
 経済が拡大し続けている時には銀行も預金と貸し出しを増やしていればよかった。そんな単品商売はもう古い。「資金需要がない」とぼやく前に提案型の稼げる仕事をつくる工夫をすべきだ。
 日本経済の停滞の根源は銀行の不良債権とされる。だが本来は借り手を含めたみなの責任。不良債権問題を早く解決したうえで、間接金融への偏重をたださなければ根本的な解決にはならない。
 日本は「安全な資本主義」に慣れすぎた。企業は銀行から資金を借り、資本を他企業と持ち合う。投資家が口を出す余地は小さい。だが資本主義は他人を頼るシステムではない。米国では損をした投資家が次の投資先を探すから、不況からの立ち直りも早い。
 日本の個人はまず預金を考え、投資は少ない。会社にいけば年功序列で賃下げしても一律カット。自分の納税額さえ知らない人もいる。
 サーカスの空中ブランコの安全ネットは地面近くの低いところにある。日本では演じている人のすぐ足元。リスクを避けるコストばかりかけて収穫がない。預金を全額保護しないペイオフの解禁延期には失望した。
 日本の成長の原動力は改良型ではなく創造型の技術革新。リスクを恐れず、他国より常に二歩三歩リードしなければならない。創造が止まれば、病んだ日本は死に至る。国全体のモデルチェンジをみなが考え、「安全な資本主義」から脱皮する時だ。苦痛を経験せずに、楽園には行けない。
(平成15年1月1日付日本経済新聞朝刊から)

なるほど、総裁就任時に解約しなかった理由として「経済の閉塞感が強い時期で、それを打破しようとする若い人への支援を絶つ気持ちにならなかった」といっているのと符丁は合っているようです。

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