「POSSE」第4号「続きの続き」の続き

一昨日のエントリ(「POSSE」第4号の杉田・増山・後藤座談会に関するもの)について、hamachan先生のブログでコメントを頂戴しました
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-ec83.html)ので、お返事もあわせてもう少し書かせていただこうと思います。
まず、hamachan先生は「労務屋さんはどちらかというと杉田・増山コンビにシンパシーを感じておられるような。」と書かれておられますが、最初に為念申し上げておきますと、私は杉田さんにも増山さんにも後藤さんにもほとんどシンパシーは感じておりません。こう書くとまことに実も蓋もない言い方で気がさしましたので、昨日は遠回しに?「世界が違う」と書いたわけですが。
ついでにいえば、私は湯浅さんにも赤木さんにも雨宮さんにもほとんどシンパシーは感じていません。
もちろん、これは私が若年雇用問題や貧困問題を放置してもいいと考えているということでは決してありません。私はこれらの問題には政策的な対応が必要だと考えております。シンパシーを感じないからといってそれを否定しているわけでもありません。一昨日のエントリに書いたように、私は彼らの活動を正当に評価したいとも思っています。とりわけ(これも以前書いたと思いますが)「派遣村」で見せた湯浅さんの水際立った手腕には率直に感服します。言い訳させていただければ、中高年のサラリーマンは「ロスジェネ論壇」には無関心ないし不知というのがデフォルトでしょうから、私は関心を持っている分だけ彼らにとってもマシな存在ではないかと。
さて、hamachan先生の次のご指摘についてですが、

うーーん、わたしの率直な感覚では、

>杉田さんや増山さんは身体を張ってきたことで相当程度深く問題の「当事者」になっている

といえるのだろうか、と感じるわけです。それこそ、

>精神の貧困がヘチマとかオルタナティブが滑った転んだという議論

をしている人が

>一朝一夕には解決しないから、根本なのだ。本当の関係者は、一歩ずつ解決策の積み重ねを、地道に模索している。

というタイプなのでしょうか、逆なんじゃないの?と。

率直に言って、空疎な理屈だけが空回りしているような印象を受けました。これでは、湯浅さんや雨宮さんの「身体を張った」活動のように、世の中を動かすのは少し難しいのではないでしょうか。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-ec83.html

まあたしかに、私も正直言って精神の貧困がヘチマとかオルタナティブが滑った転んだという議論はよくわかりませんし、空疎な議論じゃないかなぁという感想は率直に言ってなくはありません。
ただ、たしかにhamachan先生ご指摘(これは玄田先生のご指摘でもあります)のとおり、空疎な理屈を述べる人は当事者ではないという傾向はあるにしても、逆は必ずしも真ならず?と申しましょうか、身体を張ってきたことで相当程度深く問題の「当事者」になっている人が同時に空疎な理屈を述べるということも十分あり得るのではないでしょうか。杉田さんも増山さんも介護や芸術の分野で相当の実践の実績があるわけで、湯浅さんや雨宮さんの活動が「身体を張って」いて、杉田さんや増山さんはそうではない、という根拠は正直なところ私には不明です。「精神の貧困がヘチマとかオルタナティブが滑った転んだという」空疎な議論をしているからといって、その人たちの実践活動まで「身体を張っていない」と否定してしまうというのはいかにも狭量なような気がしますが、hamachan先生はそんなことはないとは思いますが…。まあ、空疎が理屈「だけ」では、世の中を動かすのは難しいというのはそのとおりと思いますが…。
それから、hamachan先生の次の議論には私も頷かされるものがありました。

…赤木さんの議論も同じようなもので、要するにあれは「叫び」です。叫びは叫びとして意味があるのですが、彼の思考では、自分の客観的な位置付けそのものがかなり危ういんですね。雨宮さんも含めて、「運動型」、「叫び型」の人々に共通の問題です。叫びそのものに意味があるのだけれども。
 赤木さんや雨宮さんは「叫び」だといっても、その叫びはちゃんと心に届く言葉になっているわけです。湯浅さんはもう一段上で、「叫び」を人々の心に上手く届かせるように見事に捌きを見せています。
 後藤さんは自分は「叫び」なんかにとどまってなるものかと思っているのでしょうが、私はそこは、「叫び」にもちゃんと社会的な意味がある、大きな意味があると思っています。
 私がそれなりに評価している「ロスジェネ論壇」というのは、そういうちゃんと心に届く「叫び」なのです。杉山さんや増山さんは何かを叫んでいるらしいことは窺えるのですが、何を言わんとしているのかがさっぱり分からない。要するに、「叫び」が人の心に届く言葉になっていないのです。それこそ、労務屋さんではないけれど、ヘチマが転んだという以上のメッセージが届かない。

ふむ、論壇という言論の世界については私もまことにそのとおりと思います。何度も言いますが、正直言って私も杉田さんや増山さんの言っていることのかなりの部分は理解できません。したがって、まさに「ヘチマが転んだという以上のメッセージが届かない」。
まあ、私は甘チャンなので、「わからないからといって否定はしないようにしよう」と考えるわけですが、わからない時点でアウト、というのがむしろ常識的な反応と申せましょう。ただまあ、ドライに言ってしまえば、私のロスジェネ論壇に対する期待がその程度のものだということでもあります。
その点、hamachan先生はロスジェネ論壇をそれなりに評価しておられ、とりわけその価値を「叫び」に求めておられるようですから、叫びなら叫びらしく素朴に、簡潔に叫べよ、精神の貧困がヘチマとかワケのわからんこと言ってんじゃねぇよ、となるのはまことによくわかります。まあ、私には赤木さんの「右傾化」とか「戦争」というのもいまひとつよくわからないのではありますが、「自分だけが不幸になるくらいなら、全員が不幸になったほうがまだマシだ」という「叫び」にはたしかに私のような鈍感な者の胸にも届くものがあり、これが附属池田小事件とか、荒川沖駅事件とか、最近の此花区パチンコ店放火事件みたいなものにつながってるかもしれないという感想につながるわけですが、まあ通り魔事件も古くからあったわけではありますが…。